晴れたらいいね。 -2ページ目

晴れたらいいね。

毎日あれこれ主婦の日々。

一度引っ込めた遠い過去を
再びアップしております♪

只今の音楽↓これ。


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コンプレックス ベスト。 ( 吉川晃司 + 布袋寅泰 =  COMPLEX )


なんて懐かしい。


同世代なら詳しくなくても聴いた事があるはず。


『 BE MY  BABY 』の


♪♪『 もう はなさない  君がすべてさ

         BE  MY  BWBY   BE  MY BABY 』


とか


『 恋をとめないで 』の


♪♪ 『 家の前で待ってるよ だれが引き止めても

      土曜の夜さ 連れ出してあげる

    

       Don't stop my love

        恋をとめないで どんなことからも 守ってあげるから 

       Don't stop my love

        恋をとめないで いまを正直に恋をしようよ  』

 



ううーーー音楽かけているとまったく文章が書けないぞ!!

・・・・・・・・・・・・・しばし音楽休止。


皆、なんで音楽かけて何かをできるんだろう??


私は車の運転中でも運転と音楽を聴く事、

どっちにも中途半端に気を取られて危ない感じになる。

だから好きな音楽は聴けない。


特に雨の中の運転なんて

雨粒のポツポツ言う音が何だか音階に聞こえて

車のエンジン音やタイヤの音が重なって

さらに音楽かけてるなんてもう絶対ムリだ。


周囲に気を配って安全に運転する自信がなくなる。


何故かラジオなら普通に聴けるんだけど。

どうしてなんだろう????

好きな音楽流して車の運転って

すごく有意義な時間になりそうなのにな。

何だか損した気分だ。つまらないな。




なんでコンプレックスを聴いてたかと言うと


昨日、のっぽ君と映画を観に行ったら上映まで待ち時間があって。

それぞれ好きなCD、DVDを物色していた。


そのお店で

ファンキーモンキーベイビーズの

『 LOVE SONG 』ってタイトルだっけな??が、流れていて。


女性に恋をした男性が、

神様、この想いがかなうなら何も欲しがらない、

やっと憶えたギターも土曜も日曜も宝物も・・・みたいな

全部をかけて君を守るから・・・な内容の歌詞。


今時の若者が感動して涙したりしてるってよく聞く。


私はおばさんだからなのか(笑)

この歌詞を聴いてそういう男性じゃないほうがいいな・・・と思った。


私を想って

自分の何もかもを全てを捨てて

私を守りに来られたら嫌だ。


自分にとって大事なものは

ちゃんと引き摺って抱えて

見せに来て欲しい。


想いが叶うなら何もいらないなんてしみじみ言ってる男性よりも

それとこれとは別って感じで(笑)

どうしても譲れない自分の好きな事がある人のがいい。


彼女への想いがかなって

神様にやっと憶えたギターを取り上げられそうになったら

嫌だぁぁああ!!!ってギターにしがみ付くらいの人のが魅力的だけどなあ。


今の若者はそういうのを我儘だと思う傾向がある気がする。


で、私達世代で

当時、キュンキュンしてたストレートな歌詞のラブソングってあるかな??

って思ってかけてみたコンプレックス。



本当に優しい、思いやりのある人ってかなり気の強い人だと思う。

気が強くないと守ってあげるなんて自信持って言えないわ。


彼女のすぐそばでアレコレ面倒みて優しくしてあげるだけじゃなくて


俺には大事な事がたくさんある、だからちょっと留守にするけど大丈夫だ!って

きっぱり言い切る逞しい優しさって理解されないのかな。


お互いを見つめあってニコニコしてるより、

同じ方向を見て並んで歩いてるイメージ。


あれ?もしかしたらそれって恋愛っぽくないかもな??

昔、私が恋愛すると度々相手に

俺にもっと執着して欲しい的なことを(笑)

よく言われたのはそういうことか^^;


でもって女友達には

しょうちゃんみたいな彼氏が欲しいとか言われてたし(笑)



話しは変わって。


さて・・・・


今年もサンタクロースの配達が終わった。


25日の朝、ムックリと起き上がって枕元に

サンタクロースのマークの入った赤い巾着袋を見付けたのっぽ君。


寝起きのボサボサ頭とかすれ声で


「ママ!ママ!きた!!!ちゃんと頼んだのがきた!!

