短答だめでした | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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短答だめでした。

 

企業:45

管理:50

監査:50

財務:64

合計:209/500(41.8%)

 

ただ、(財務は置いておいて)実は総合的には今までの中では一番の出来でした。

 

正直、直前期というのに時間がうまく作れず、特に最後に理論の仕上げの暗記とアウトプットが量が足りていなかったので、とにかく本番は丁寧にとった感じです。

 

 

でも実は、さっきまでメソメソ泣いていました。

 

 

ここ数年、泣いた覚えがない。

 

少なくとも、点が取れなくて泣いたことはないです。

 

いつもはすぐに解答速報に飛びつくのに、今日は、試験が終わってからもずっと胃が落ち着かなくて、そわそわして、夕飯も少ししか食べられなくて、全く自己採点する気持ちになれなくて。

 

怖くて。

 

なにせ今まで過去の短答は、ふわっと解いていた…。

(驚愕の事実。)

 

ふわっと解いていることは分かっていて、でもそんなことは今さら言えなくて、今までずっとブログで書いたことはなかったんだけれど、かなり、相当ふわっとでした。

 

 

実は、それには理由がありまして。

 

 

私、20代前半PTSDだったのですが、その頃から、特に短期記憶が猛烈にできなくなっていたため、理論の暗記などは、驚くほど残らなくて苦労していました。

 

今これが話せるのは、過去形だからなんですが。

 

やっと今年になって、ついに、短期記憶に手応えが戻ってきて、覚えたことが残るようになってきました。

 

 

え、なになに?ちょっと話しがわからん。

 

 

すみません、いきなり話しがぶっ飛びます。

 

PTSD:心的外傷後ストレス障害

 

今では知っている人も多いかと思いますが、トラウマになるような出来事から、心理的なストレス性の障害を負うことを言います。

 

私は、子どもの頃に犯罪被害者となり、このPTSDになりました。

 

といっても、子どもの時分には、自己防衛本能から「なかったこと」にして、忘れたことにして、心理的には普通に生活できていました。

 

でも大学に入ると、パンドラの箱が開く気配を感じて、少しだけ過去の「なかったこと」を思い出し、「やっぱりもう向きわないとだめなのかも」と自分に喝を入れ、心療内科や精神科など探して探して、最終的には、専門家ではないとダメだと気づき、本格的に臨床心理士(現在は国家資格である公認心理師)の先生を探して、ちゃんとカウンセリングに通いました。

 

当時は、まだPTSDという言葉は知られてなく、「うつ」というキーワードだけでも、「ダメ人間」の烙印を押されて理解されないのが普通でした。

 

そこから世の中に知られるようになったのは、池田小学校の事件がきっかけで、PTSDという言葉が一般にも知るところになりましたが、私が治療を始めたのは、それよりも少し前の年だったので、なかなかPTSD専門の臨床心理士の先生を見つけるのも苦労しました。

 

幸いにも、アメリカでカウンセラーの資格をとって、日本に帰国して臨床心理士として始動した先生と出会い、本格的にカウンセリングを始めました。

 

メンタル的にはいろいろ苦しかったですが、鬱病ではなかったので、希死念慮や自傷行為はありませんでした。

 

それでも抑鬱状態ではありました。

 

不眠症にもなりましたし、過眠症にもなりました。

 

 

大学に通うのも、特に授業に出るのが大変でした。

 

とにかく問題だったのが、テスト。

 

フランス語(第二外国語)の選択授業でのテストが、どうしても「覚える」ことができなくて、毎年落第。

 

その一単位だけがとれなくて、留年しました。

 

フランス語の、不規則動詞が覚えられなくて、初歩的なテストが全くとれなくて。

 

最後には、教授会に諮られて、他の単位は足りて卒論もAだったので、無事に卒業できました。

 

 

学科は哲学科だったのですが、思考することには、暗記ほどに支障はなかったです。不思議と。

 

学力的に困難になったのは、海馬などの短期記憶で、しかも大学に入ってから新しく勉強したものは、ほとんど定着しませんでした。

 

パンドラを開ける以前の、高校までにインプットしたことを引き出すのはできましたが、新規のものは、かなりの分野で苦労しました。

 

 

その頃の頭の中は、24時間、頭の中で非常ベルが鳴っているような感覚で(音が聞こえるわけではなく非常ベルが鳴っている最中の不安感が延々と続く感じ)、それでほとんど眠れなくなり、不眠症に陥っていました。

 

で、その反動で過眠症にもなったり。

 

薬物治療も並行していましたが、ある程度カウンセリングが終盤卒業状態になり、お薬の方も、心療内科の先生と相談しながら徐々に薬を減らしていきました。

 

