アルケミックコース、締切まであと1週間となりました。



この前、あるミーティングで

「感動」をそのまんま信じないようにしています。

そんな話をしました。





これは、日常の中で胸がいっぱいになる瞬間とか

じーーーんと心が震える瞬間とか

身体の中心から喜びがじんわり広がっていく瞬間とか・・・

そういう自分の感覚を「信じない」と言っているのではなくて





「感動」という言葉でまとめてしまいたくなるときの「感動」を信じない、という意味です。

(ややこしいね🤣🤣)





なぜなら、私の場合

「感動」と表現した瞬間に、本当はそこに含まれている色んな気持ちを無視してしまうから。





本来、感じる気持ちはパキッと一色なんてありえなくて、色々な気持ちが混じり合ったグラデーションのもの。

楽しさの中に寂しさが混じったり

愛しさの中に嫉妬が混じったり

喜びの中に不安が混じったり

「良い気持ち」だけでも「嫌な気持ち」だけでもなく、ひとつの出来事で感じる気持ちは

絵の具のように様々な色が混じり合っている。





特に、新しい経験や未知の経験に向かうとき。

戸惑いとか

居心地の悪さとか

自分の未熟さを感じたときの悔しさとか

イメージ通りに進まないときの残念さとか





感動したーーー!
楽しかったーーー!
嬉しかったーーー!

そんな「心地よさ」だけじゃなく、その中には必ず「心地わるさ」も混じっている。





だけど、嫌な気持ちをなるべく感じたくなかった頃の私は、この言葉で自分の気持ちをまるっと表現するのが得意だった。

「感動しました。」





確かに、胸がいっぱいになる瞬間もあった。

じーーーんと心が震える瞬間もあったし

喜びがじんわり広がっていく瞬間もあった。





だけど多くの場合、ひとつの経験の中には

積極的には感じたくない色々な種類の気持ちもたくさん存在していたのだった。





今日はゆうさんとインスタライブしましたー!楽しそう🤣

アーカイブここから見れます🩷






今の私は「心地よさ」よりも「心地わるさ」の方に、人生を変えるためのヒントがたくさん含まれていることを知っているから

「心地わるさ」を感じたら、その感覚をしっかりと見るようにしてるんだけど

以前はとにかく「心地わるさ」を感じたくなくて、綺麗にまとめようとしていた。





感動した。
楽しかった。
嬉しかった。

そんな風に綺麗にまとめた瞬間に、それ以上「心地わるさ」に向き合わなくて良くなるから。





例えば、去年の撮影のとき(👇)

以前の自分だったらそのとき感じた「心地悪さ」はまるっと無視して

感動しましたーーー!

とだけ、表現していたと思います😂





確かに感動した瞬間もある。

それも、私が感じた気持ちのひとつ。





だけど「感動しましたーーー!」とだけ、表現したその瞬間に

ザワザワ、モヤモヤ、グルグル・・・

同時にそこに存在した、その他様々なたくさんの気持ちたちがなかったことになってしまう。





綺麗にまとめると、スッキリして楽になる。

だけど、本当に私の人生を変えてくれるのは

「感動」という言葉で綺麗にまとめた瞬間に、なかったことになった「心地わるさ」の方なのだ。





明日はインスタライブ2回やりますー❣️1回目😍


2回目😍






先月から、アルケミックコースの個別相談zoomでたくさんの方とお話しているのだけど

過去の私とは逆に「スッキリ綺麗にまとめようとしない方」が多くて、その在り方にめちゃくちゃ感動しています。





「受けたいけど今回は受けられないかも」とか

「今は支払いが難しそうだから次回にしよ」とか

そう感じた瞬間に、

まぁ、今はタイミングじゃないってことだよね❣️

って、綺麗にまとめた方がスッキリして楽になる。





だけど、モヤモヤしたりザワザワしながらも「心地わるさ」を手放さない人の方が

現実は確実に変わります。





心地悪い気持ちを持っていたくない!

一刻も早くスッキリしたい!

だからこそ、何かを経験したときに

感動した!
楽しかった!
嬉しかった!

そんな綺麗な言葉でまとめて「心地わるさ」から解放されたくなるのだけど

人生を望む世界へと変化させてくれるのは





一見スッキリしなくて

心地悪くて

混沌とした気持ちたち。





そんな気持ちから目を逸らさずに直視すれば、必ず行動が変わり、そこから現実が変わっていく。

だから、ついつい綺麗にまとめたくなるのだけど

「心地よさ」よりもその奥にある「心地わるさ」をちゃんと言葉にすることを、いつも意識しています😊🩷