ブログで発信をはじめた後で、2回の出産を経験した。

 

1回目のときはほとんど休まずブログを書き続けた。

 

2回目のときは出産後しばらくブログを書かなかった。

 

 

 

 

 

どちらのときも同じ気持ちを感じていた。

 

みんなに忘れられたらどうしよう。

 

 

 

 

 

1回目のときはその気持ちを深く見ることもなく、とにかく行動することで不安を吹き飛ばした。

 

みんなに忘れられないようにブログを更新し続けたし出産後もすぐに仕事を再開した。

 

 

 

 

 

2回目のときは1回目のときよりもずっと体感覚を大切にするようになっていたから

 

体で感じている感覚に抗えなくて、しばらく何もしない日々を過ごした。

 

発信もしないし学びもしないし何かに繋がりそうなこともしない。

 

しばらく経つとやっぱりこの気持ちが湧いてきた。

 

みんなに忘れられたらどうしよう。

 

 

 

 

 

そこで、このときやっと自分が感じている不安を自覚した。

 

その不安を感じたくないから

 

「みんなに忘れられないように」という動機で行動していることがたくさんあるな、ということも。

 

 

 

 

 

それから

 

みんなって誰?

忘れられるってどういう状況?

そうなったらどうなると思っているの?

 

と、いつものように細かく分解して自分に質問していくうちに

 

(これもいつものように)自分が何を気にしていたのかがよく分からなくなって不安が消えて

 

このことについて考えることもなくなった。

 

 

 

 

 

で。

 

最近になってからまた新しいことに気付いたのです。

 

 

 

 

 

みんなに忘れられたらどうしよう。

 

私はそんな風に心配して「忘れられないように」発信をお休みするのが怖かった訳だけど・・・

 

さて。

 

私の好みはどうなのだろう???

 

 

 

 

 

私の場合。

 

流行ってるから

ちょっと面白そうだから

刺激が欲しいから

 

みたいな感じではなく

 

心を揺さぶられるような

ずっと前から知っていた気がすると感じるような

細胞が共鳴するような

 

そんな感覚になるもの。

 

 

 

 

 

それを「好き」と呼んでいるんだけど、

 

そういう「好き」は絶対に忘れることなんてない。

 

 

 

 

 

ずっと熱心に追いかけている訳ではないし

 

全然見ていないときもあるし、頭の中にないときもいっぱいある。

 

だけど、絶対に忘れることはない。

 

 

 

 

 

そして、ふと思い出したときにその「好き」なものが存在している世界を訪れて静かにドアを開ける。

 

ドアの向こう側にはいつ訪れても溢れるように豊かな世界が存在している。

 

私はその場所で、幸せな気持ちになったり大切なことに気付いたりこれから進むべき方向を見出したりする。

 

私は満たされた気持ちでまた自分の世界へと戻っていく。

 

 

 

 

 

そういうのが私の好み。

 

だから、私もそういう存在で在りたいと思ってる。

 

 

 

 

 

そう考えたら「忘れられたらどうしよう」ではなくて

 

その人の中で忘れられるような存在であったとしたなら

 

むしろ、忘れてください。

 

だよなぁって🤣🤣

 

 

 

 

 

私の中でそれは「好き」ではなくて

 

流行ってるから

ちょっと面白そうだから

刺激が欲しいから

 

であって、それは今の私の好みとは違うものだから。

 

 

 

 

 

そう考えると、あんなに感じていた

 

みんなに忘れられたらどうしよう。

 

この不安がますます実態を持たない謎のものになっていったのです😂

 

 

 

 

 

「正しいか・間違っているか」ではなく「好みか・好みではないか」。

 

私の好みはどうなのだろう???

 

そう自分に聞いていくと、自分の中で大切なものが見えてくる。