お薬が完全にゼロになったのが、27歳だったかなぁ。

 

 

 

振り返れば、

 

子どもの時代にPTSDのきっかけとなるトラウマを抱えたときから、実は、その時を境目にして、急に勉強ができなくなりました。成績は急降下です。

 

それまでは、カメラアイほどではないけれど、視覚的な優位性があって、「見れば覚えられる」子どもだったんですが、トラウマ以降は、急にそれができなくなりました。

 

浪人も2年しましたが、なんで大学に合格できたのか不思議でした。(たぶん源氏物語が高得点だった。)

 

浪人時代には、薄々トラウマの存在が頭にちらつき始めて、成績は最悪のまま回復しなかったので。

 

大学も2年留年しましたが、先に書いたように無事に卒業の許可がおりたのは、本当に感謝してもしきれません。

 

そして実家に戻りました。

 

就職氷河期の一番のどん底の年でした。

 

1年間、療養しながら母の仕事を手伝い、その後に個人事業主として、公文の教室を開業しました。

 

 

実は正直、その時は、まだ算数がおぼつかなくて。

 

大学卒業直後は、足し算引き算も、のんびりとしか出来なかったというほどで。

 

高速に処理をしたり、高速に採点したり、というのが出来なかったのですが、そこは誤魔化しました。

 

誤魔化している間に、だんだんと勘が戻ってきて、高校数学の基礎的なところなら解けるくらいにはなりました。

 

 

でも、まだ短期記憶の回復が芳しくないのと、音楽はどうしても聴く気持ちになれないのが、ネックのまま。

 

それが、トランペットを吹く主人に出会い(アマチュアです)、そこを契機に、自分の中にも音楽が戻ってきました。

 

 

で、残ったのが、短期記憶。

 

 

…ここに至るのに、長かった。

 

 

短期記憶と、あとは「俯瞰的に物を捉える力」もうまく動かせなくて、そんな状態のまま、簿記の勉強を始めてしまったわけです。

 

私からすれば、勉強することは、生きることでした。

 

精神的に不安定になりやすい自分を、一つ一つ折り合いをつけ、安定的に継続して勉強をする自分を目指すこと。

 

点滴穿石。

滴でも続けることで、石を穿つ。

短期記憶が不得意であろうと、とにかく勉強を続けることで、これを乗り越え、短期記憶ができる日を取り戻す。

 

 

その思いを持ってつづけてきました。

 

 

そして今年に入って、その突破口が見えてきました。

 

俯瞰でものが見えるようになってきて、短期記憶で、視覚的な映像で覚えたことが頭に残るようになってきました。

 

手応えあった!

 

そう思えたのは、7月に入って。

 

前より記憶できてることに気づいたのは8月。

 

俄然やる気が出て、テキストをめくって俯瞰しながら覚え始めたのが、超直前期。

 

今日の短答は、初めて、頭に残っている映像と記憶で、ちゃんとつながっていることに気づけて、解ける喜びでいっぱいだったんだけど。

 

でも、わかってました。

 

そんな数日では網羅しきれないことは。

 

ペンキを薄塗りした程度。

 

だから、怖かったんです。自己採点が。

 

当然、採点結果は、自分の手応えと一致していました。

 

 

でも、私にはこの50点が嬉しかったです。

 

本物の50点だから!

 

 

すごく嬉しいけれど、すごく悔しいんです。

 

涙が出るほど嬉しいんだけど、涙がこみ上げるほど悔しいんです。

 

間に合わなかった。

 

 

 

あと1ヶ月あれば、とか思いますけれど、でも1ヶ月はないんです。

 

それが現実なんです。

 

この1週間、もうちょっと、やりようがあったかもしれないけれど、でも、ベストは尽くしました。

 

出来ないのも、自分。

 

その中でもベストを尽くしたのも、事実。

 

 

今は、家計的には働かないといけないので、今日の結果はその後の意思決定につながるわけですが。

 

正直、うまく気持ちがまとまりません。

 

今はただ、少しでも自分の中の気持ちを言葉にして、整理して、そして時々泣いてみて。

 

 

勉強を続けたい気持ちは、間違いなくあります。

 

今、とにかく勉強が楽しい。

 

でも家計もあるし、夫の気持ちもあるし。

 

夫のメンタルもいろいろあって。

 

 

 

まずは、自分の気持ちを「観察」しようと思います。

 

今後のいろいろなことは、それからでも遅くない。

 

と思って、泣きたい気持ちのまま、思考を巡らせて、自分を観察してみます。