つれづれ映画ぐさ

つれづれ映画ぐさ

忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

パイン・バレンズ。アメリカニュージャージー州に在る、山梨県程の面積を持つ広大な森林地帯。この森には、19世紀頃から数多くの目撃談が寄せられる「ジャージー・デビル」と呼ばれる未確認生物が存在すると言われている。馬の様な顔に蝙蝠の様な巨大な翼を持つ二足歩行の怪物である。太古の生物の生き残りではなく、日本で言えば「妖怪」の類で、21世紀になっても目撃情報が寄せられると言う人気ぶりである。

 

その「ジャージー・デビル」を題に冠しながらも、実は主題ではない、そんな作品が今回紹介する『ジャージー・デビル・プロジェクト』( 『 The Last Broadcast 』 1998年 アメリカ )であります。

 

映像作家デヴィッド・リーが、数年前に起きた或る事件を独自に再検証すると言う内容である。

 

その事件とは、「ジャージー・デビル」探索にパイン・バレンズに入ったケーブルテレビ関係者が、一人は行方不明、二人は惨殺死体で発見され、残り一人が殺人犯として逮捕されたと言う事件である。

 

スティーブン・アヴカストとローカス・ウィーラーは、ケーブルテレビで「真実か虚構か」と言う番組を制作、番組ホストも務めていた。最初の頃こそ順調に視聴率を稼いでいたが、徐々に低迷し、起死回生の策として、視聴者からの「ジャージー・デビルは取り上げないのか?」とのリクエストに応える事にする。しかも、ケーブルテレビとインターネットでの同時生中継を森から配信すると言う画期的な企画だった。

 

この番組企画に協力すると申し出た、超常現象を録音出来ると自称する音響技師レイン・クラッキンと、超能力者を自称するジム・スワードの二人を伴い、森の奥まで入って行くが、段々とジムと他の者との関係が険悪な雰囲気になって行く。そして深夜になり「他の三人が行方不明になった」とジムから救急センターに通報が入る。数日後、森の中でローカス、レインの惨殺死体と、夥しい量のスティーブンの物と思われる血痕が見つかった。但し、スティーブンの死体は遂に発見されず仕舞いだった。

 

警察の調べに拠れば、ジムは母親と二人暮らしだったが、その母も数カ月前に他界しており、友人も少なく家に引き籠りがちでネット三昧の日々だったと言う。特技は手品だったとか。陰キャである。

 

警察は最初から「ジム=犯人」説で捜査を進めていたが、証拠と言えば状況証拠ばかり。唯一の物証はシャツに付いた僅かな血痕のみ。余りにもむごたらしい状態の殺害現場にも関わらず、付着している量が少なすぎると考える者も居たが、その僅かな血痕から自分以外の三人のDNAが検出されてしまっていた。

 

ジムには、殺害時刻と思われる時間帯は、ベースキャンプに持ち込んだパソコンで、長時間に亘ってチャットを行っていたと言うアリバイが証明されていたのだが、45分間の空白が有り、犯行は可能と判断されてしまう。

 

更に検察は、彼等が撮影していた15時間分の録画テープを、編集者のクレア・デフォレストに証拠用に編集させた。そのテープの内容はジムに不利に働いた。こうして、動機もはっきりせず凶器も発見されないまま、ジムは終身刑を告げられてしまうのだった。

 

そして事件から数年後、ジムが獄中で不審死を遂げた翌日、デヴィッドの元に破損したビデオテープが届けられた。警察には事件は解決済みと言われるだろうし、中身が事件に関係するかも不明だった為、独自にデータ修復のプロに依頼したデヴィッドだったが、そのテープこそ、存在が不確かだった最後に交換されたテープだった。果たして、このテープから事件の真相に迫る事は出来るのであろうか?

