この記事の続き♡
「私の肉体は、見える世界と見えない世界を繋ぐトンネルだったんだ。」
そう感じたとき。
どうして大人になってもあんなにお母さんを責めたかったのか?
どうして大人になってもあんなに「寂しい気持ち」を引きずっていたのか?
そんな謎がぜーーーんぶ解けてしまったんです。
3年前に息子を出産してから、なんとなくずっと感じていたのは
「そこから先」は私が好きでやっているんだなぁ。
っていうこと。
「そこから先」というのは「トンネルより先」という意味です。
私は、見えない世界と見える世界を繋ぐトンネルになった。
それは、この肉体の私が願ったことというよりも、もっともっと前。
生まれてくる前にそうなることを「同意した」という感じだと思った。
なので、ある意味では私は私の意思とはまったく関係なく、気付いたらトンネルの役割を担っていた。
(だけど、それでも私が願ったことだった)
そうして私は、見えない世界から見える世界へ。
非物質世界からこの物質世界へ。
ひとつの存在を運ぶトンネルになった。
その存在は無事に運ばれて、この世界で肉体という「個」を楽しむ願いを叶えた♡
私はトンネルの役割を終えた。
(肉体的にはずっとトンネルな訳だけど)
そのとき、
「本当はここで一旦終わりなんだな。」
そんな風に感じました。
私はただの見える世界と見えない世界を繋ぐトンネルで、それ以上でもそれ以下でもない。
「そこから先」は私の選択のもと、私が好きでやっている。
私が、自分を通過してきた存在と
「これからも一緒に過ごしたい」そう願ったから一緒に過ごしている。
「1人でこの世界を生きていけるまで身の回りの世話をしたい」そう願ったから衣食住のお世話をしている。
「これまでも何度も出会ってきた気がするな」そう感じたから、勝手に繋がりみたいなものを感じている。
自分が出産を経験してみて思ったんです。
お母さんとは、ただのトンネル。
お母さんの役割とは、見えない世界と見える世界を繋ぐトンネルだった。
それ以上でもそれ以下でもなく
「そこから先」は既に役割を果たした後の「おまけ」とも言えるものだった。
昨日は母子手帳を受け取りに。
小雨が降ってきたので、旦那さんが迎えに来てくれるまで大きな木の下で雨宿り♡
そして、そう思ったとき。
やっと本当の意味で気付いたのは、
「私のお母さん」もただのトンネルだったということ。
私がこの世界にやって来るためのトンネルになってくれた存在。
そしてそれが本来の「お母さん」の役割の全てだった。
もちろん、お母さんの中にも
「子供を育てるのは母親の務め」
「子供は親がしっかり育てないと不幸になる」
多くの人が持っているそんな設定があったんだとは思うけど、だけど事実として。
その最大の役目を果たしてくれたその後も、
私のことを育ててくれて
安心して生活できるように全てを整えてくれて
大人になった今でもいつも気にかけてくれている。
私が上手くいかないのはあんな風に放っておかれたからだ!
お母さんのせいだ!
長年心の中で(時には直接)そんな風にお母さんを責め続けていた訳だけど
私が責め続けていたお母さんはもう
誰にもできない最大の役割を、既に果たしてくれた後だったんだよね。
そして、私の「この世界を経験してみたい!」そんな人生最大の願いを、命を掛けて叶えてくれた後だった。
私が肉体を持ってお母さんに出会ったときには、
もう何一つお母さんに要求することなんてなかった。
本当の本当はそうだったんだなぁって思う。
だって、全ての役割を果たし、全ての願いを叶えてくれた後だったのだから。
そこから先の時間は全部、壮大なおまけだったのだから。
昨日のランチはカレー南蛮そば♡毎日カレー食べてます。笑
でも、物心ついた頃の私は確かに
お母さんが側にいてくれないことで「寂しさ」や「孤独」を感じてた。
そして、大人になってもその気持ちが自分の人生に影響を与えている気がして
お母さんのことを心のどこかで責め続けていた。
だけど、この世界に生まれてからの「そこから先」はお母さんの役割ではなかったとしたら?
その「寂しさ」とお母さんも本当は関係なかったことになる。
じゃあ、私が感じていた「寂しさ」や「孤独」は一体なんだったんだろう?
もうちょっとだけ続きます♡
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