ごきげんよう
惠子です。
もし、今いる世界で、
お金がいらなく、必要がなくなったら・・・
お金がなくなって、嬉しい?
それとも、悲しい?
Facebookで今、「○○チャレンジ」なるものが流行っていて、
私は得意ではないので回ってきても参加しないと思いますが。
画家の翁長 夕貴さんが、「ブックカバーチャレンジ」で、
『お金のいらない国』という本を紹介していました!!
もし、今、お金という物がなくなったら?
もちろん、お金はあった方が良いと思う人もいると思います。
私は、誕生花セラピーを学んだ時に、
無料で100人モニターを募集しました。
その時に、ある人から対価は必要だと言われました。
無料だと、受ける側もする側も「無料だから」と、どこかで空きを作ってしまうからです。
でも、私のモニターさん達は皆さん良い方ばかりで、
お金の代わりに、お菓子だったりお花だったり、
何かお礼と持って来てくださった方が多かったですし、
今でも交流をさせて頂いているモニターさんもいます。
だから、自分の知識(エネルギー)を出した分、
お金(エネルギー)をもらうのは当たり前とも思います。
物の価値も人それぞれなので、
100円の物でも、安いと思う人もいれば、
コレで100円?と高いと思う人もいます。
そして、お金自体の価値も人それぞれだと思います。
「お金」という存在がある為に色々な問題も出て来たりします。
特に人と別れたりする時に問題が出て来るように思います。
例えば、離婚の時の慰謝料や子供がいれば養育費など、
そして、家族の誰かが亡くなり、
遺産を相続する時など。
なぜ「お金」には「価値」というものがセットになってしまうのでしょうか?
私は、そこに「評価」というものが隠れているからだと思います。
以前に、「2位じゃダメなんですか?」と言った人がいます。
みんなどこかに、コレがあるのです。
2位よりか1位が良い。
1位は、良い物。
良い物は、形がキレイとか。
汚れていないとか。
1番思うのは、食品です。
例えば、食材で、大根を買う時に何を思って買いますか?
多くの人が、多くある大根の中から、
大きくて、太くて、真っ直ぐで、キズなどが無い物を選ぶと思います。
それが同じ値段で売られていれば尚更ですよね。
でも、大根は、昨日、畑に種を撒いたからって、
今日、店頭に並んでいるような大根にはなりません。
家庭菜園をしている人ならご存知かと思いますが、
農家さんが手間暇をかけて、
暑い晴れの日も、
雨や風の日も様子を見たり、
肥料をまいたりして育てています。
そして、大根になったとしても、
店頭に並べられるのは半分あるかないかです。
全てが店頭行きにはなりません。
選ばれる為の大きさ、太さ、キズがあるか無いか、
泥が付いて無いように洗って、
箱に詰めて出荷します。
そうやって、店頭に並び、食卓に大根が出てくるのです。
でも、食べる時は、
大きな大根のままでなく、
食べやすいように切って調理されますよね。
食べる時は、大根の大きさや太さなんて関係無くなるのです。
買うという時にだけ、評価が出るのです。
曲がっていたって、小さくたって大根は大根なんです。
味は一緒なんです。
みんなが少しでも買う時だけじゃなく、
店頭に並ぶまでの工程も考えて、
物に評価をしてくれると、
違った世界になるのではないかと思いました。