 

と、こんな感じで物語は進むのですが、本当のドキュメンタリーの様なタッチで進行していきます。デヴィッドに拠る調査の進行状況が語られる中で、スティーブ一行が撮影したビデオ映像が入れ子構造として挿入されると言う展開なのですが、実はこのスティーブ一行の映像部分が、或る大ヒット作品とそっくりと言う事で話題となったのである。

 

まぁ邦題や、伝説の残る森に入って行った連中が酷い目に遭うと言う内容から分かる人には分かるでしょう。或る作品とは、1999年の暮れに日本で劇場公開された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』#1 である。

 

アメリカでの『ブレア~』公開当時、先に良く似た作品が在り、『ブレア~』はその作品のパクリではないか?との疑惑を持たれる事となったのである。但し、日本に輸入されたのは本作よりも『ブレア~』の方が先だったので、その時はさして話題にはならず、本作が日本に輸入された際にその事を宣伝に利用したと言った感じだった。パクったのかどうか実際の所は分からないが、同時期に似た企画を思い付いたって事は割りと有ると思います。偶然じゃないですかね。

 

『ブレア~』は、魔女伝説の残る森に取材に入った大学生三人が行方不明となり、事件の一年後に彼らが撮影に使ったビデオカメラが発見されると、そこには恐るべき事実が映し出されていた。と言う様な映画で、主観映像で「これは本物の行方不明者が撮影したビデオですよ」と謳ったPOV( point of view = 主観 )映画である。最初から最後迄出演者三人が撮影した映像のみを使用した「フェイクドキュメンタリー」映画 1 である。宣伝も本編も徹底していたので、公開時には信じた人も居たのではないでしょうか。

 

『ブレア~』と言う映画を始めて知った時、筆者は或る一本の映画を思いだした。『食人族』#2 である。アマゾンの奥地に入り込んだテレビクルーが、そこに住む野蛮な原住民に襲われ、喰い殺される様を無情にもテレビカメラが捉え続け、後日発見されたフィルムを見たテレビ局のお偉方が頭を抱える、そんな映画です。こちらも日本公開当時「本物ですよ」と謳ってました。

 

本作もフェイクドキュメンタリーの一種なのだが、どちらかと言えば『ブレア~』よりも『食人族』に近い作りで、『ブレア~』はオーソン・ウェルズの1938年のラジオドラマ「宇宙戦争」2 タイプだと思う。観客(聴取者)を騙してやろう、と言う印象。本作のテーマはちょっと違う。

 

登場人物の一人で、インタヴューに応えているビデオ編集者のクレア・デフォレストのセリフに「特にドキュメンタリーなんかでは、真実とは作者の見た真実だ」と言う物が有り、これこそが本作のテーマだと思うのである。

 

本作の日本での公開当時、新聞に掲載された監督へのインタヴュー記事で「メディアが社会に与える影響がテーマとしてある。テレビ等で見た映像をそのまま信じて良いのか疑問を抱いていた」と言う様な内容の事が書かれていた。

 

『ブレア~』の様な真に迫ったフェイクドキュメンタリーに騙されるな、観た物全てに疑問を抱け、とまでは言っていないかも知れないが、ドキュメンタリーと言っても、作り手の意図が確実に反映されているから額面通りに真に受けるな、と言う事である。

 

出来事を単に記録しただけの物は「記録映像」「ニュース映画」と言う物で、そこに編集を施して「ドキュメンタリー」となる、と言う様な事を何かの本で読んだ気がする。

 

ドキュメンタリー映画の父と呼ばれる、ロバート・フラハティ監督の傑作『極北の怪異』#3 は、北極圏に住むイヌイットのナヌーク一家の日常生活を映し出したドキュメンタリー、と言う事になっている。が、実際に北極圏でイヌイットと生活を共にして撮影をしているのは間違い無いのだが、出演者はイヌイットの「役者」がナヌーク一家を演じたものである。この当時、実際には映画で描かれているよりももっと文明的な生活を送っていたのだが、フラハティはイヌイットの伝統的な生活の様子を映像に残しておきたいとの思いから、文明化される前の生活を再現して貰ったのである。フラハティに騙す意図は無く、当時はまだドキュメンタリー映画の定義が出来ていなかっただけの事である。この例は極端かも知れないが、ドキュメンタリー映画と言っても、そこには制作者側の考えが反映されているのである。

 

