昇天意図は人生の方位磁石。

 

意図だけをいつも強くしているだけ。何をどうしていくか。

中身は全く決まっていない。大枠、方向性しか決めていない。

 

今回は、

体感したものを徹底的にやりこんで渡したい

必ずここまで持ってきたいという強い意図があった。

最初夜だけにしようと思ったが朝晩2回にしよう

時間も決めたほうが良いと思った。

途中から最大のZoomウェビナーの人数1万人までにしよう

というのが流れ。

 

もし今回、自分が評価を得たいという意図なら

それも叶うけれどこんなに集まらないはず。

 

誰もが意図を無意識に持っていて変な意図(自分は愛されない

愛が欠けているとか 価値がないとかの信念)を持っているから

おかしいな?と思う事が起こっているだけ。

意図通りに世界が動いているだけ。

 

もし自分が愛が欠けていると思っていて愛されたいという意図が

入ってしまっていたら

何か変だなという感覚になる。

 

冷静になる。

変なことが起きているときは、自分の間違った信念から

変な意図をもっちゃったなと気づけばいい。

 

ジャッジなく

「自分が世界を愛する」という視点に立ったら

どういう意図を持つのが一番世界を愛せるんだろう?

自分が世界を愛する側ならどんな意図がいいのか?

と考え直せばいい。

 

Happyちゃんの場合は

人生の目的は喜びで生きる

自分の幸せのペースを崩さない というのが

Happyちゃんの意図のベース。

自分を見失うようなペースでは幸せは感じられないから嫌だと

考えている。

 

***

昇天感じるがすべて

 

幸せを感じる とか

愛を感じる とかあるけれど

 

身体が不感症になってしまっていると

「感じる」ができずに

幸せがよくわからなくなる。

 

愛を感じるとは本質的な内側のエネルギーを感じること。

呼吸を通して。

それが神(宗教的な意味ではない)と出会うということ。

 

だから今、身体を開いている。

そうしたら幸せを感じられるようになるから。

 

もし「感じない」場合

キラキラしたら幸せだからそうなりたいとか

そうなってくる。

 

風が気持ちいとか、そういうことに幸せを

感じられなかったらないのと同じ。

 

どこか大きいもの、遠くにあるもの

を探しに行かなくてはいけなくなる。

 

身体、細胞に意識を向けて

センサーが働けば

いちいち日常の小さなことでも

愛を感じられるようになるから

世界に現象化してくる。

 

大きいお金をまわしているからとかではない。

 

愛は身体の中にすでに流れてる。

それを見ていけるかどうか。

 

***

昇天日常が幸せなのに退屈

 

自分がやってみたい事に対して保身・おそれから

やっていないとき。

次の扉はいつでも開ける。

大きい事ではなく瞬間瞬間のシーンのこと。

すべて目の前のこと。

 

なんてことない小さなわくわく

瞬間瞬間、今この瞬間どちらが幸せか?を

逐一瞬間的にキャッチして、選んでいく。

 

今日はこっちの道がいいな とか

ここにもう少しいたい とか。