父がこの世にいた日々 | ヒーリングセラピスト デイジー

ヒーリングセラピスト デイジー

元ホテルスパセラピスト。出産を経て、Healing Salon Morning Dew主催ヒーリングセラピストとして活動中。
横浜駅周辺レンタルサロンとオンラインで「ボディワーク×エネルギーワーク」で体と心に響くヒーリングセッションを提供しています。

こんにちは。

横浜のヒーリングセラピスト デイジーです。


今日は朝の空に輝くお月様のおかげで、何ともキラキラした感覚が身体を包んでくれています。




家族を見送ってから、仕事の作業をしました。

流れで昨年のカレンダーを何気なく手にすると、父がまだこの世にいた日々のことが記されていました。


記憶になかったけど、カレンダーの記録によると、父は他界する1週間前に病院の定期検査へ出かけてたようでした。その時は何も異常なかったと言っていたはず。だから、父の身に起きたことは突発的なもので、防ぎようがなかったのでしょう。


今日は自分のために、薄れつつある父が旅立った日の記憶を書き留めます。




父が亡くなる前日、山口市に住んでいた私は、車で隣の市へ仕事に向かっていました。


その前の週末から、下の子は幼稚園がインフルエンザで臨時休園になり、どこかに子どもを預けないといけなくて…預かりをお願いしていた同級生宅もお子さんがインフルエンザになり、どうしよう!と、ダメ元でお願いした友人が快く家で預かってくれることになり、二転三転しつつ、運良く予定変更して、セッションへ向かえたのでした。


天の計らいに感謝しながらセッションを終え、子どもを預かってくれた友人にお礼の品を買おうと、お気に入りの店に出かけたら、営業日なのに店が閉まっていた。


どうした?と店のドアに貼られた紙をよく見ると「忌引のお知らせ」が貼ってあったのでした。


普段行きにくい店だったので、利用できなかったことを残念に思いつつ、亡くなられた方のご冥福を祈って帰宅したのですが、何か心に引っかかるものがありました。


友人の家に子どもを迎えにいくと、すっかりくつろいだ様子の子どもはなかなか帰ろうとせず、友人宅でしばらく楽しいおしゃべりをして、充実した一日が終わりました。


翌日は上の子を送り出し、下の子は引き続き臨時休園だったので、布団にもどり、二人でゴロゴロしていました。


そこへ母から電話が入り、父が再び倒れた、救急車で運ばれたけど、今回はダメかもしれない、と告げられました。


でも、まだわからない。望みはある。ならば、いま動かないと後悔する。


そう強く思い、急いで身支度し、上の子を迎えに走り、そのまま空港へ向かいました。


前日に行きつけの店で忌引のお知らせを見たことはサインだと直感が伝えていました。


2日前、父方の祖母の命日に祖母のことを思った時、いつもとは違う感覚、祖母がすごく近くにいる感覚をリアルに持ったことも思い出し、これもサインだと感じたのでした。




いろいろなサインが重なって、今は連絡を待つよりも、動く時だと強く感じたのです。


山口市内から首都圏へ向かうのは、移動距離が長く時間がかかる上に、飛行機の便数も限られていて、不便でした。


山口にいる間、子供達が成長してスケジュールが難しかったことと不便さが重なり、私が里帰りできたのは、この年の正月に母の治療入院のサポートをした時だけでした。


だから、今日、すぐに行く!行かないと何かあった時に後悔する!と決断して、行動できて良かった。


下の子が休園だったのも良かった。どうせ休みなんだし、後先は考えずに行ってしまおう!と思えました。この時はまだ父は大丈夫という希望しか抱いてなかったけど、いろいろなタイミングが重なって里帰りを決断しました。


支度をしながら、私は意識を集中して、父の様子を感じてみると、父は黄色に輝く場所に横たわっていました。4人の天使に囲まれて、天使達は父に癒しのエネルギーを送っていました。父はとても穏やかな様子でした。これだけ高次の存在が見守ってくれていたら、父はまだ大丈夫だ!と感じました。


「大丈夫。大丈夫。頑張れ!私たちが行くから待っていて!」


と声に出しながら、空港への道、車を走らせました。あと少しで空港に着くというタイミングで母から連絡があり


「パパはダメだった。だから、急がないで落ち着いて来なさい。式のための用意はあるかしら?」


と言われたのでした。


涙がたくさん溢れて来たから、運転していたのが空港に近い場所で良かった。子ども達も状況を理解して泣いていました。


縁起でもないから式の準備はしてこなかった。でも、もう空港に近い場所に来ているから、取りには帰らず、今日、そのまま向かう、と母に伝えました。


空港に着いてからは、飛行機のチケットを買って、待合室で泣きながら、海外にいた姉に連絡し、夫に連絡し、親戚に連絡しました。


仕事で離れていた夫もすぐに向かうと言ってくれ、とても心強かった。


実家に戻ると母が気丈に出迎えてくれました。父は搬送された病院からその日担当の葬儀屋さんの慰安室へ運ばれたので、会えるのは明日になると言うことでした。


翌日、母は自分の体の治療後検査を控えていました。体のことは大切だから、病院を優先させようと、葬儀屋さんへ出かけるのは遅い時間にし、病院へ。


母の体は順調に回復していた。それは安心したけど、担当医に父に起こったことを伝えるとお元気だったのに…と、ものすごく驚いてくれて、父が搬送された病院でもあったため、記録も確認して、記録や母からの説明を受けて、一般的な見解ではあるけれど、父の状態では、早くに運ばれていたとしても、残念な結果は避けられなかったでしょうと、母のことを慰めてくれました。


