今日はクリスマスイブということで、内容は子どものこと、おうちのことにさせていただきます。
なぜイブだから子どもなのか、関連性は特にありませんが。
毎年、12月短答が終わるとツリーを出して飾るのですが、今年は娘から11月末には「ツリー飾りたい」と言われてしまったので、夫に依頼をして飾ってもらいました。
プレゼントを選ぶのも例年なら短答後ですが、今年は候補を先にあげておいて、こっそり夫と候補をあれこれ話し合って、短答後にネットでぽちっとしました。
昨年は、ツリーの足元にプレゼントを置いてから寝るつもりが、うっかり失念してしまい、朝になり飛び起きて駆けつけた娘に追いつけず、「プレゼントきてない!!」という言葉に、ダッシュで玄関に向かって(行くフリをしながらプレゼントをピックアップして)、「サンタさん今年は玄関に置いていったよ〜」という三文芝居を朝からやってのけました。
今年こそは、ちゃんと置いてから寝なければっ!
昨年のプレゼントは、ファーバーカステルの「色鉛筆36色」と「水彩筆」と「お絵かき事典」にしてあげたら、ものすごく喜んでくれて、特にお絵描き事典はボロボロになるほどで、水彩も週末によく水筆でお絵描きをしていいます。
今年は、「ニンテンドーとかサンタさん高いからダメだよね?」と、真剣にサンタさんの懐を心配して安いものを希望しているようですが、一方で「去年は私の想像を遥かに超える素敵なプレゼントだったから今年は何か楽しみ」と、ハードル高めに設定してきて、こちらは内心プレッシャーです。
ところで、貴女はサンタさんを誰だと思っているのかしら。
まだ、大丈夫なのかな?
12月もそろそろ年仕舞いです。
今年はコロナでも比較的学校生活を謳歌できた方です。
というのも、昨年はコロナで行事もなかったですし、その前の一昨年にしても、娘自身がIgA血管炎などで思うように学校生活が送れず、一昨年1年生の時の一番の残念は、せっかくの音楽会で木管3人の1人に選ばれたのに、学校に急に行けなくなった時期と重なってしまったこと。
クラスの木管も1人減らしてしまったし、申し訳ないし、娘も頑張って練習していたので残念でした。
今年は運動会(半日)もできましたが、ただ、喉の痛みが2週間ほど続いて、遠足が行けませんでした。
その頃は、喉や咳熱で学校を欠席せざるを得ず、当時は感染のピーク時のため小児科で「ただの風邪」と言われても登校できない時期で、泣く泣く欠席しました。
来年は、遠足行きたいねー!
あと、小3となると女子はグループ化が顕著になってくるお年頃で、「一緒に帰ろ」と誘ったら断られたということが続き、学童の小3女子の中でギクシャクしたので、学童の指導員の先生といろいろと話をしたのも記憶に新しいです。
たくさん娘とも話しました。
女子は難しいですし、集団の中の自分をどうしたいかは娘自身の個性にもよるので、話をしながら、ゆっくりと自分の居場所を作っていけるようにフォローしていきたいなと思っています。
話はかわりますが、今年はピアノを弾き始めました。
というか、遊びのピアノはたくさん弾いているのですが、ちゃんとレッスン受けて練習するようになりました。
ピアノは土曜日なので夫が同伴していて、最近になって先生から「もうお父さんいなくても大丈夫みたいですよ」と言われたそうですが、本人が「俺がレッスン聴きたいんだよね」というセリフを家で私に言ってきて、それを聞き笑ってしまいました。
何度か書いていますが、夫はトランペットが趣味で、今は長期休眠状態ですが、市民吹奏楽団やら、Jazzのセッションやら、素人のファンクのブラス(イメージはスカパラのファンク系)だとかやっていた人です。
中学から吹奏楽部をやっていた人なので、娘のピアノの練習は夫に任せてますし、普通にメトロノーム出して拍を確認したり、休符もしっかり取らないと気づきますし、私より厳しいです。
でも本人の中には、「楽譜をピアノ習っていた人のようには読めない」コンプレックスがあるようで、「ピアノのレッスンは俺の勉強にもなるし俺が楽しい」と言っています。
