ジャッキーと聞いて、まず先にジャッキー佐藤を思い浮かべる人はもはや少ないと思いますが、今回のタイトルのジャッキーはジャッキー・チェンです。あまり聞き慣れないタイトルだとは思いますが、初主演作であります。
今では知らぬ人は居ない程の大スターとなったジャッキーですが、最初っからスターな訳ではないです。
子供時代は中国戯劇学院で、サモ・ハン・キンポーやユン・ピョウ達と、中国の伝統芸能の京劇を学び、子役として映画に出演したりもした。徐々にスタントマンやエキストラとしての仕事が増えていき、次第に高度なスタントをやれる若手として認められる様になっていった。しかし、良い時代は長く続かず段々と仕事が減って行く。その頃に、兄貴分のサモ・ハンと再会。その伝手で仕事を回して貰える様になる。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』でスタントをこなしたりしている内に、スタントマンとしてかなりの評価を得られる様になって行った。
そして、『ファイティング・マスター』(別題 『ファイティング・モンキー/昇龍拳』 )で子役以来初めて名前をクレジットされる様な大きな仕事を得た。準主役である。次作 『ドラゴン・ファイター』(別題 『ヤング・タイガー』 )では悪役ではあるが、それなりに目立つ役どころ。しかも武術指導も兼ねている。既に後に繋がる様なアクションが垣間見られる。が、しかし、この二作品が全くヒットしなかったのである。製作会社も倒産してしまう。『燃えよドラゴン』 にやられ役で出演したりもしていたのだが、なかなかキャリアが進まない。一歩進んで二歩下がる様な状況であった。しかし、遂に念願の主演の座を掴む。それが、今回紹介する 『燃えよジャッキー拳』(別題 『タイガー・プロジェクト ~ドラゴンへの道 序章~』 原題 『廣東小老虎』 1973年 香港 )であります。
しかし、まだまだジャッキーは向かい風の中を進んでいた。1973年7月20日に、大スターとなったばかりのブルース・リーが急逝してしまうのである。その事で香港では、カンフー映画ブームが急速に冷めて行ってしまうのである。更には 『燃えよジャッキー拳』 のプロデューサーと監督が遁走。この様な事が重なり、ジャッキーの初主演作となる筈だった本作はお蔵入りしてしまうのである。自棄になったジャッキーは、荒れた生活を送る様になり全財産を失い、両親の住むオーストラリアへ渡航。しかし、九ヶ月程で香港に戻って来る。戻ったは良いが、この時期香港映画界ではアクション系の仕事はかなり少なかった様で、ロクな仕事を貰えず、再びオーストラリアへ逆戻りする羽目になってしまう。
暫くはオーストラリアで堅気の仕事に就いていたジャッキーに、『ドラゴン危機一発』 『ドラゴン怒りの鉄拳』の監督ロー・ウェイ(羅維)から声が掛かる。香港に戻り、ロー・ウェイがゴールデン・ハーベスト社から独立後に設立したプロダクションと契約し、撮影したのが 『レッド・ドラゴン』(別題 『ジャッキー・チェン/新・怒りの鉄拳』 )である。因みにこれ以降、タイトルに「ジャッキー・チェンの~」とか入る場合は、めんどくさいので割愛させて頂きます。ご了承下さい。この作品は、本当にブルース・リーの 『ドラゴン怒りの鉄拳』 の続編である。ロー・ウェイはジャッキーに、急逝してしまったブルース・リーの替わりをさせたかった様で、似た様な仕草をさせたりしていたが、この映画も、その後の作品も興行的に惨敗を喫してしまう。どれも辛気臭く古めかしい仇討ち物みたいな作品だったからだろう。ブルース・リーの物まねも、時代遅れの作風にも納得が行かず、尚且つ、ヒットしないのがあたかも自分の所為の様に言われていたジャッキーは、ロー・ウェイに対し嫌悪感を抱く様になる。
