この記事のつづきです⬇️
「頭の声」は私に意地悪しようとしている訳でも
私の人生を上手くいかせたくない訳でもない。
むしろ、その逆で
危険な目にあってほしくない!
傷付いてほしくない!
悲しい気持ちを感じてほしくない!
そんな気持ちがあまりにも強すぎて、四六時中私にあーだこーだと言ってくるのだった。
「私には難しいよ」
と、自信をなくすようなことを言うのも
「みんなが納得するような肩書きを持たないと」
と、世間や周りの目を気にするのも
「こうしておいたら幸せになれるよ!」
と、すぐにルートを決めたがるのも
「このままじゃ大変なことになるよ!」
と、脅すのも
私に嫌な気持ちを感じさせようとしているのではなくて、
私のことが大切だから。
そう考えると、私も自分の子供たちに対しては同じような態度を取ってるなぁと思った。
特に、今年小学校に入学式してどんどん行動範囲が広がっている長男には
「まだ1人では難しいんじゃない?」
「気をつけないと大変なことになるよ!」
みたいなことを言ってるときがある😂😂
そんなときは別に自信をなくそうとしたり、脅したりしたい訳じゃないけど
危険な目にあってほしくない。
そんな気持ちが先走って、思わず言葉が先に出てしまう。
「頭の声」も、きっとこの状態。
私に自信をなくしてほしい訳でも、私のことを脅したい訳でも、不安を感じさせたい訳でもない。
あまりにも私のことが大切で心配だから
思わず私が動きを止めるような、強い言葉が勝手に出てきてしまう。
こちらは次男。頭の声(=私🤣)から離れて、どんどん先に進んで行く。
「頭の声」とは生存本能+親(もしくは小さい頃近くにいた大人)の声。
そう考えると、頭の声があるということ自体
自分が誰かに大切に思われて、心配されて、想いをかけられた存在だったことの証明になる。
もしかするとそれは、自分にとってまったく好みではない「表現の仕方」だったかもしれない。
嫌なことをされていると感じたり、
思い出したくないほど嫌な記憶として残っていることもある。
だけど、それがどのような「表現の仕方」だったかとか
その「表現の仕方」が好みかどうかとか
それらを一旦ぜんぶ置いておくと
そこには確かに、私に対する「愛」が存在していた。
そんな事実が見えてくる。
親に対しても同じだけど
「頭の声」を好きになる必要はない。
仲良くなる必要もないし、嫌いなままでいい。
思わず言い返してもいいし、なるべく関わらないようにスルーしてもいい。
だけど、その言葉のベースには「私に対する愛」が存在しているということを
理解しているのとしていないのとでは、気持ちが変わってくる。
「頭の声」を自覚した当初、あまりにもうるさく嫌な言葉をかけてくるその声と
すっかり一体化していたことに気付いて絶望したのだけど
そのベースが愛だということが分かってから、淡々と対応するようになりました。
心配してくれてありがとう。
でも、私はもう傷付いても大丈夫だから。