願望実現において

自分の手元に欲しい

自分の目の前に現象化として物理的にほしい

物でも、人でも、なんでも

自分の所持を求める人は多い


けど、待って


自分の手元にある🟰自分のものになってる??!


あれ、

じゃあ仮に

あーあるバックが欲しいとする

あることはわかっている

欲しいって思っている時点で存在するから欲しくなる


だけど、お金がないし、色々な3次元的な不安がくる


(宇宙の法則なり引き寄せの法則なりでその現実をつくろう!!)


仮にだよ、仮にね

その欲しいけど手に入れられないと思っている

バックを持った友達がいるとしよう


それを家に遊びにきて

忘れていって帰ってしまったとする


そうすると

手元にはある

自分の家にある

ちゃんとある


だからと言ってこれは自分のものだ

手に入ったってなるか?


もっと簡単なものに置き換えよう

ペットボトルの麦茶を相手が置いていったとする

自分の手元にすでにある


けど、わたしの手元に来た

わたしのものだ!飲もう!幸せ!!


とはならなくないか!?!?!?!?!


だから手元にある🟰自分のもの


とは限らない


結局、自分のものだなんて全て幻想だ

何を根拠にそれを自分のものとする

人だとしたらその肉体はその人のものだ

ものだとしたら、あなたのものだと思ってるのは自分のある一定の観念からの判断にすぎない

きっと、忘れていっちゃったから

また今度買えばいいよね!飲もう!

って思う人がいるならば

それはもうきっと自分のものという認識になるだろう


その物があれば、

それが起これば、

そうなれば、

手に入れば、


ちゃうねん。


それが手元に入ったとするならば

こうなるであろうっていう

その時の自分の感情が欲しいんよ


だとしたならばその感情になれたのなら

欲しいと三次元的な思考で思っていたものが入ったのと同等なのではないか?


子供が欲しいそれはきっと焦りとか色々な感情が入り混じってる

その時のできた、大丈夫っていう安心感だったり

そのバックを持った自分

すごくウキウキしている気分ならなんなり


物理的に手元に入ったところで

自分のものとは限らないし

果たして、それが手に入ったとして

本当にあなたはそうなるのだろうか


整形依存の人もきっとそう

美を追求することも整形批判も何もないが

ここが変わればこんなふうになって

メイクも楽しいだろうな〜こうだろうなーあーだろうなー


そうなったらそうなったで、もっとここがこうじゃなきゃってなるとおもう


何が欲しいか、何になりたいか、何をしたいかより

まずは自分がどんな感情どんな気持ちになりたいかに少し目を向けることは重要なのではないだろうか