ヨーロッパで第二子を出産したお話です。
宜しければお付き合いください。
*******
夫が病室に来て
少しだけ心が落ち着きました。
夫の存在は偉大です。
彼も
手術着にお着替えして
いざ手術室へ。
前回はコロナ禍で
会うことすら許されなかった出産。
今回は立ち会いできた
手術室前で
検診でお世話になった
ドクターに遭遇しました。
今日は私の執刀のために
わざわざ違う病院から来てくださいました。
このドクターに私は何度救われたんだろ。
前回の流産の時も彼が担当してくれました。
「日本での常識は常識とは限らない。」
と言うことを教えてくれました。
ドクターとハイタッチして
いざ手術室へ。
手術室は驚くほど小さくて。
小さな空間に
人が10人くらいキツキツに。
だからね
私の恐怖心が薄くなっていきました。
麻酔も想像より痛くありませんでした。
前回は麻酔が効きすぎて
大変な事になりましたが
今回は適量だったのか
切っている感覚が!
「あぁ、ヒリヒリする
」
なんて言っていたら
誕生!
今回驚いたのは
赤ちゃんの体重が
3120gあったこと。
妊娠期間が終わるまで
つわりはずっと続き
とにかく毎日
生きることが苦しかった。
とても頑張って
食べていたけれど
体重も増えず。
検診でも
色々言われていたから
ここも結構不安でした。
でも
赤ちゃんが元気であることと
この体重を聞いて
ホッとしました。
この後
少しだけ
カンガルーケアをして
私のお部屋へ。
ここから
赤ちゃんは
お部屋を出ることは
一瞬もありません。
24時間一緒
※日本のように病院側が預かる
と言うことはありません笑
そんな場所すらないの。
先生がお部屋にいらっしゃるスタイル。
帝王切開したばかりだけれど
授乳をして
オムツ変えをして
あぁ疲れたなぁと思ったら
じゃあ
歩行するよー!!!
と、、、
え、、、
お腹を切られて4時間
日本だと
24時間後だった歩行が
4時間で歩行だと!???
むりむりむりむり、、、
と思っていましたが
歩行してみると
意外にも出来るもので、、、
この後
尿管をとり
シャワーを浴びさせられ
ベリーグッドよ
何かあったら言ってねー!
と言う言葉と共に
大量のマッシュポテトが届き
(日本だとお粥)
日常がスタートしました
色々な管は
瞬く間に消え去り
ここからは全て自分で。
授乳クッションなんてものはないから
切られたばかりのお腹に
赤ちゃんをのせるのも
痛い痛い。
赤ちゃんを持ち上げて
コットンに入れると言う
簡単な作業すら
激痛の私には至難の業。
だからね
出産してから
暇な時間は一瞬もなく
家族に
赤ちゃん産まれた報告をしたのは
ずっと先のことでした
そうこうしていると
夫と娘が帰宅。
2人の初対面。
娘は喜んでいました
あぁ、、、よかった
娘は幼稚園で
ブレスレットを作ってきてくれ
プレゼントしてくれました。
そのブレスレットをつけて
元気をもらった日々。
本当にありがとう。
娘と夫が
お部屋に来て
家族が揃いました
ドタバタだけれど
新たな家族のスタートが
みんな一緒でよかった。
この後
たまーに看護師さんが来て
お風呂の入れ方を伝授。
そして
去っていく。
こんな感じで2泊3日。
ついに
退院の時。
赤ちゃんの退院着。
「hello world」
の文字がかわいい
お帽子と靴
お世話になっている
マダムから
退院の日にプレゼントも!
入院中も
美味しいいちごやドリンクを届けてくれました。
まるで母みたい。
いや、、、母でした。
日本人である私は
彼女にとても救われました![]()
2泊3日
短いなぁと思っていたけれど
基本的にお部屋には誰も来ないので
お家にいるのと変わらない![]()
2泊は妥当なのかも、、、
と思いました。
みんなに支えてもらった出産。
1人では無理だった。
産むまでは
毎日不安で不安で。
ヨーロッパでの出産を決めたけれど
この決断で本当によかったのか...
日本で産む選択をすれば
こんなに不安な気持ちは
一切なかっただろうと思い続けた日々。
だからね
無事に出産できて
お家に帰れるとなった時に
ホッとして
涙がポロポロ。
クリニックからお家までの景色を
ぼっーと眺めて。
いつか
大きくなったら
自分の産まれた街を
見に来てほしいなぁ。
とても美しい街だよ。
こんな感じで
4人家族となりました。
長々とお付き合いいただき
ありがとうございました。








