わたしの公文 - ① | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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*・*・*小学生娘の母*公認会計士試験に向け学習中*・*・*

最近、公文を始めました。

 

私が。

 

 

公文はじめました

娘はすでに公文3教科を勉強していますので、私の方です。

 

何度も言いますが、もう一度言います。

 

私が、公文を始めました。

 

あ、教室の指導者を始めたのではなくて、生徒です。

 

 

 

 

公文生ではない

私の母が公文の教室をしていることは何度か書きましたし、私も公文の教室をしていましたが、ここで一つ衝撃の告白をします。

 

子ども時代、私は公文生でしたが、公文をほとんどちゃんとやったことがありませんでした。

 

えっと・・・

 

ちょっと今さら何言い始めてんのという話なのですが。

 

 

親が公文の先生をやっていると、だいたいは自分の教室に通わせるか、または近隣の他の先生の教室に通わせるかします。

 

私は前者で、母がやっている教室の生徒でした。

 

実際に、私の手元には時々、公文のプリントがきました。

 

でもそれは、「毎日きちんと」ではなく「ときどき」です。

 

しかも、どさっとまとめてプリントがきました。

 

まず、公文的には「ありえない1」が、公文はその子の出来具合を見ながら、もう一度復習させるとか、次の学習ステップに進むとかを、毎回、教室で必ず考えてから出しますが、私に対しては復習をどうするかなど一切なく、ただ単調に順番にプリントの番号が進むだけでした。

 

しかし公文のプリントの進め方は、いわゆるスモールステップというもので、その子の「ちょうど」を見極めて、今その子の「復習すべき」または「もう次に進んでOK」の程度を、細かく刻んで進んでいきます。

 

その当然のスモールステップなど全くなく、まとめてプリントが番号順にどさっと手渡されます。

 

つまり、私の出来具合や復習の必要性などは、ど無視です。

 

 

 

でもまあ、律儀に私も子ども心に取り組みます。

 

解いて、そして母に渡すのですが。

 

しかしそれは一向に採点されません。

 

もう一つ、公文的に「ありえない2」のが、公文というのは子どもが「100点をとれる喜び」という日々の大切な達成感を得ることを重視していて、必ず採点して、間違えたら直して、最後に100点まで必ず仕上げることを徹底していますが、私にはそれがありませんでした。

 

あまりにも悔しくて、教室の時間に、先生に見てもらう列に並んで渡しましたが、それも「あとで」とポンと横に置かれたまま、忘れ去られました。

 

公文には必ず「成績表」といって、各自の採点結果を記録する冊子があるのですが、私の場合は、成績表が1ページ以上埋まった記憶はありません。

 

というより、私の成績表はないのが常態化していました。

 

でも、時々渡されるプリントを解いて、いちおう生徒の体を保っていて、そしていちおう、3学年先学習者になっていました。

 

だいたい2学年か3学年先近くを解くことはできていましたが、実態と比べようにも実態がテキトーすぎて。

 

正確な実際と申告内容が一致はしていなかったと思います。

 

 

 

とどのつまり。

 

母が、私を「教育」しようとした記憶はほとんどありません。

 

生活に関しては、その辺はだいたい普通の家庭と同じで、いわゆる放置ではないですが、ただ、母の肩書きに比して私に与えられた教育らしきものは、何もなかったです。

 

放任というか、母から「こういう子に育てよう」という意志を感じたことは、今も昔も一ミリもありません。

 

そんな状態であり、「あんたこんなことも知らないの」ということはよく言われましたし、質問しても「どうしてこんなこともわからないの」と怒鳴るので、私も母に勉強を教わろうと思うことすらなくなりました。

 

正直、勉強関係で母から肯定されたことは一回もない一方で、否定されたり呆れられることは何度もありました。

 

私は幼少期に手術することになったりと、そういう意味で母から心配してもらえて、一人っ子で、だから生活上では大切にされていましたが、でも、勉強に関しては完全に別人でした。

 

今大人になって冷静に振り返っても、私への愛情はちゃんとあるなと感じる反面、意味もなく勉強では叩きのめされ全否定されることがちょこちょこと起きるのは変わりません。

 

会計士の勉強している今も、私が隙を見せて何かぽろっとこぼすと、すぐにマウントと全否定は変わらずしてきます。

 

だから、公文もちゃんとやらせる気がどこまであったのか、かなり疑わしなと思っています。

 

 

結局、私は公文が一番得意とする「反復練習」「プリントをひたすら解きまくる」という経験が、ゼロなんです。

 

正直、やりたかったですよ。公文を。

 

