純粋で深い愛にふれて | ヒーリングセラピスト デイジー

ヒーリングセラピスト デイジー

元ホテルスパセラピスト。出産を経て、Healing Salon Morning Dew主催ヒーリングセラピストとして活動中。
横浜駅周辺レンタルサロンとオンラインで「ボディワーク×エネルギーワーク」で体と心に響くヒーリングセッションを提供しています。

おはようございます!
ヒーリングセラピストの
ヒーリングママ☆デイジーです。

今日は日常生活の中で
ハッと気づいたことをつづります。

先日、実家に子ども達と遊びに行きました。

車で向かう途中、下の子が

「ばあば、一人でさびしいだろうなー。」

下の子は
もっとばあばの家に遊びに行ったり
もっとうちに遊びに来て欲しいようです。

かといって
会ってもばあばとたくさん話すでもなく…
マンガを読んだり、ゲームをしたり。

「せっかく会いに来たのだから
学校の話をしたり、
得意の絵を書いたりしてあげて〜。」

と私が何度かお願いして

ようやく
 
「ばあばの顔を描く。」

と顔を見ながら描き始めました。

下の子は絵を描くのが大好きで
似顔絵を描くときも
その人の雰囲気やポイントをとらえた
素敵な絵を描いてくれるのです。

ばあばの絵も

「わー、ばあばに似てるね!」

という仕上がりだったのですが

ばあばは

「もう少し若く描いてほしかったわ〜(笑)」

その一言に私は……

確かにほうれい線がしっかり描かれてるし
でも、かわいく描いてるし
もう少し若くと言っても70sだし
幼い孫が描いたんだから

「わー、上手だねー!」って
終わらせたらいいのに…

とモヤモヤ、イライラしました。

こうした気持ちの揺れは
私と母の歴史の中でたびたびあったことで


例えば、私の髪型とか服装についてとか
付き合う友達についてとか
母の中の「基準」を元にコメントがあって

「そんな格好、ママの子じゃないみたい(笑)」

って言われたこともあったなぁ。


子ども達に対しても
時々、そういう型にはめようとする発言がある。

親も気にしないような型に
はめられるのはいやだし
コントロールされるのもいやなので

このときも

「幼い孫が描いたんだから
そんなふうに言わなくても…。」

と冗談っぽくですが、反撃してしまいました。

下の子が母の一言をどう受け止めたか
気になるところだったので
帰宅してから

「ばあばって、ああいうとき
なんか一言言いたくなる人なのよ。

『上手だね〜、ありがとう』
で終わらせてくれたらいいのにね。

あんな風に言われて、いやじゃなかった?
ごめんね。」

と話すと

彼はケロッとした笑顔で

「ううん。僕はばあばが笑ってくれるだけで
嬉しい。」



思いがけない一言に
この子の愛は深くて広いんだな〜と
驚きと感動を覚え

「僕は本当に優しいね。」

と心から伝えました。


私が母にイラッとしたのは
孫の行為を自分の「基準」に当てはめて

大人なら感じたことを
心の中にしまっておくことができるのに

母が正直に口にしたことを
大人げないと感じ、ジャッジしたから。

でも、この子は
そんなことを気にもせず

自分が描いた絵を見て
ばあばが笑ってくれたことが
何より嬉しかったんだ。

私から見るとちょっと心ない母の一言も
「それもあり!」とありのままに
受け止めているってことなのですよね。

そして、私もまた
「祖母なら孫にこういう態度でいるべき」
という自分の基準を母に求めていたのだと
気付かされました。

幼いからこそ放てる純粋な愛に触れて
深く考えさせられ
同時に深く癒された出来事でした。


私が母に対して
純粋に愛だけを感じて
表現していたのは
いつ頃までだったのだろう。

幼い頃の記憶はあまりなくて
鮮明に遡れるのは小学1年生くらいまで。

ママ、大好き!って
心の底から真っ直ぐに伝えていた自分は
もう思い出せないけど…

きっと母の愛だけを感じて
私からも愛をたくさん表現していたはず。

父が亡くなってからは
母に感情面で振り回されたり
心配症の母をケアすることを重荷に感じて
「大好き」とは言えなくなりました。


手紙を書くときは、昔から
「大好きなママへ」と書いていたのに

今年の母の誕生日カードには
どうしても「大好き」が書けませんでした。

代わりに「大切なママへ」と書きました。

「大好き」から「大切」に変わったことを
母は愛が深まった形として
喜びとともに受け止めていたけれど

私は「大好き」と書けなかったことに
ひどく罪悪感を覚えました。

ある友人にその話をしたところ

「お母さんに対する愛情が
責任に変わったのだから
それで大丈夫なんだよ。」

と言ってくれて、救われました。



「僕は笑ってくれるだけで嬉しい。」

と子どもに言われた時も

「ああ、私はそう思えない。ダメだなー。」

と思って、少し自分を責めました。


でも
この子の深い愛の表現を
しっかりと感じ取ったら

「私の愛も自分基準で浅いなー。」

なんて卑下する必要なんてなくて

それぞれに表現は違うけど
心の中に愛を抱いてるって
気づくだけで良いんだって

自分に伝えることができました。


「大好き」とは素直に言えないけど
「大切」と思って、接することができる。

それだけで、オールオッケー💮


お空の父も

「みんなが仲良く、幸せだったら
他のことはどうでも良い。」

そう言ってくれているそうです。


家族でも考え方、好み、価値観が違うもので
魂の年齢だって違ったりして
いろんな面で揺さぶられることがあるけど

それも自分に与えられた学びだと思うと
それもこれもオールオッケー💮って 
言えるんだろうな。


ちなみに私と下の子の話を聞いていた
上の子は

「私はママと同じように感じるー。」

でした(笑)が、それもまたオッケー💮


ばあばに会っても
自分達のことを気ままにしている子ども達。

でも、下の子は帰宅すると

「あー、楽しかった。また遊びに行く!」

って言ったりする。

母に会いに行って
私たちの元気な顔を見せて
母の元気な顔を見て
それだけで満足みたい。

だから、きっと
私が母の気持ちを先回りして

「ばあばに会いに来たんだから…」

と気を揉む必要もないんだろうな。


いろいろな愛について
感じて、考えるきっかけをくれて
ありがとう。




今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。