そこへ、プロデューサーのウー・シーユエン(呉思遠)から、「ジャッキーを貸し出して欲しい」とロー・ウェイに連絡が入る。ロー・ウェイとしても、ジャッキーとはすっかり関係が悪くなっていたので快諾。そして完成したのが 『スネーキーモンキー/蛇拳』 である。ここで初めてコミカルな持ち味が陽の目を見、大ヒットを記録する。続く 『ドランク・モンキー/酔拳』 も大ヒット。ロー・ウェイが試写を観て激怒、お蔵入りとなっていた、最初のコミカルカンフー映画 『カンニング・モンキー/天中拳』 も公開、その他のお蔵入りしていた数本も公開される事となったのである。
しかし、ここに至っても肝心の初主演作 『燃えよジャッキー拳』 は公開されないのである。しかし、このジャッキー人気に便乗してでっち上げられた作品が在る。それが 『必殺鉄指拳』(別題 『鉄指拳』 『ビッグマスター』 原題 『『刁手怪招』 1978年 香港 )である。
「コミカルな方が受けるだろう」と言う短絡思考で、老師匠役のユエン・シャオティエン(袁小田)や、ディーン・セキ(石天)と言ったいつものメンバーでドタバタしたシーンなんかを追加撮影し、設定やスト―リーを変えて強引に纏め上げたシロモノである。そのせいで、オリジナルのシーンは半分以下になってしまっている。この二人の絡みを見たい人が、ジャッキーのアクションを見たい人よりも多いとは思わないのだがな。勝手に 『酔拳』 の修行シーンなんかを付け足したりしていて、実にいかがわしいが、こう言うのも当時のエクスプロイテーション映画らしくて、今は無き悪しき文化を感じられて微笑ましい。怒ってはイカンよ。それも又歴史の一頁と言う物である。因みに、『蛇拳』 『酔拳』 の監督で、『マトリックス』 等で武術指導をしたユエン・ウーピン(袁和平)の父親が、いつもの老師役のユエン・シャオティエン(袁小田)です。
しかし、ここ迄読まれて感じた方も多いと思いますが、ジャッキー・チェンの初期の日本劇場未公開作品は、ビデオやDVDが再発されたり、地上波、ケーブルでの放映の度にタイトルが変わったりするので、ハッキリ言ってどれがどれやら分かり辛く厄介である。何とかして貰いたいものである。
では、本題の 『燃えよジャッキー拳』 に入りましょう。先程も書いた様にお蔵入りしてしまった本作だが、日本ではかつてビデオが発売されていた。しかも別メーカーから再発もされた。DVDは日本では発売されていないが、海外では日本で発売されたビデオを流用した海賊版の様な物が発売された事が有る様である。しかし、日本で発売されたビデオも何とも怪しいシロモノである。画面に中国語字幕と英語字幕が入っている時点で、イカガワシさが漂っている。日本語字幕は画面外の黒枠に入っていたので、字幕を読むのに問題は無かったが。
本作、コメディでは無いが、ロー・ウェイ路線の暗いトーンって言う程ではない。本作でのジャッキーのキャラは、眉間に皺を寄せる程苦悩してはいない。正義感に溢れた、屈託のない真面目な青年の役である。敵のボスが父親の敵と言う設定も有るには有るが、その事が本人にちゃんと知らされる事は無い。従って、復讐のために戦う訳では無いのである。ひたすら正義感から闘うのだ。アクションも、所謂「○○拳」と言う形を取らずに喧嘩カンフーと言う感じである。船のマスト上方に縛り付けられた友人が落ちない様に、ロープを掴んで離さない儘行う格闘なんて、後のジャッキー作品を彷彿させる。ラストのナレーションの「人はなぜ平和に愛し合えないのだろう?」も臭いと言われりゃそうなんだけど、後のジャッキー映画にも通底するテーマだと思うのである。初主演にして既に、後々までの一貫した映画作りの基本がここに有る様に思える。
本作のビデオの冒頭で、「フィルムがコレ一本しか存在しないから映像悪いよ」ってな事がテロップで流れる。独立プロの作品の様だし、会社が存在しなくなるとフィルムの所在だとか、権利だとかが不明になるのは良く在る事だと思う。しかし、『必殺鉄指拳』 を作れていると言う事は、その時点ではオリジナルのフィルムは有ったと言う事である。ジャッキー・チェンの初主演作、と言うよりも、一連の「○○拳」以上にジャッキー映画の原点であると思える本作、ぜひ陽の目を見させて欲しいと思うのである。