孤独感、ではなくて孤立感。
共感できる人、共感してくれる人、が少ない孤立感。
夫と初めてデートをした日、夫が自分の仕事について語り始めた時に「コーチング」という言葉を口にしました。
今ではコーチングという言葉はそれほど聴き慣れないワードではないけれど、10年前、それも都市部ではない地方で「うんうん、それで?」と突っ込んで聞いてくれる女性は、珍しかった…そうです。
いやいや、コーチングぐらい知っているよ。
と普通に思っていましたが、夫の周囲にいる女性に、コーチングをテーマに議論する女性はいなかったみたい。
でも私は…
日経新聞はとっていたし、ニュース番組ならWBSだったし、大学生の時にはWBSの無料会員だったし、七つの習慣もベストセラー直後に山積みから買っていたし、経済や経営の本や話が好きでよく買っていたし、プレジデントもよく読んでいたし、カンブリア宮殿も好きな番組で、NHKスペシャルはいろんな特集が好き。
これ、自慢話をしているわけではないです。
男性が、20代からこんな考え方、こういう生活していても引く人はいないだろうし、「そっちに興味が惹かれるんだね」と認めてもらえるだろうに。
女性で経済知っていたり語ったりすると、自慢げに見えたり、上から目線かと思われたり、引かれたり。
私が面白い、楽しい、好奇心が湧くものに、周りの女の子はそう思わないので、こういう「本当の自分」は、ほとんど出したことはありません。
別に私と同じ趣味趣向の人じゃなくていいのです。
こういう私を「女の人で珍しいね」と見られない環境は、少なくとも今の私の周りにはありません。
女性だって、社会や経済に興味を持って何が悪い。
でも逆に言えば、なんで私の周りの女の子、女の人たちは、もっと言えば、おそらく日本の女性たちは、社会や経済について男性におんぶにだっこなのだろう。
私が特殊な存在ではなくて、私のように、社会や経済を論じる女性がもっと増えてもいいんじゃない?と思うことはあります。
孤独感はないけれど、社会的に孤立感を感じることは、20代の頃から度々ありました。
たぶん、見えないガラスの天井。
そのガラスの天井を、家庭のお母さんたちが「女の子だから」と、男の子とは違う育て方をしているんじゃないかな。
女性が、女性のガラスの天井を作っている気がします。
ただ、CPAの交流会で、とある出会った女性と意気投合したことがあって、その時、すごく楽に自分を出していて気持ちよかったことに気づきました。
その方も、自分の思う生き方を選択していたので、方向性や中身は違っても、互いの違いを尊重できる幅がありました。
会計士を合格したら、こういう女性と、美味しいお酒を飲みながら、話に華がさくのかなと思うと、これは頑張らない理由がない。
勉強するのが自然、努力するのが自然、頑張った分だけ失敗も多いけど、そういうこともあると受け入れられる器量もあって、頑張っている人を否定しない空気。
仕事の話をして、引かれることは一切なくて、自分の将来のあり方を語っても頷いてもらえて、そういう普通の空気の中で自分が思っていることを普通に話せたことが、すごく嬉しかったです。
とはいえ監査法人は変わり者が多いというから、そうそう居心地の良い職場が簡単に見つかるとは思わないけれど、新しい自分の居場所が見つかるチャンスが増えるのなら、それは努力のしがいがあるというもの。
そんな妄想を思い描き、今日も自分に喝を入れています。