スピルバーグ監督の『ジョーズ』(1975年)の大ヒットにより、動物パニック映画が一大ブームとなった。当然の如く、低予算映画の帝王、ロジャー・コーマンもブームに便乗した。『ピラニア』(1978年)である。演出、脚本、特殊効果、どれも素晴らしく,ヒットを記録する。売れる内に似た企画で稼いでおこうと考えるのが商売人の常。翌年に第二弾として製作されたのが、今回紹介する、『ジュラシック・ジョーズ』(『Up from the Depths』1979年 アメリカ)であります。
本作、ソフトのジャケットに「1994年作品」なんて書いてあんの。そんなインチキして、『ジュラシック・パーク』にタイトルを便乗したパチモンジョーズ映画って事にするんだったら、「幻のロジャー・コーマン製作映画」って言って売った方が良くないかねぇ?正直が一番だと思うけど。製作時も、日本でのソフト発売時も便乗商法で売られた本作、いつ迄経っても原題(『Up from ~』)の様には「浮上」出来ないのであった。
監督はチャールズ・B・グリフィス。監督作も数本有るが、本業は脚本家である。手掛けた作品はかなり多いが、ここではコーマン監督作『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』、ポール・バーテル監督作『デス・レース2000年』を代表に挙げておこう。
プロデューサーはシリオ・H・サンチャゴ。フィリピン人の映画プロデューサー兼監督。コーマン絡みでのフィリピンロケ作品で現地の事を任されていた人。と、言う事で舞台はハワイだが、実はハワイのフリをしたフィリピンである。ルソン島のバタンガスと言う所。フィリピンには、もっといくらでもハワイっぽく見える様なビーチが在ると思うんだがなぁ。そんな微妙なハワイに謎の巨大魚出現。観光客ら数人が犠牲になるのだった。そんなお話である。
本作の脚本を書いたのは、アルフレッド・M・スゥイーニーなる人物。本作以外で名前を見る事は無い。日本の情報サイト等では、アルフレッド・スゥイーニーと、ミドルネームの「M」が抜かれて紹介されていたりもするが、「M」の無い名前の人は、ネイサン・ジュラン監督、ボリス・カーロフ出演の『黒い城』(1952年)の美術で業界デヴューしたベテラン美術監督である。他には『大陸横断超特急』(1976年)等々を手掛けている。別人と思われる。
チャールズ・B・グリフィスがインタヴューで、本作の脚本を書いたのは、脚本家志望でも何でも無い、タイピストと秘書だって言っていた。どちらがタイピストか秘書かは分からないが、もう一人はアン・ダイア―って人。同じくロジャー・コーマン製作のSF映画『宇宙の7人』に、原案と言う形でその名を見る事が出来る。この二作以外には携わった作品は無い様なので、本当に事務方の人だったのだろう。
特殊効果にクリス・ウェイラス。『ピラニア』でデヴュー。『スキャナーズ』『レイダース/失われた聖櫃』『グレムリン』『ザ・フライ』等を手掛け、『ザ・フライ2/二世誕生』で監督デヴュー。もう一人、ロバート・ショート。同じく『ピラニア』で、ロブ・ボッティンを手伝った仲間である。その他の仕事としては、ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演の『スプラッシュ』で、ダリル・ハンナ演じる人魚のデザインと製作を行ったりもしている。..
