先月のこと。
中秋の明月がきれいすぎて、保育園の帰り道にしばらくずっと眺めていた。
写真を撮りたかったけど携帯の充電がなかったので、本当にただずーーーっと眺めてた。
これは満月の前日に撮った写真。
大きく輝く満月をずーーーっと眺めていたら、香りまで感じられるようだった。
甘く芳しく魅惑的で少し妖艶な香り。
そんなことを考えていたら月の香水を作られている、調香師のChiyoさんのことを思い出した。
Chiyoさんが調香した満月の香りが、この日の月からそのまま醸し出されているようだったから。
「満月って本当にあの香水の香りだったんだ・・・!」
そんな風に改めて思った。
満月の香水。魅力が外側に向かって開いていくようなすごく良い香りで大好き♡
よく思うのだけど、目に見えない「何か」を目に見えるカタチでこの世界に現すのって本当にすごい。
魔法みたいだなって思う。
そして、いつもいつも心が動くのはそのようにして作られているものだった。
香りも、小説も、エッセイも、漫画も、絵も、料理も、空間も、花束も、写真も、音楽も、服も、なんでも。
ただ美しくて楽しくて面白いというだけじゃなくて
目に見えないものを目に見えるカタチで現したい。
そんな「想い」の部分に惹かれている。
例えば私もよく思う。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ているとき、何か大切なものに触れたような気がする。
その「大切な何か」を目に見えるカタチで現したいと思う。
今だよ今!
急がないと消えちゃう!
だけどその「何か」は捕まえられそうで捕まえることができなくて、ふわふわとした雲みたいに捉えられない。
時間が経つとどんどんそのカタチを変えてしまう。
美しい夕日を見てるとき。
大事な人と過ごしてるとき。
葉っぱに光が当たってピカピカ輝いているとき。
心が震えるその瞬間。
「大切な何か」は確かに存在しているのに、それを目に見えるカタチに現すことは難しい。
だから、そのようにして作られているものはすぐに分かる。
少しでもそこに近づけるように、
少しでもそれを言葉というカタチにできるように、
私の場合は今日もブログを書いています。
まだまだ自分が心惹かれる表現者たちには遠く及ばないけれど
心が震えるその瞬間を、少しでもカタチにして現したい。
それはつまり、絶対に捉えることのできない「真理」というものに触れて、捉え、目に見えるカタチで現したい。
そんな願いと同じだと思うのです。