なにより100点ほしかったです。

 

 

 

量的概念がない

今ここで書いたことも大きな問題ですが、それよりももっと問題だったのが、量的概念が育たなかったことです。

 

私が初めて数字を書くようになったのは、4歳の病気のとき。

 

母が、模造紙を10センチの幅に細長く切って、それをつなげて貼り合わせてロール上にしたものを、病室に持ってきました。

 

そこから私は、毎日数字を書くようになりました。

 

1,2,3,4,5,6,7,8…101,102,103…1234,1235,1236…

 

「数書」というもので、書いて書いて、ついには4桁くらいは数字を書き続けていたと思います。

 

1の次は2、2の次は3、そして9まで進んだら0を書いて、同時に隣りも次の数を書く。

 

ただ意味もわからず。

 

そう、一番の問題は、意味がわからないままに、ただ母に言われた法則にのって書き続けていただけ。

 

量的な概念などなく、「増えていく」ということすら知らずに気づかずに、ただ数字を「書いていただけ」の数書をしました。

 

 

足し算も公文で初めてしましたが、1+1=2というのは、1の次は2だから2と書く、+2が出たら次の次を書くと覚えました。

 

公文のプリントは、まず「+1」ができるようになったら「+2」ができるようにして、次に「+3」「+4」と足す数を増やして足し算をすらすらできるようにしていく構成になっています。

 

だから私は、「+3」になったら「+2でやった答えに次の数を書けばいい」「その答えを覚えなさい」と母から教わり、+3の答えを丸暗記して、それから次に「+4も+3の答えの次の数を書けばいい」「覚えなさい」となって、それで4の足し算を丸暗記しました。

 

その頃は「何度もできるまで同じプリント」が出されました。

 

ただし、「できるまで」というのは「+4を全部暗記するまで」という意味です。

 

そうやって私は、足し算を全部、暗記しました。

 

これ、ものすっっっごぉく、怖いことです。

 

 

最終的にやっているうちに足し算を覚えてしまう、というのは問題ありません。

 

問題なのは、「量の概念が全くないままに足し算を『文字的な世界』で全部丸暗記した」ことです。

 

 

目の前にある物質に「かず」があること、それは「かぞえられる」こと、それを合わせたり減らしたりすることを、幼児が自分の目と手を使って「知る」「学ぶ」という過程は、成長過程の認知力に大きな影響を与えます。

 

「実体」という現物に「数字」という文字を当てはめるということは、幼児にとってはとても高度な「概念理解」になるのですが、それを全くしないということは、子どもから「概念」という世界観を育てる機会を奪ったということになります。

 

数の世界は、子どもが「理屈」を理解する第一歩。

 

数の理解を契機に、理屈でモノを考えたり、論理的な思考力を作り始めるきっかけになると私は考えています。

 

子どもはたくさん外で遊んで、それを「机上」で見た時に、そこには自分の世界のいろんなことが紙の中に表現されているわけで、たくさん遊ぶ経験があってこその、机での学びになります。

 

ところが、私の母は、この「経験」を完全に無視ししました。

 

 

この後で書きますが、私は幼稚園にほとんど行きませんでした。

 

毎日毎日、ただお茶の間でひとりぼっちの自分だけが思い出されるだけで、幼児期、外で遊ぶこともお友達と遊ぶこともほとんどありませんでした。

 

子どもなら知っている歌も、遊びも、ほとんど知らないままに小学校に入りました。

 

でも、足し算も引き算もできました。

 

全部、暗記で。

 

 

この影響は、図形がわからない、時計がわからないなどにも出てきました。

 

私は公文のプリントでやったものはできるけれど、それ以外の算数も理科も、基本的に遊びや学びの「経験」がないと理解できない学習は全くできない子に育ちました。

 

数の概念がそもそも基礎がないので、分数も意味がまったく分かりませんでした。

 

分からないけれど、公文で分数計算できるようにはしていたので、はたから見れば私は「勉強のできる子」でした。

 

2分の1は、「半分っていうやつだよね」だということは察しがついても、3分の1が図に描かれても「え?」だし、3分の2はもっと「わけがわからなくなる」という世界でした。

 

6年生になっても、分数はわかってなかったです。

でも、解けていました、分数。

 

 

図形の○も△も□も区別がつきにくかったですし、時計が60刻みの概念だということも理解しづらかったです。

 

てこの原理とか滑車の法則とか、ちんぷんかんぷん。

 

 

っていうところで、ちょっと話がまだ長くなってきたので、少しここで一旦切ります。

 

 

また、この続きは次に。