「対話」の重要性について考えています。
「対話」と「議論」の違い、そのひとつは自分が表現することを
「評価・批判されない」という安心感の存在にあるのではないでしょうか。
コーチングでは、“安全・安心の場をつくること”がとても重要になります。
「直感」や「感覚」というリソースを使うには、
とりあえずその感覚を場に置いてみる、
自分でも客観的に眺めてみて知覚する、
そしてその知覚したものをこれまでの経験や学習に照らして認識する
という段階を追っているように思います。
(↑視角などの情報処理プロセスとまったく同じです by 人間工学ゼミ出身者)
そう、意外に「感覚」という段階では自分でもそれがどういう形のものか(知覚)、
どのような意味を持つものか(認識)なんて、
自分でもわかっていないものですよね。
私自身、コーチングやファシリテーションで「感覚」を口にすることが多いのですが、
この「感覚」段階の情報は、自分でもまだ正しく知覚・認識できていないものだ・・・と
意識することがあります(過剰に反応しないでおこう・・という感覚)。
「最初はすごく大きな恐怖を感じていると思っていたけど、よーく眺めていくと、
スリルを感じて武者震いしているだけなんだな」、
と後になって認識する経験を何度かしているからだと思います。
そんなことを考えているときに、pacoさんのブログに
「表現することに慣れる」という文面を見つけました。
「表現することに慣れる」
ということの必要性を改めて考えました。
表現するということは、ひょっとしたら
誰かに攻撃されるかもしれない。
誰かが傷つくことかもしれない。でも、そんなことに負けない強い心を
学びの場で形作っていくことが
戦争文化に対する平和文化をつくっていく
礎になるのだろうと思いました。
評価・批判されない場をつくること、表現する勇気や慣れを持つこと、
そのことが対話を通じて、人を理解し、自分を理解する機会につながるのですね。
私も、表現することに慣れなくては・・・。
(ブログサボりぐせをここらで修正します
)