サイテーな標題になったと思います。
心からお詫びします。
撤退すると言った件について、撤回させていただきます。
受験からの撤退について撤回します。
22年目標で、もう1年継続します。
そのための資金繰りで6月は慌ただしく動いていました。
とはいえこのブログについては完全に復活させません。
積極的にブログに投稿することはないです。
基本的にはこのまま勉強に集中します。
ただ受験の経緯や結果などで書くことはあります。
ここ数日、実はこのブログを読んで会計士の勉強を始めたという人が何人かいることを知り、考えさせられました。
それもあって、ここはきちんと最後まで結果は書き切らないといけない、そう思うようになりました。
22年目標で継続の結論は、6月上旬には決まりました。
この話の裁量権は夫にあります。
短答の翌日に自己採点をしてダメだと分かった翌日から、「俺はもう疲れた」と2週間ほどこの件にはダンマリを決めこんでいた夫に、「もう辞めて欲しいと思っているならそう言ってくれていい」と私も覚悟を決めて夫婦会議を提案しました。
その上で話を始めると、「あと1年やってみよう」という思わぬ返事が返ってきて私もかなり驚きました。
「正直、少し前までは、やっても無理だ受からない…と思っていたんだよね」、というこれまた驚きの告白。
いや、でもそう思うのもその通りだと思うんです。
娘と神経衰弱しても、なかなか勝てなかったのを見ていたので、夫もだいぶ私の現実を心配していたはずです。
以前にも書きましたが、私はPTSDの影響で、自分の記憶力が相当に悪化していることで、なかなかこの勉強で思うような結果が出せずにいました。
実際にGoogleで調べてみると、PTSDで海馬が萎縮することは知られており、私は、短期記憶を維持することの難しさと、あと過眠と不眠の繰り返しで悩まされていました。
とはいえこれは20年前の話。
PTSDも臨床心理士の先生から「太鼓判の卒業証書」をいただいていますし、心理的な負荷からは解放されています。
また、メンタルが安定すれば海馬の萎縮も「元に戻る」ことは脳科学で確かめられていますし、実際に、日常生活ではその手応えを感じる程度に回復していることは事実です。
でもやっぱり、娘と神経衰弱をすると負けるのです。
結婚してしばらくするまでは、買い物もリストを書かないと覚えていられないので、メモは必須でした。
まあ、そんな状況でこの試験に手を出した私は大馬鹿者といったところですが、それは、はい、反省しています。
だけど、チャレンジしたいって思ったんです。
海馬もいつか元に戻って、記憶力もいつか戻るって信じた自分がいたんです。
ただここまで時間がかかるとは思わなかったし、もしかしたら途中で挫折感のまま継続を断念していた可能性も、頭の中のどこかで覚悟していました。
ここまで続けてきた理由はただ一つ。
毎年、自分の中では成長を感じられたからです。
人からは見えないところで、私は自分の実感としては、できることが一つ一つ増えていった感覚はありました。
勉強していたから尚更、小さな変化も成長も、すごくリアルに感じられたんだと思います。
最初は、自分の物覚えの悪さは忘却曲線のせいだと思っていたのですが、いやいやそういうレベルではないと。
そもそも、忘れてしまうのが問題というより、「覚えられない」っていうことに頭を抱えていた時期はありました。
例えば、テキストを開いていくつか覚えて、一旦、閉じる。
そして頭で覚えたことを想起する・・・が、できない。
覚えたものを忘れるという以前に、そもそも覚えられないという現象が長く続きました。
それもあって、どちらかというと手応えのあった計算の方を注力して進めていました。
あと、これも不思議なのですが、理論を「暗記」することは難しいのですが「理解」については、どうってことない。
大学でもそうだったんですが、哲学の原書(哲学科だったので)を読んでも、重たかったですが、理解できないということはなかったんです。
なので、馬鹿みたいに講義を聞いて理解することには重点を置いて、ただただ勉強を続けてきました。
それが最近、覚えられるようになって、日常生活でも、娘に神経衰弱で勝つことが出てきました。(でも最近になって彼女がさらに強くなってきたので負けることがまた出てきたけれど。)
答練でも「ちゃんと覚えている」状態で回答できる範囲が一気に増えてきました。
日常生活でも、夫も何か気づくものがあるようでした。
そして何度も繰り返して言っているのですが、3月に入ってからいろいろと整い始めて、私もだいぶ変化がありました。
また、私がずっと勉強を続けているのを間近で見ていた夫にも思うところが出てきたようです。
夫はどう私を見ているのだろう…と思っていました。
中国から帰ってきた夫が、まざまざと勉強をしている自分の妻の姿を見て1年半が経ち、勉強づくしの生活を夫がどう思うかが、私としては大きな問題でもありました。
妻の受験に納得いかない夫、理解はしたいけれど長期の受験に付き合いきれなくなった夫、夫婦間の理解のずれで、受験をやめたケースは過去に見てきたので、我が家も例外ではないというハラハラした気持ちは常にありました。
その夫から「やってみたらいいよ」と言われたことは、なんというか青天の霹靂でした。
「もしかしたらいけるんじゃないか、って最近は思ってきている」と。
「ちょっと前までは、やっぱ無理でしょと思っていたけれど、あれだけ勉強していて、最近の様子を見ていて、もしかしたらこのまま頑張ればいけるんじゃないかと思った。」
「ただ俺自身は疲れちゃっているから、直前期のように家事をいろいろするには少し時間がほしいけれど、そっちはそっちで動き出していいから」という返事がきました。
一番信頼してほしい人に、やっと信じてもらえました。
そう、本当に最近は記憶することがスムーズです。
PTSD前、中1の頃までは、理解した教科書や、全文を書いた英語の教科書は、丸ごと記憶できていて、中間テストでは頭の中でページをめくって、教科書を頭の中で読んで答えを書いていたなんていう時期もあります。