ちゃんときてるよ!!!!」


サンタが持ってきた赤い巾着袋と

レンジでチンする湯たんぽのピンク色のカエルを抱えて

フンフン鼻歌歌いながら1階におりて行った。


「良かったね、ブラックサンタじゃなかったね~。」

(幼稚園で悪い子にはブラックサンタが「お仕置きの棒」を持ってくると言われてたので(笑)一応、そういう話がある国があるみたい。)


と言ったら


「体育、頑張ったからブラックは来ないよ。」


と、不器用なので袋の開封に苦戦しながら、自信満々のニンマリ顔。


プレゼントはゲームソフトなので

朝食を食べて着替えてからと私が言ったら

ものすごい速さですべてを終えてゲーム開始していた。



今年のクリスマスケーキ↓

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ケーキのスポンジを焼くのは面倒なので^^;

飾り付けだけで済ませて手作りっぽくごまかした。


長い間、甘い物が苦手だったので

お菓子作りはどうも躊躇してしまう私。



・・・・・・・年賀状、先ほど印刷完了♪


これに一言手書きでコメント書くのがまた・・・^^;


今年は今年中に出せそうだ。

あはは・・・・・・普通は当たり前だけど。


・・・・・・昨年は実家で紅白観ながら書いたんだもん。



私の母は新年になると必ず『かるた会』に行く。


高校時代の同級生の集まりで

誰かの家に集まって『小倉百人一首かるた』をする。


母の高校時代なんて半世紀前くらいなのに

ずーっと続いているらしい。


途中、結婚や転勤、親の介護で何年か抜ける人がいても

皆、ちゃんと戻ってきて集まるらしい。

実際、母も私達姉弟が幼い時や転勤で九州四国地方に居た時は

参加していなかったけれどちゃんと復帰。


今年もまたどこかで集まるのだろう。


それにしても高校時代の同級生が大勢、

百人一首を丸ごと暗記していて楽しめるってすごいな。



そんな母なので

私の家には私が小さい頃から『小倉百人一首』が

子供用のかるたと共にポンッと置いてあった。


当然何が書いてあるか解らないけれど

母に『坊主めくり』という簡単な遊び方を教わって弟と遊んでた。


高校生くらいになって和歌の意味にちょっと興味をもったけれど

古文の勉強みたいで嫌だなと思った。


大人になってからまた興味が出て

年末になると思いだして、色々本を読んでいる。


若い頃はね、恋の歌にシミジミしたりしたな。


『忍ぶれど 色にいでにけり 我恋は

物や思ふと 人の問ふまで 』 平 兼盛


(誰にも知られないようにと、心に秘めて隠していた私の恋なのに

とうとう顔色にまで出てしまったのだな。何か思い悩んでいるのですか?

と人に尋ねられるほどに。)


『君がため 惜しからざりし 命さへ

長くもがなと 思ひけるかな 』 藤原 義孝


(あなたと逢えるのならば、命も惜しくはないと思っていたのに

こうして思いが叶えられると、命が惜しくこのまま長く逢いたいと

願うようになってしまいました。)


・・・・・昔の人は情熱的だったんだな。


今、好きな和歌は


『月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ

我身ひとつの 秋にはあらねど 』 大江 千里 ←おおえのちさと 念のため(笑)


(月を眺めていると いろいろさまざまな事がとめどなく悲しく感じられることだ。

秋は私一人の為にやってくるという訳ではないのに。)


とかそんな感じの。


因みに本になっているものはよく読むけれど

私は和歌を暗記していないので、かるたは一切できません(笑)

読み物として読んでいるだけ。

・・・と言うか覚える気がまるでないので憶えられないんだけど。


ここのところまた本を買って来てちょっとハマって読んでいる。



ところで


息子、のっぽ君はもうすぐ冬休み。


・・・・・・・・・ああ、冬休み。

チューブであったな・・・ああ、夏休みとか言うのが。

私の「ああ、」と意味が違うだろうけど。


冬休み、またお出かけの毎日が始まる。


何故か、ペンギンと白熊がものすごーーーーく好きなのっぽ君。

上野動物園、改修工事でその二つがずっと見られなかった。

完成したらしいので行くと張り切っている。

パンダはどうでもイイみたいだけど。


お台場でカートに乗る。

映画「イナズマ イレブン」を観る。

年末は私の実家に泊まってばあばと紅白の嵐をみる。

塾の冬季講習。←ゆる~い塾で勉強好きなのっぽ君なので楽しみらしい。

浅草。(何度か連れて行ったら花やしきは勿論、何故か仲見世も好きらしい。)


