こちらの記事の続きです


 

 

 

 

 

今回Notebookセミナーを受講する中で

 

25年前くらいに放っていた問いへの答えを、受け取っていた自分に気付くことができました。

 

その「問い」とは・・・

 

「人は死んだらどうなるの??」

 

 

 

 

 

 

たしか保育園の年長さん位のとき、夏休みに初めて原爆資料館に行きました。

 

お母さんの友達が県外から遊びに来ていて、

 

お母さん、お母さんの友達、お母さんの友達の子供、私。

 

というメンバーでした。

 

 

 

 

 

 

資料館を出て、私より少し年上のお母さんの友達の娘さんが

 

一緒に遊んでくれたのがすごく楽しかったことを覚えています。

 

 

 

 

 

 

その後、広島市内のおじいちゃんおばあちゃんの家に行きました。

 

そこで、私に異変が。

 

胸が気持ち悪くなって、吐きました。

 

それからも胸のモヤモヤが消えず、横になった。

 

おじいちゃんも、おばあちゃんも、お母さんも心配していた様子を覚えています。

 

 

 

 

 

 

その日から、この疑問が頭の中を離れなくなりました。

 

「人は死んだらどうなるの??」

 

 

 

 

 

 

原爆資料館で見た「死」は、とても恐ろしいものだった。

 

人間が死ぬときはあんなにも苦しくて、道理が通らないものなんだ。

 

これまで何をしてきたかなんて関係なく、ただの死体になるんだ。

 

人間も虫みたいに一瞬で死んじゃうんだ。

 

 

 

 

 

 

当時、とても言葉では言い表すことはできませんでしたが

 

心の中に感じたのはとてつもなく大きな

 

虚無感でした。

 

 

 

 

 

 

ちょうどその頃、保育園で「地獄」が流行っていました(笑)

 

お昼寝の時間が終わったら、先生が「地獄のお話」をテープで流します。

 

地獄に落ちた人が火の海や針の山に行くそのお話が、私たちはとても怖くて

 

お昼寝後は急いで布団を片付けました。

 

「悪いことをすると地獄に落ちるんだって。」

 

と、子どもたちみんなでひそひそ話しました。

 

 

 

 

 

 

なので、

 

「人は死んだらどうなるの??」

 

この疑問に対して

 

悪いことをした人は地獄に行く。

良いことをした人は天国に行く。

 

漠然とそう思っていたのだけど、この疑問を持ってから

 

私にとってはどちらも同じような感覚になった。

 

 

 

 

 

 

天国に行ったら、その次はどうなるんだろう??

 

また戻ってくるのかな?

 

そうしてまた天国か地獄に行って、それを繰り返す?

 

そう考えると果てしのないような気持ちになって、また胸が苦しくなった。

 

 

 

 

 

 

答えが欲しくて、お母さんに何度も質問した。

 

お母さんはいつも優しく

 

「今分かることだけ考えようね。」

 

と言った。

 

 

 

 

 

 

とにかく「死」が怖かったので、

 

自分がおばあちゃんになるのがまだまだ永遠に先だったらいいなと思って

 

おじいちゃんに

 

「生まれてからおじいちゃんになるまで、長かった?」

 

と聞いてみると

 

「長かった気もするけど一瞬だったような気がするなぁ。」

 

という答えが返ってきて、がっかりした。

 

おじいちゃんは原爆を経験していたので、原爆のことについてもたくさん質問した。

 

 

 

 

 

 

質問しても、質問しても、私が納得できるような答えは返ってこなかった。

 

「大人はなんでも知っている」

 

そう思っていたけど、もしかするとそうじゃないのかもしれない。

 

誰も、この疑問に対する答えを知らないのかもしれない。

 

そう思うとさらに「死」というものが怖くなった。

 

 

 

 

 

 

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この前久しぶりに歩いた、原爆ドーム前の橋。この景色が大好きです♡

 

 

 

 

 

 

結局、この「問い」に対する「答え」は分からないままに

 

どんどん目の前に新しいことが現れて

 

いつしかこんな「問い」を持っていたことさえ忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

大人になってからは

 

もっとお金を手にするには?

もっと良い生活をするには?

嫌いな仕事をやめるには?

素敵なパートナーを得るには?

幸せになるには?

 

そんな「問い」が頭の中を占めて、その「答え」を探しはじめた。

 

人生で初めて強く感じた「問い」については、ますます忘れていった。

 

そんなことよりももっと大切なことがある。

 

何よりも上のような「問い」が大切だと感じるようになった。

 

 

 

 

 

 

もっとお金を手にするには?

もっと良い生活をするには?

嫌いな仕事をやめるには?

素敵なパートナーを得るには?

幸せになるには?

 

こういった「問い」の「答え」を得るために、

 

『引き寄せの法則』に出会った。

 

『思考は現実化する』に出会った。

 

『男性的なビジネスの方法』に出会った。

 

そして『設定変更』に出会った。

 

 

 

 

 

 

先月のノートブックセミナーのとき。

 

さきこさんが

 

「Notebookとは聴くためのもの」

 

そう言われているのを聴いたとき。

 

 

 

 

 

 

人生で最初に放った「問い」への「答え」を

完璧に受け取っていることに気付いたのでした。

 

 

 

 

 

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もっとお金を手にするには?

もっと良い生活をするには?

嫌いな仕事をやめるには?

素敵なパートナーを得るには?

幸せになるには?

 

私が本当に知りたかったことはこういったことではなかったんだ。

 

表面的なこれらの「問い」によって

 

本当に知りたかった「問い」への「答え」にたどり着くことができた。

 

 

 

 

 

 

設定変更に出会って、さきこさんのセミナーに参加するようになって

 

人生の最初に放った「問い」に自然とまた巡り会いました。

 

「人は死んだらどうなるの??」

 

 

 

 

 

 

肉体と魂について。

 

私たちは源でみんな繋がっているということについて。

 

死んでしまってからだけではなくて、生きているときにもずっと繋がっていることについて。

 

「個」を感じたくて肉体を持って生まれていきたということについて。

 

肉体は魂の器だということについて。

 

魂は永遠に「在る」ということについて。

 

 

 

 

 

 

そして、気付いたときには

 

あんなに恐ろしくて、救いようがなくて、大きな虚無感を感じていた

 

「死」というものの受け取り方が、変わっていた。

 

死は、恐ろしいものではない。

悲しいものではない。

死の果てしなさは、苦しくなるようなものではない。

 

そんな風に、心から感じるようになっていった。

 

 

 

 

 

 

それは新しい発見というよりも

 

本当はずーーーっと前から知っていたことを、思い出したような感覚だった。

 

 

 

 

 

 

死は怖いものでも悲しいものでもない。

 

最初からそんな事実が分かっていて

 

それを自分で実感するために、

 

周りの大人に何度も何度も質問していたんだと思った。

 

 

 

 

 

 

「問い」を放てば、必ず「答え」を受け取ることができる。

 

 

 

 

 

 

この(私にとって)人生で1番大切な「問い」への「答え」を受け取るために

 

これまでの経験が全て必要だったんだ。

 

そして、自分の中にある言葉を「聴く」ことの大切さを

 

本当に改めて感じることができました。

 

 

 

 

 

 

四半世紀以上経って、こんな風に答えを受け取ることができたのなら

 

どんな「問い」への「答え」も必ず用意されている。

 

私が私の言葉をちゃんと聴くならば

 

必ず適切なタイミングで、その「答え」を受け取ることができるんだ。

 

 

 

 

 

 

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