数字から逃げるな | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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今、アクセス数がちょっと高いところにあるので、もし私のことが嫌いでなければ、ちょっと聞いていただきたいことがあり、こういう機会なので、書こうと思います。

 

 

 

監査の意味

この受験を長きにわたってしていると、よく耳にすること

「監査はつまらない」

「監査しても感謝されない」

というものがあります。

 

私は監査人になりたいと思って受験生をしていますが、まだ本当の現場を知らないので、そう感じる人は多いのだろうなと、想像はしているものの、正直、「もったいないなあ」と感じることの方が強いです。

 

私は監査を見たことがないので、実情を知らずに何を受験生ごときが言うのかと思う本物の会計士の方もいると思いますが、よろしければこのまま聞いてください。

 

 

私にとって監査とは、

 

人の命を救うこと。

 

人の人生と生活を救うこと。

 

だと強く思っています。

 

 

正しい会計報告を世に送り出すこと、これはとても重要です。

 

正しくない会計報告とはつまり、偽りの数字を世に出すこと。

 

たとえ出そうとしている会計報告が赤字だとしても、正しい数字を出すことが、何よりも大切なことだと、私は思っています。

 

なぜなら、「数字から逃げてはいけない」からです。

 

 

人間って、見たくない数字は見なくなるんです。

 

見たくないものには、蓋をしたくなる心理が強く働きます。

 

でも。

 

逃げた先には、必ず「その人が逃げた分だけ別の誰かがそれを背負うことになる」からです。

 

必ずね。

 

経営トップが数字から逃げれば、その数字の実態を背負うのは、株主ではなく、間違いなく従業員と取引先です。

 

監査人の名目は、株主を保護すること、そのための情報開示なのですが、正直、株主は有限責任ですから。

 

損は出ますが、自分の生活を削ってまで投資をしている投資家はいませんから、その損で人生が吹っ飛ぶ人は・・・まあ、いないこともないですが、多くはありません。

 

それよりも、健全な経済を担保することの方が意味があって。

 

でもそれよりも、従業員と取引先は、直接的なダメージを受ける側ですから、私はそちら側の人を念頭に、ステークホルダーとして守る人だと言う気持ちがあります。

 

(もちろん投資家保護と健全な国民経済を守ることも当然に考えての上です。)

 

 

あ、ちょっと話がずれたんですが。

 

会社が数字から逃げても、いつかは本物の数字が返ってきますし、そうなったときには、実態から発生した本物の痛手を追うことになるのは、従業員と取引先です。

 

だいたい、世の中の多くの物事は・・・これは私の独断と偏見の考えですが、「逃げた先には一番弱いものがその痛みを背負う」っていう見えない連鎖があります。

 

 

人間、本当の現実を正面から引き受けるのって、怖いんです。

 

だから本能的に逃げる人がいるんですが、その逃げた目の前のものは、逃げれば消えることなどなく、それはそのまま、誰かに引き継がれることになります。

 

たいていこのとき、一番立場が弱いものが、それを負います。

 

 

いきなり個人的な話を書きますが。

 

私はPTSDだったと書いていますが(いちおう念の為書きますがPTSDは卒業しています)、その原因は、根っこの根っこは家庭のいろいろがあったなと思っています。

 

あそこで親が逃げずにいれば、私はPTSDとなるトラウマに直面することはなかったとか。

 

あと、私の父は私の父でありながら父であることを拒否している人なのですが、それもまた、彼が、自分が逃げることを正当化しようとした結果でもあります。

 

私は人に比べると、みんなが「当たり前にあること」を持っていなかった幼少期がすごく強くあるんですが、その多くは、一人ひとりが「自分の置かれた状況をきちんと逃げなければ起き得なかったこと」が、すごくあります。

 

現実から逃げるって、ものすごく罪深いんですよね。

 

逃げた本人は楽になるんですけれど、その現実は消えることはないですから、誰かが背負うことになります。

 

それを背負うのは、たいていが一番立場が弱い者。

 

この法則は、絶対の法則ではありませんが、多くのことに当てはまるのかなと、私の中では思っています。

 

 

 

それに、この「現実から逃げるな」は、自分が事業主になったときにも思いました。

 

売上の成果、事業の成果、それがうまくいかないときにその数字から逃げれば、やっぱり相応の結果がついてきます。

 

どんなにダメダメな数字でも、ちゃんと向き合えば、その時は痛くてもその先に、ちゃんと数字は戻ってきます。

 

私が大学を卒業して実家に戻ったときにも、母の教室は正直言って荒んでいて、数字から母は逃げていました。

 

一番最初に言ったことは、数字から逃げるな、です。

 

しっかりとダメな数字を受けとめて、同時にダメな自分も認めて、そこから物事はスタートです。

 

やっぱ逃げちゃダメなんだなあと、すごく思いました。

 

 

 

監査にはわかりやすく言うと、「正しい会計報告」という考え方があります。

 

どんなに赤字でも、それが事実である限り、それをその事実を素直に開示することは「正しい会計報告」になります。

 

それを監査では、「適正」だと意見表明するわけですが。

 

これが、何よりも一番大切です。

 

 

経営者も、そして働いている従業員も、会社が置かれている現実をちゃんと知って、ちゃんと受けとめて、そこから会社をどうやっていくかを考えることが、何よりも大切なことです。

 

そこから逃げたら、あとは誰かがその負の数字を背負う。

 

そうならないために、ちゃんと、その時々に、現実の数字を開示することはとても大切だと思います。

 

 

監査はつまらなくて、いいんです。

ちゃんと出された会計報告が正しいか証明できれば。

 

監査は感謝されなくていいんです。

感謝されるということは、なにか負の事情があってそれが解消されたときに起きることなので(たとえば病気が治ったとか)、感謝されるようなことのない状況の方が、平和なんです。

 

 

たとえマイナスの数字でも、正しい会計報告がされれば、ゆくゆくは、それは従業員と取引先を守ることにもなります。

 

もしその会社が利益が出ずに倒産することになったとしても、正しい数字があればそれは事業再生にも有効な資料になりますし、上場企業がいきなり赤字で一期でドンとつぶれることは稀ですから、従業員も取引先も事前の構えがとれます。

 

というか、倒産する前に正しい手を打つためにも、正しい会計報告を開示して現実を受けとめることで、冷静にとるべき戦略を打つことが可能になりますから。

 

これが一番大切なことです。

 

 

 

ということで。

 

私の中には、会計士になりたい理由が実はいくつかあるんですけれど(まだ他にあるんか)、その中の一つを、ちょっと勢いで語ってみました。

 

 

次は真面目に、理論編を書きます。

 

 

読んでくださって、ありがとうございます。