勉強とうちの家系 | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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*・*・*小学生娘の母*公認会計士試験に向け学習中*・*・*

今日はプライベートの話を書きます。

 

勉強のことも書きますが、あくまでも「勉強を続けてきたことの意味」を書くので、勉強計画や成果等ではないです。

 

その上で、もしお読みいただけるのであれば、以下に読み進めてください。

 

 

唐突な話ですが。

 

私の親戚縁者は、けっこう学歴等がすごいです。

 

母方には、

東京大学に現役入学したおじ、

東京大学の院の数学科に入学し大学の先生だったおじ、

国税局に勤めていたこともあった祖父、

母はW大。

 

父方には、

慶應のおば、

国鉄の大きな駅の駅長だった祖父、

現役の参議院議員の大おじ、

父は全く勉強せず東北大。

 

って、初めて自分の家系を書いてみたけど、びっくり。

圧がすごい。

 

だけど、誰一人として学歴に興味はなく、でも「大学に行って教養をかじるくらいは必要」とは考えていて、でも専門学校がダメなんて言う親戚は誰もいない感じです。

 

自分の学歴に全く興味がないおじおば達。

 

いとこたちも、各々あって、東大は確かいなかったかもしれないけれど、早稲田や国立の上位校にはそれなりにいて、でも学歴のないいとこもいるので、みんな自分の学歴にも親戚の学歴にも、興味が低いです。

 

こうしてみると、学歴にこだわらないのは、肩肘張っていなくて良いのですが、私たちの家系は、よく見ると、資産も特にないし、安定した親族関係がなくて、いつも誰かがトラブルを起こしているような、凹凸の激しい家系です。

 

だから、コツコツ勉強する空気が全くないです。

 

いつも、どこかの家族がゴタついていて、安定感や安心感が薄くて、落ち着いた空気の中でこつこつ積み上げている家族がどこもないのです。

 

そしてそれは、我が家も、私の母もそうでした。

 

 

実は今日、母が保険を勝手に解約していて、びっくりしたついでに、最近、ムコ多糖が良いと言い出し、どうやらまたマルチ商法の人から「ムコ多糖が体に良い」と声をかけられたようで、そこに乗っかりつつありました。

 

よく私は忘れてしまうのですが、いちおう母もW大学は出ているのですが、学歴とか教育とか吹っ飛ぶほどの、母の昔っからの不安定感は相変わらずで、またため息が出ました。

 

ムコテインという商品でマルチ商法が展開されていて、母の周りの人たちが、セミナーやら研修やら委員会という名の自己啓発セミナーに出ているようです。

 

もとい、母の周囲の人というのも、新興宗教でご縁があった方達だったのですが、そこの団体の開祖が数年前に亡くなり、つまりカリスマであったトップがいなくなり、組織としてどうなるのだろうかと見守っていましたが、母の周囲の人たちは、最近、ムコ多糖を勧める活動を始めていました。

 

マルチ商法と新興宗教の共通点は、自己啓発、健康、もっとより良い自分を手に入れたい、高い到達点に自らを、というようなところが似ているように思います。

 

マルチ商法といえば儲けようというイメージが強いですが、どちらかというと、儲けよりも「全体感」や「自己啓発」の要素に魅力を感じているように見えます。

 

弱いんだろうな、そういう空気に。うちの母は。

 

実は私も、かの昔は、母の信仰に連れて行かれたので、その高揚感は知っていますし、自分も、人生や生き方は、そういうものだと思い込んでいました。

 

でも、大学を卒業するあたりから、「これは違うんじゃないか」と思うようになり、一歩一歩、ジリジリとその世界から遠退くように距離を置いてきました。

 

決定的に距離ができたのは、結婚したことが大きいです。

 

結婚して、実家を出て母とは別に暮らし、自分の生き方を純粋に自分で模索するようになったのが、決定打です。

 

そして、私を大きく導いてくれたのが、この「勉強をする」という環境です。

 

不安定な家族、相互依存の家族だと、いつも家の中の空気が落ち着かなくて、何かを習慣的に継続的に続けるのが難しいのが一つの特徴だと思うのですが、我が家も、いつも不安定で、落ち着いて日々勉強するなんていうことはありませんでした。

 

そうなると、積み上げられるものなんて大したものではなく、いつも心は不安定で、不安感と、未達成の焦燥感ばかりが漂っていて、自分が家族や社会に貢献できるSomethingであることが全く感じられません。

 

その欠落したSomethingへの憧れとともに、マルチ商法や信仰が謳っている、自己啓発やら集団で高みを目指す空気感やらに、溺れていってしまうように思います。

 

そういう世界に憧れて、何か違ったものに手を伸ばす母を横目で見ながら、「これは違うな」と思い気づかされることは少なくなかったです。

 

 

ただ私も当初は、会計士になりたいと思う心のどこかに、何か強いものや高い世界に憧れて手を伸ばしたという気持ちも、少なからずありました。

 

自己啓発セミナーに手を伸ばすのと大差なかったかもしれません。

 

でも、実際に勉強を始めて、最初は全く継続できなくて、勉強が止まってばかりで、自分に辟易してばかりでしたが、続けていくうちに、とにかく着実に着実に、自分ができることを積み重ねようとしていく日々になり、勉強を開始した時の気持ちと、今の心持ちは、かなり、いや全く別物になっています。

 

と同時に、何かに依存したい気持ちが消えていきました。

 

自分の欲しいものは、自分の手で手に入れる。

 

欲しいものを手に入れるために、努力をする。

 

大学を出た頃の私は「努力ってどうやってできるようになるんだろう」と、求めても手に入らないものに焦っていましたが、今は、人に比べたら、小さな努力だけど、ちゃんと努力をしてきたよ、と自分を信じることができています。

 

なんだろう。

 

自分の中に、溜まるものがちゃんと溜まってきた。

自分の中に、積むべきものが積まれている。

 

そういう感触を得られるようになってきました。

 

何か目標を達成したわけではないのですが、勉強し続けてきたという事実への達成感がちゃんとあります。

 

 

私たちの家系には、これが欠けている。

 

周囲の親族家族を見ても、積むことができなくて、有形無形の資産がないのが、大きな欠点なのだと感じます。

 

どんなに学歴があっても、有形無形の資産が貯まらないから、学歴に価値が見出せないし、みんな、そこに興味はいかないのだろうな…。

 

頭がいい人は多いのに、なんとなく「残念」なメンツが多いのは、そういうことなのかな。

 

 

私もふっと気を抜くと、残念な思考に陥ってしまいがち。

 

今までは、続けることでなんとかここまできたけれど、これからは「人より努力する」っていうところにフォーカスしないと、山は登りきれないよね。

 

 

すみません、母のごたごたに巻き込まれて、また12時過ぎまで勉強どころではなかったのですが、ここでちょっと冷静になります。

 

 

母とは距離を作って。

 

私は、本当に到達すべき自分の姿のために、努力をする。

 

そこに戻ろう。