行きたい所がたくさんあるらしく、日数を考えると足りないぞ(笑)


いつも長期休みになると出かけまくり。

色んな場所を観て欲しくて、全部私が思い付いた所に連れて行くんだけど。


幼稚園の時からそうなので、最近では

「あそこにもう一度行きたい!」とか自ら言うようになって嬉しい。


テレビで行った事のある場所が出るととても嬉しそうだし。


六本木のイルミネーションが観たいと言うのだけれど

イルミネーションが点灯する時間に六本木にいるなんて小学生には無理だな。

大人になってから可愛い彼女と行って下さい。



12月に入ってからのっぽ君は毎日すごく楽しそう。

サンタクロースがやってくるし、

じいじ、はあばからのお年玉やクリスマスプレゼントが楽しみだし。


何を貰おうか毎日毎日語り続けている。


早く決めないと

サンタクロースは世界中の子供分の仕入れの問題があるので

早くした方が良いよとアドバイスはしているけれど。


どうやらPS3のゲームソフトになるらしい。


いいなあ、サンタクロース。


私もサンタクロースと一緒になって世界中の人に何か配りたい。

で、もって私にはドラえもんのポッケが欲しい。

でも、ドラえもん本体はいらない。

昼間は一人になりたいし、一つしかない押入れを寝床に使われると困るので。


昔は眠っている時によく夢を見たのだけれど

最近はあまり見なくなった気がする。


見なくなったと言うより起きたら忘れているのかも。

夢をみたような余韻があって起きる時もあるので。


一昨日、久しぶりに起きても覚えている夢のワンシーンがあった。


髪の毛の夢だった。


私は現在、緩くウエーブのかかったロングヘアで栗色。

元々の地毛が真っ黒な髪色じゃないので

地毛の色に戻そうと明るく染めた部分の方を

根元の地毛の色に合わせてダークに染めている。

なのでコメカミ位までは地毛のままの色になっている。


夢の中でもそのままの髪型で鏡を見ている。


でも根元の地毛の色が全部、白髪で真っ白になっていて

ええ!!急に全部白髪に!!!どうして??

と思って髪の毛を引っ張って驚いている夢。


そのシーンだけ覚えていた。


髪の毛の夢って

艶々の長い髪や整える夢は良い夢、

髪をカットしたりするのは良くない夢・・・と昔見た気がして

ちょっと気になって検索してみた。


「生命力が低下して体の疲れが夢に現れています。」


・・・・・ははは。やっぱり。


まあ、悪い夢じゃないから良いか。



私は占いとかをするのは結構好き。


信じるとか信じないとかのレベルじゃないところで楽しんでる感じ。


当たってるとおお、当たってる~と思うけど

占いが嫌いな人からしたら「だから何??」だろうな。


悪いことが書いてあっても「あらま嫌だわ。」と思うだけで

すぐに何が書いてあったか忘れてしまう。


昔、動物占いとか流行ってやったけれど

自分が何だったのかすっかり忘れてしまった。


立ち話で動物占いの話が出た時に

皆、自分が何だったのか覚えていてびっくりした。


占いは私にとって

単に「たくさんある面白いこと」の一つだ。



30歳くらいの頃、同僚と上野で飲んだ。

会社は違う場所にあったのに何で上野だったんだろ?忘れてしまった。


帰りに酔っぱらってプラプラ駅に向かっていたら

一緒に歩いていた同僚が、

上野に300円でよく当たる占いオジサンがいると言う。


中央通り、ABABの前を少し駅の方に行ったところにいるオジサン。


ちょうど通ったら居た。


屋根が取れたお祭りの屋台って感じの中でビールを飲んでいる。

手前に何故か小さめのコピー機が置いてあり、

汚い字で白い紙に油性ペンで「三百円」と書いたものが貼ってある。


ニコニコ酔っぱらってイイ感じになってるおじさん。


ええ???このオジサン??と思ったけど

同僚が勧めるので、三百円だし・・・と思ってお願いした。


そしたらコピー機に手を乗せろと言う。

乗せたらピカーッとして普通に私のてのひらのコピーを取った。


そのコピー用紙を見ながら急にペラペラ話し出す。


因みに私は三百円を払って「お願いします。」と言っただけで

自分の年齢や状況は一切話していない。


その当時、私は独身で結婚の気配もなく

特に未来を思い描く相手もいなかった。


その私に


『えっとね、世間でいうとちょっと遅めだけどね、結婚はするよ。

 でね、子供は男の子だな。一人な。

 この子供がさあ、すごい子供なんだよ。いいよ、あんた。

 この子供イイ奴だよ、良いもん生むよあんた。

 