そんな有能な人物が関わっているにも関わらず、巨大魚がチャチいとか言われちゃうんだけど、それは地元フィリピンのベテラン特殊効果マン、サントス・ヒラリオと言う人物がメインだったからだろう。しかし、筆者はこのデザイン、結構気に入っているぞ。背ビレが二つなトコとか。目と口がやけにデカいのは深海魚の特徴だし。
主役のグレッグを演じるのはサム・ボトムズ。ティモシー・ボトムズの弟である。兄貴の『ラスト・ショー』の撮影を見学してる所を監督のピーター・ボグダノヴィッチに見出され、その『ラスト・ショー』で役者デヴューを飾ったラッキーガイ。公開は前後するが、本作の前に同じフィリピンロケで、コッポラ監督の『地獄の黙示録』に出演。あちらの撮影は、本当に「戦場」だった様なので、本作は実に楽だった事だろう。
そして、主役よりもある意味目立っているのが、ホテル支配人フォーブス役のケドリック・ウルフ。映画出演は余り多く無いが、前回紹介した『フォービデン・ゾーン』に出演している。女教師と人間シャンデリア(!)の二役。この人間シャンデリア、ホントに天井から水平に吊り下げられてるのよ。両手にロウソク持って。足はチャンと指の間に挟んでるの。あ、この人、頭のハゲたオッサンですよ。女教師役をやっていたけど女性ではないです。もう、それは見事なハゲっぷりです。この人、今やすっかりヨガマスター。1999年に設立された、グレート・ヨガ・ウォール(株)の代表。壁から垂らした紐と、壁を使ってするヨガの教室を展開してるみたいよ。そうか、天井から吊るされるのも、ヨガの一種だったのか(違うか)。
本作、ハッキリ言って評判が悪い。クライマックス直前に、急にドタバタとしたコメディ調になるからだ。まぁ、それだけが理由では無いとは思うけどね。時系列的におかしく思われる個所や、登場人物達の言動や態度の変化に不自然な所が在ったりするのである。
これには明確な理由が有る。元々106分有ったと言われている物が現行では85分である。完成後、コーマンの指示でコメディからシリアスに路線変更がなされ、話の辻褄合わせに大幅にカットされ、編集し直された、と言う話である。監督のグリフィスのあずかり知らない間に、である。
チャールズ・B・グリフィスって人は、6本在る監督作のほとんどがコメディだし、脚本家としての仕事はシリアスな物も手掛けているけど、どちらかと言えばコメディ作品で真価を発揮していると思うんだよね。そんな人を監督として起用したのなら、最初っからコメディ映画を作る様に指示されてたんじゃないかと。それを、完成後に急にシリアス路線に変更をした、って事だろう。そりゃあ、グリフィスも怒るわな。この件に関しては、後々まで怒ってたみたいよ。
ここから先は、筆者の想像なんだけど、元々は、『ジョーズ』以降、数多の動物パニック物が作られたので、そのパロディをやろうとしたんじゃなかろうか、そんな気がするのよ。全編、コメディ路線で撮影していたら、20分のカット位で済んでいないんじゃないかしら。パロディは、ボケ以外はシリアスに展開しないとコケると思うので。シリアス路線と思って観ちゃうと、ラスト直前の主人公のチンピラ詐欺師のココロ無い行動は、マジで到底主人公とは思えなかったりするんだけど、あくまでも、この手の映画のパロディだと考えれば、ブラックなギャグだったんだな、と。
コーマンは自作の『Gas-s-s-s』(1970年)の時に勝手に編集されて、自分の作品はやっぱり自分でプロデュースしないと、って思ったって言う話である。プロデューサーの都合で作品が変えられる事が、監督としたらどれだけ嫌な事かは充分分かっていた筈である。それなのに本作でのこの仕打ち。低予算映画プロデューサー・監督として名を馳せ、多くの人材を輩出したコーマンの驕りが在ったのでないだろうか?何故、完成後にシリアス路線に変更と言う事になったのかは不明であるが、上の立場の者の傲慢さを感じるのである。コーマンがゴーマン。すいません、ダジャレてしまいました。
幾ら立場が上であっても、勝手に何をしても良いと言う物では無いだろう。結果として、本作はほとんどのマニアにすら無視される様な出来となってしまった。コーマンとグリフィスの間でちゃんと話をしていれば、もっと違った物になっていたかも知れない。仕事上、家庭内、友人知人、恋人同士、どんな関係であれ「言わなくても分かるだろ」「言う事を聞け」では駄目なのである。コミュニケーション不足がいかに良くない結果を産み出すか、そんな一例なのではないか、そんな風に思えるのである。
この先ほぼ間違いなく、陽の目を見る事が無いであろう、ノーカットのオリジナル編集版を見てみたいものである。その時は、本作も「浮上」出来るかも知れない。海面迄は無理としても。