そこでもう一度、本作について考えてみると「あなたは、今観ている映像をどこまで信じますか?」「本当に真実が映し出されていると思いますか?」と言っている感じである。どちらかと言えば『ブレア~』とは方向性が真逆、似て非なる物だと思うのである。

 

では、この様な本作を監督したのは誰かと言うと、ステファン・アヴァロスとランス・ウェイラーと言う二人。犠牲者となるケーブルテレビの二人組スティーブン・アヴカストとローカス・ウィーラーを自ら演じている。制作、脚本も共同で行っている。他の出演者も監督の知人を起用しており、出演料が掛かっておらず、制作費は総額で900ドル。当時のレートで9万6千円。激安である。全編ビデオ撮り、編集作業もパソコンでこなし、それらの機材も元から持っていた物なので安く済んだ、と言う話だが、それにしても激安。

 

先程「日本での公開当時」と言う書き方をしましたが、本作の本邦初お目見えは、スカイパーフェクTⅤのPPV(ペイ・パー・ビュー=1番組毎に視聴料金を支払う仕組み)。ディレクTⅤが撤退、スカパーと統合した2000年と言う、スカパーが勢力を拡大し始めた時期の放送だった。これを当時「公開」と謳っていたのである。劇場で上映された訳では無いです。

 

アメリカでの劇場公開時には、衛星を通じてデータを劇場に送信すると言う方法で、世界初のデジタル上映された作品だった。内容面に於いても、森の中からインターネットで生配信とか、色々と時代を先取りした作品だったのである。

 

ステファン・アヴァロスとランス・ウェイラー共にこの他にも数本監督作が在るのだが、ランス・ウェイラーの作品はこれ以外は日本に入って来ていない。ステファン・アヴァロスは『ゴーストハウス』#4 と言う作品がソフト化されていた。こちらは、ハリウッド以前にアメリカで「映画の都」だったエデンデールと言う町に引っ越して来た脚本家志望のカップルが、手に入れた古い屋敷で霊に憑りつかれたりするお話。本作と同じくビデオ撮りの低予算作品。同じ題名の作品でイタリアのウンベルト・レンツィがハンフリー・ハンバートのプセウドニーモ(変名)で監督した『ゴーストハウス』#5 、オキサイド&ダニー・パン兄弟監督の『ゴースト・ハウス』#6 も有るので要注意(?)である。そして最新作は、全くのど素人がヴァイオリンの名器のコピー作りに奮闘すると言うドキュメンタリー『 Strad Style 』#7 である。フェイクドキュメンタリーじゃないよね? 

 

現代は情報過多な時代。その中には正しい情報は勿論、単純な誤情報から悪質なデマまで、様々な物が入り乱れている。生成AIの発達で、益々「真実か虚構か」の見分けは難しくなるだろう。人は自分の信じたい情報や物事を信じ込んでしまいがちである。素直な事は良い事と思いますが、その情報は本当に正しいのかどうか、信じ込む前に、いったん引いた所から見てみる事が大事だと思いますよ。

 

#1 『 The Blair Witch Project 』 1999年 アメリカ

#2 『 Cannibal Holocaust 』 1980年 イタリア

#3 『 Nanook of the North 』1922年 アメリカ、フランス合作

#4 『 The Ghosts of Edendale 』 20003年 アメリカ

#5 『 La casa 3 』 1988年 イタリア

#6 『 The Messengers 』 2007年 アメリカ・カナダ合作

#7  2017年 アメリカ、イタリア、オランダ合作

 

1 英語では、「偽の」と言う様な意味も持つ「mock」と「documentary」を合わせて「mockumentary(モキュメンタリー)」と呼ばれる。「mock」を辞書で引くと「あざ笑う」「真似て馬鹿にする」と言う様な意味がまず最初に出てくるので、余り良い意味合いでは使われてはいないのかも?フェイクドキュメンタリーは和製英語。

 

2 あたかも臨時ニュースの様にドラマが開始された事で、全米がパニックになった、と言う伝説が長年語られてきたが、近年の研究に拠れば騙された人は殆んど居らず「全米がパニック」とはならなかった様である。