うん。ここは順調。
あとは、公文かぁ。
実は私が思っていた以上に成長したのが、公文です。
今、順調に…国語はFⅡ170まで進み、算数はE161をして、この秋に英語を追加して現在はE10に入りました。
↑あえて公文学習経験者でないと分からないように書きました。
通常は、算数も国語もDに入るとつまづくことが多いのですが、そこは私の指導者経験から、Dでの苦しみを減らせるように、AやBなどで丁寧に丁寧に焦らずじっくり進ませた結果、すんなりDを終わらせ、Eも楽しそうに進んでいます。
特に国語は、今年小3でFが終了するので、トロフィーがもらえるところまできました。
一時期は3教科をすることに負担を感じていたのですが、いきなりある日を境に、3教科するっとこなせるようになり、今は毎日自分から進んで宿題を終わらせています。
英語の読みも書きも、すっとできているので、耳も手も目もちゃんとこっそり育てていた甲斐があったなと感じています。
今まで公文のことは自分が指導者だっただけに、ほとんど書きませんでしたが、実はものすごく「仕込み」をたくさんしてきて、ここにきて華が咲くように成果を出せているので、とてもホッとして今日は少し饒舌に書きました。
少し公文の話を。
公文というのは、教材の進め方に緩急が必要なのと、家で日常の中で「たくさん遊ぶ」「たくさん本に触れる」「自然に英語に触れる」ということをすることで、公文のプリントから得られる実が大きく違ってきます。
特に「たくさん遊ぶ」が大切で、ここを疎かにすると、ただの計算マシーンを育てるだけになってしまいます。
私が公文の教室をしていた時には、教室が「私立受験希望の子」と「普通の子」と「お困りで飛び込んできた子」の3層あった感じですが、私立受験のご家庭はともすると勉強させすぎで遊ばない傾向があり、お困りのご家庭は遊びは多いのが良くても机上と連動させる食卓の会話が少ない傾向があり、そうなると、教室だけで子どもに「幅」を持たせることに必死でした。
理想は、普通のご家庭で、たくさん遊んで、その遊んだことを子どもがいっぱい喋ってくれて、そこから親が発見を褒めてあげると、勝手に学びの多い子に育ってくれる傾向があります。
それと、公文の学習は計算を短調に繰り返していくので、機械的にプリントを解くという結論を子どもに与えてしまう危険があり、それはその子の可能性はまだまだ引き出せる余地を残してしまっていると私は思っています。
もちろん、「繰り返し解けばできるようになる」という確信を子どもに持たせられること自体、これは大きな宝です。
よく大人が「公文は計算だけ」と言いますが、私はそんな言葉に断固として反論したいです。
「計算だけとは言わないでほしい。その宝はかけがえのない子どもが努力し続けた達成した成果なのですよ」と。
それに、本来の公文氏が始めた公文式は、計算だけではない、そのほかの宝がたくさん得られる学習式です。
「自立」「自律」だとか「考える力」だとか「挑戦する力」だとか「読んで学ぶ姿勢」だとか。
計算だけでも身につけられることは、すごく価値のあることなのに、それを否定する「計算だけ」という言葉は違うなと思いますし、それに公文式は、計算にプラスして子どもたちに与えられる宝は実際にはたくさんあるということです。
ただ、指導者の中には、結果的に「計算だけ」の成果しか与えられない人の方が多いというのが、また残念なところです。
と書きつつも…「計算だけ」という子も、その「計算だけ」を支えるための隠れた力はたくさん身につけているものなので、たとえば自律とか挑戦とか、必ずしも「計算だけ」の子はほとんどいないので、どんな子も、必ず本来の自分より伸びているのは間違いないです。
あ…公文の先生の顔が出てきそう。
いや、これは出過ぎました。
引っ込めます。
さて。今日はイブ。
今年は夫がイブ風の夕飯を考えてくれているようです。
娘を学童へお迎えに行き、夫も合流して、どこかにケーキを買いに探し歩き、今日も残り数時間いい日にしたいと思います。
みなさんも、良いイブを。