回顧録:大学時代 | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

子育てしながら◆公認会計士試験◆

*・*・*小学生娘の母*公認会計士試験に向け学習中*・*・*

今日は祝日です。

 

娘も学校がお休みで、学童もお休み。

 

で、夫が休日なら私はコワーキングスペースへとしたいところですが、本日は夫は出勤日。

 

製造業って、だいたい週の真ん中にある祝日は稼働日になることが多いんですよね。

 

とはいえ現場ではないので、バックオフィスだからだいたいが定時でさっと終わって帰ってくるし、なんならこの日に有給をとる人も多いのですが、夫は律儀に出勤しています。

 

そんな緩みがちな今朝、なんだか夢と現実のはざまをうろうろするようにして、昔の自分をたくさん思い出しました。

 

白昼夢で昔の記憶がぶわっと出てきました。

 

これまでは、過去のことは、匂いも感覚も全部白黒映像になってあまり思い出さなくなっていたのに、なんだか急に。

 

 

思い出して、いろんなことやったんだと気づきました。

 

バイトは池袋で自動車保険のコミュニケーター、銀座で無農薬ジュースのホールとか。

 

あと、全く趣味ではないけれど誘われてコミケのスタッフ。

 

それから巫女舞の修行を1年間やってました。

 

 

 

 

コミュニケーター

今ではCMでもお馴染みの、事故にあったら電話するフリーダイヤルのコミュニケーターです。

 

全国一極集中型のセンターだったので、北は北海道・南は沖縄から入電があって、方言に苦労しました。

 

一番焦るのは、電話に事故の相手が出てきてわーっと怒鳴られることだったかな。

 

私は担当者ではないので、いわゆる折衝関係は一切口にできないので、かなり神経を使いました。

 

責任の有無に関しては些細なこともノーコメントを貫かなければいけなかったので、それだけで事故相手が電話に出てきて逆ギレ怒鳴るパターンもなくもなかったので、たいへんでした。

 

 

 

無農薬ジュース

銀座6丁目に無農薬ジュースのお店を始めるというスタート段階からバイトに入りました。

 

今では家庭用もある遠心分離機タイプのジューサーが、まだ業務用でも珍しい時代で、大型のジューサーで1杯ずつ作って提供していたのですが、駅のホームに店舗を出す案が出たものの、今もあるあのジュース屋さんにコンペで負けたようで、チェーン店構想もそこから消えてしまい、今はもうどこにもありません。

 

ちなみに、お店に置いておくミニコミ紙の原稿も書かせてもらったりして、この辺から「文章を書く」ということを意識し始めるようになりました。

 

 

 

コミケ

人生の中で、こっちの世界と接点があるなんて全く思ったこともなかったのですが、友人に誘われて、まったくの部外者の私が、コミケのスタッフに参加しました。

 

その部署が、企業対応部。

 

いわゆる印刷業者さんや制作会社さんなどの半分身内のような企業対応部と、宅配便業者さんや自販機や飲食店などの完全に外部の企業対応部の2種類があって、私は後者の完全外部の企業さんの対応をしていました。

 

「なぜ私が誘われたの?」と聞くと、「いたってノーマルな人が必要だったから」という返事が。

 

私を誘った友人は、私を置いて印刷業者さんの方の対応にいたので、ほぼいきなり放り込まれ状態で、たぶん4〜5回ぐらいやった記憶があるから2年くらいしたのかな。

 

その部署の拠点は本部のすぐそばだったので、それゆえか?机の上には貢物の有名同人誌が山ほど積まれていましたが、私はそれには全く目もくれずに、宅配業者さんの対応に東奔西走していました。

 

かなり重宝されましたが、個人的にはいたって普通に働いていた(無給だけど)だけですが、いろいろと経験を積ませていただきました。

 

炎上している部署には度胸で乗り切ることを覚えたのも、このころかも。

 

 

ということで、コミュ力と突破力は、この大学時代に身についたんだなということを思い出しました。

 

 

どれもこれも、どうでもいい話なんだけど、朝の夢があまりにも鮮明に昔のことを思い出して、気持ちの行き場がなくなって、ちょっと頭の中がパンパンになって困っています。

 

 

 

 

巫女舞

経緯は省きますが、巫女舞の修行を1年しました。

 

いちおう伊勢神宮の神楽を、引退された方から教えていただいておりました。

 

1年程度しか学べませんでしたから、浦安を覚えたのがやっとですが、月に1回、京都に通って教えていただきました。

 

御作法もろもろ学んだものの、あの当時は、記憶するという行為そのものがとても難しい状態でしたので、高天原(祝詞)もちゃんと覚えきれず、そういう自分が本当に申し訳なくてやめることにしました。

 

潔斎や、身を整える、心を整える、そういうことがきちんとできなかった自分に慚愧の念がたえなくて。

 

やめたその日から、「歯を食いしばらずに自分に諦めやめたこと」と「『きちんと』という類のことができない自分」に大きな後悔が残りつづけ・・・それは今もあります。

 

この勉強を続けているのも、「きちんとやりたい」という気持ちで続けている一端は、間違いなくここからあります。

 

 

あと、さらっと書きますが、いちおう御護摩が焚けます。

 

免許皆伝(といっても亜流の免許ですが)なので、真言宗の御護摩を焚くシーンをみると、すっと揃ってお作法ができます。

 

野球選手がお正月に参加している御護摩や、お正月のCMなどでチラッと映る、あの御護摩です。

 

 

こういう変わった経験があるので、「身を処す」とか「御作法」といったものへの適応力はある方かと思います。

 

茶道やお茶などのたしなみはありませんが、やってみたらすんなりできるような気がします。

 

 

大学生だった時分、遊んだ記憶はあまりなく、なんだかいろいろ関わっては人から誘われることも多く、いろんな経験が積めた時代ったように思います。

 

母が早稲田だったので、「大学は行かない人間が勝ち」みたいな価値観だったのも手伝って大学は行かないでいいと思い込んでいましたが、私自身は東女だったので、真面目に学生生活をしている周囲の女の子からは、ダメ子ちゃんでした。

 

正直、大学時代にもっといろんな勉強しておけばよかったと思っているので、私のダメ子は本当に心から反省しています。

 

でも好奇心はちゃんとあって、よくお茶の水・神保町のカフェで本を買っては読みふけるのが趣味でした。

 

東大教養部出版の本がけっこう好きで、もっと努力ができる人間になって東大でいっぱい講義三昧という人生もよかったなと妄想することはありました。

 

 

今は、たくさん勉強できる人生を歩めているので、「今は幸せな人生になれているんだ」と、ふと足元の環境に嬉しくなったりしています。

 

ただ相変わらず受験勉強は下手なので、ちゃんと「学びに甘える」自分を排除して、点を取ることにしっかりと集中したいなと思っています。

 

 

すみません。

今日は10時間できていません。

 

もう後半の後半ですが、あらためて気を引き締めて頑張ります。