それから葬儀屋に向かい、初めて対面した父はまるで笑っているかのように安らかな顔をしていました。


安らかな最後で良かった。あの時、黄色のエネルギーに包まれて、天使に囲まれていた父は、天使達によって天へと導かれていたのだと気づきました。




祖母の命日に祖母をリアルに近くに感じたのも、きっと祖母が父を見守り、サポートに来ていたのでしょう。


それからは母に代わって葬儀の全てを仕切り、海外から駆けつけた姉達を迎え、子ども達の心に寄り添って、本当に自分は悲しむ間が無いくらい、気持ちを強くして、父を送り出しました。


無事送り出すことができ、ホッとして山口へ帰ると、ドラッグストアからマスクが消えかけていました。新型コロナ感染の波がじわじわ広がっていたのです。


バタバタでニュースも見てなかった私は、「マスク、今度いつ入荷しますか?」と呑気な質問をして、お店の人は苦笑いしたくらいでした。


ほどなくしてマスクは店頭から消え去り、幼稚園や学校は臨時休校・休園になり、子ども達も親も戸惑うことになりました。


下の子の卒園式は辛うじて行われたけど、上の子は終業式前に春休みとなり、引っ越しを控えていた我が家は、本当に引っ越しができるのだろか?という不安の中、日々できることをする!と決めて引っ越し準備を進めました。


結局、下の子の入学に備えて、一度は早めに横浜へ移動するも、緊急事態宣言が出たことで転勤が凍結になり、山口へ戻ることになってしまったのですが…。


横浜から山口へ戻った時のことは今でもよく覚えています。


私たちは夜間飛行するのかしら?というくらい、ほとんど人がいない空港へ向かい、緊急事態宣言が出ている中、私たちは本当に山口へ戻っていいのかしら?と緊張しました。


コロナのこともわからないことばかりで、空港で何か物を触れるたび、手を洗って、消毒して、どこまでやったらいいのかもわからず、子どもが何かに触れるたびに「やめて!」と叱っていた気がします。


父のことで帰省した時とは全く様子が変わってしまっていたのです。もっともこれまでの人生で幾度も空港を利用してきましたが、あのように人がいない空港、異次元のような空港に立つのは初めてのことでしたが…。


そのような日々を過ごして、この世でもう父に会えないことは悲しかったけれど、父が旅立ったのがあのタイミングで良かった…と心から思いました。


あと少し遅かったら、コロナ禍で海外にいた姉家族はすぐに戻って来られなかったでしょう。きっと葬儀に参列できなかった。


国内にいた私達だって、移動できなかったかもしれないし、葬儀だって無事できたかわからない。親戚も参列できなかったでしょう。


父があの時、助かっていたとして、治療入院直後の母は、コロナ禍にあって一人で父のお世話をできたかわからないし、かといって、山口に戻ってしまった私たちが手伝いに行くこともままならなかったでしょう。


そう考えると、とても悲しいけれど、父はものすごいタイミングで旅立ったのだと自分を説得することができました。


人に迷惑をかけない父らしい、人生の幕引きだったと思います。


父が亡くなってからは、引っ越し、コロナ禍での生活、度重なる転校転入手続き(横浜と山口でそれぞれ転校転入手続きを出しました)、そして、最終的に横浜の新居に入り落ち着くまで、いろいろな苦労があって、父の死を悲しむ時間がありませんでした。踏ん張っていないと目の前にあるいろいろなことを処理できなかったから…。


父が亡くなった悲しみを噛み締めることができたのは、だいぶ時間が経ってからでした。


気づかぬうちにいろいろな疲労が蓄積されていたから、2021年の秋までは、その期間に費やしたエネルギーを補填するために、冬眠するかのような日々でした。


でも、ようやくそのステージを抜け出し、新しい扉を開けることができました。仕事も再開できました。


父は肉体があった時も、肉体から離れてからも、何も変わらず、そこにいて、静かに見守ってくれています。


今朝、手にした父が亡くなった月のカレンダーには


「いま、あなたという宇宙がはじまる」


というようなメッセージが書いてありました。


父は肉体を離れて、宇宙の一部になったのですね。そして、いつも空から見ていてくれている。




今日、このことを思い出せて良かった。父が亡くなった日のことを、忘れないうちに書き留めることができて良かった。


プライベートかつ長い投稿でしたが、最後までお付き合いくださった方々、ありがとうございます。


同じように愛する人を失った人が、この体験談を通して、何か通じるものを感じていただけたなら、幸いです。


今日もお付き合いくださり、ありがとうございます。



 

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