ドラゴン桜のけんた君が、合格発表で瞬間的に目で見た掲示板を、頭の中で目を動かして数字を拡大して「あった!」というシーンがありますが、あれに似たような感じが私にもありました。
あれほどの高次元の脳力ではありませんでしたが、理解したものであればしっかりと目で見て暗記して、頭の中でページをめくって目を動かして拡大したり縮小したりして、読みたい文字や数字を読む力がありました。
それが、買い物行くのにもメモがないと困ってしまう程に低下したのですから、なかなかの落差です。
でも最近は、「まず覚える」ができるようになり、「それが残る」ことも同時期に増えてきたので、答練も短答本番も「できたものはできたもの」として確信を持って答えられていました。
それでも生活を見ている夫が「ダメだな」と思ったのなら、それはまだ自分の過信にすぎないと思っていたのですが、夫も私を見ていて「いける」と思ってくれたのだから。
だから、やるしかないです。
記憶力が戻ってきたとはいえ、膨大な量を暗記しなければいけない試験で、それが太刀打ちできるレベルに戻っているかは、正直わからないです。
脳科学を持ってしても暗記の程度を測定できるわけもないですし、「とにかくやってみて」覚えていくことをしなければ、なんにせよ結論は出ません。
というより、鍛えて、戻すという感じです。
鍛えるのが一番だとしか、今は思っていないです。
とはいえ私は、勉強のやり方が下手なので、そこは自分に合った自分のやり様をしっかりと見極めて、きっちり効果的に動かさないといけないなって思います。
まずは、昔自分が得意だったやり方で、暗記をすすめてみようと思います。
そして計算力も、もう一段階アップさせようと思います。
1級を確実に射抜ける力は、今はまだついていません。
仕訳も精度を上げて覚えていくことにしました。
今、娘の病気の関係で登校も車で送って行き、帰りは学童までお迎えに行くなどして、送迎で時間を取られるのですが、そんな時間用に、細切れの時間に仕訳を覚えています。
以前の私からは、仕訳集を覚えるなんて、信じられない!
というぐらい、今はできることが嬉しくて仕方ないです。
最後に、少し愚痴らせてください。
実は6月に入ってからですが、ある人から強く叱責を受けました。
「本気になって勉強しないならいつまで経っても受からない」「会計士じゃなくてもいいんじゃないか」という内容で叱責され、かなりショッキングな話に、なんというか、メンタルを平常に維持するのにかなり労力を使いました。
強く気持ちを保てない日もあって、涙がこみ上げてくることも何度もありました。
その人からすれば、私が漫然としていて、いつまでも勉強に本気に取り組んでいないように見えたんでしょう。
事情を知らなければ、当然の言われようです。
そして私のこういう話も、きっと知ったとしても「言い訳」として届くように思います。
大学時代もそうだったなと思い出します。
普段、全く普通に生活をして幸せそうに笑っているので、親友以外は誰も私の事情は知りませんでしたから、私のできない姿を見て、叱責されることは時々ありました。
手を抜いているとか、怠けているとか、言われたことも。
「やればできるのに、やらない」「そんなの言い訳」とも言われたこともありました。
言われても、その通りです。
現実、私がどんなに事情があっても、この試験もそうですし、社会では当然のラインがあって、そこをクリアするかしないかは個人の理由は関係ないからです。
だから、「できない自分」を甘んじて受け入れるしかありませんでした。
できない人でごめんなさい…って。
だからこの会計士の受験をすると決めた時も、いつかできるようになるために、人からはどう見えるか分からないけれど、ただただ続けるしかないと腹を括ってきました。
また続けるに当たって、私の個人的な事情をこのブログ以外で話すこともありませんでした。
ところが、今月、思わぬところからボディブローをくらう形で叱責され、なんというか久しぶりに苦しくなりました。
正直、この手の話をして、理解が得られる場合と、得られない場合、くっきりと分かれます。
メンヘラの烙印を押す人、そんなのやっぱり言い訳だろと言う人は、たぶんどんなに話して説明したとしても、理解してもらうのは難しいと思います。
今回は、いちおうこちらの事情は伝えましたが、結果としてどう受けとめられたかは、確かめていません。
確かめたところで、もし理解されていなかったと知った場合は、さらにダメージを上塗りすることになるので、とりあえず説明だけして、あとは静観することにしました。
ここで理解を得ることを頑張るよりも、自分の勉強を厚くして、少しでも、合格ラインに近づくことに集中しなければならないのは自明の理です。
だからこそ何度も忘れようとしたんですけれど、どうしても頭の中から離れなくて…それで、ここでとりあえず吐き出して、気持ちから消すことにしました。
どんな事情があっても、普通に勉強している人たちと同じ土俵でふるいにかけられるのですから、私の個人的な事情は、どこまでいっても、個人の話でしかありません。
ただし。
私の努力は、私の絶対的な指数で決まります。
人から見れば、私の努力も、比較した途端に相対的に足りないことには違いありません。
でも、私自身からすれば、絶対値です。
そこを否定されるいわれはありません。
試験は相対的に合否で決まりますが、私の努力は絶対値であり、これまでの自分の努力を否定するつもりはありません。
そこだけは、心の中で死守することにしました。
当然、しっかりと合格ラインを超えていく人たちと同じレベルに入るためには、人並み以上に、しっかりと自分を客観視して、相応の勉強をしていかなければと思うばかりです。
という決意を胸に、7月の勉強計画をします。
22年に向けてやるって宣言したのだから、どんな事情も関係なく、やりきらないと!
今日も、頑張ります。
それでは。
また節目や経過がありましたら、ご報告いたします。