 この子供を生むってのがあるからさ、そのタイミングで結婚するけど、

 ホントはあんたは結婚するのが遅ければ遅い程良いんだ。

 まあ、そうは言っても産める年齢があるから。

 あんたは男の子の母親になるから仕方ないね。

 

 でもあんたの旦那は××・・・・・・(以下、的中していることもあり自粛。)

 

 あんたはさ、動じない人だね。何があっても驚かない。

 会社やんなよ、この人と(先に占ってもらった同僚。)。

 こっちの人は二番目のポジションが向いてる。

 トップはむいてない。あんたはトップが向いてる。二番目は無理。

 自由な気持ちが強いあんたをフォローできるこの人。

 いいよ~この二人で仕事するの。

 

 あんたね、恋愛はたくさんするけど冷めてるよね。

 こいつだっていつも思えないの。

だから常に男を不安にさせるんだよね。

 

 あんたは50過ぎてからだからね。

 50過ぎてから、ずっとだね、老いらくの恋ってやつだよ。

 それくらいになってこいつだと初めて思うね。

 そこから先は大丈夫だ、死ぬときはちゃんと幸せだ。


ただね、言葉が足りないんだよ。

危機はあるね。お互いに言い訳しないからね。

別れる理由がないんだよね。誤解であんたが離れるかもね。

でも誤解だからね、足りないんだよね、言葉が。


あんたは同情心と責任感が強いからね。

 真面目なあんたの結婚は ××・・・・(以下、自粛。)』


まあ、内容はそんな感じで立て板に水の如くペラペラ。


当時、一緒に占った同僚は結婚していて子供は姉妹、

そんなこと聞かないでも


『えーっと子供は女二人ね。結婚は・・・向いてないね、あんた』


と聞きもしないでペラペラ。


どうして判るのかと聴いたんだけど


『なんかね、手を見ると判るのよ。何でだろうね^^』


とニコニコするほろ酔いのオジサン。



今、振り返ると当たっている。


当時、子供を持つなら女の子がいいな~と思っていた私は

え~?!男の子?!と思ったし、

子供を生むなら一人っ子は避けたいと思っていた。

でも実際、男の子を一人生んだら一人っ子で育てたいと思った。


仕事に関しては未だ社長になってないけど(笑)


結婚に関しては(自粛部分も含めて^^;)本当に全部丸ごと当たっている。

何より結婚するなんて当時は思えなかった。


あれから10年くらい経ったけど同僚の事も完全に当たっている。



同僚はちょっと前にそのオジサンにまた占って欲しくて見に行ったらしい。

でももういなかったオジサン。


当たるのに占いにしては激安なところがまた良かった。



・・・・・・・となってくると


私が最近、急に思い出してから気になる

『50過ぎてからずっとの老いらくの恋』

ホントかしら???


もう、そういうことは面倒だなあ、と思ってしまうお母さんな私なのに。


まあ、死ぬ時に幸せだと言っていた。

そこが当たってるなら良いかも。


で、いつもフニャフニャの息子、のっぽ君を見ては

「・・・・すごい子供ねえ・・・。」

とやっぱり疑いの気持ち。


私が社長になったらそっちも当たるかもしれない。

そしたら覚悟するとしようか(笑)



朝、


洗濯をして干して

朝食を作って洗って

窓を開けて掃除機をかけて


毎日、5時半に起きて

半分眠りながら

こなしていくうちに目が覚めて


全部終わって

家族が外出して


ブラックコーヒーで一息ついた時、ふと思った。


いつの間にここまで来たんだろ。


結婚して子供がいて、私の母がそうしていたような日々。


今の私の息子の立場だった私が

いつの間にこっち側になったんだろ。


まあ、もちろん育って歳を重ねたからなんだけど。


未成年の頃はいつまでも『子供の立場の日々』が続く気がしていたかも。



30歳くらいの頃、

子供を持つってどういう感じなんだろう??と思い始めて

何年か経った頃に

誰かと結婚したがっていた夫と知り合って結婚した。


私は結婚をする時に

「よし、結婚するぞ!」

と決意をした記憶が全く無い。


正直、運命を感じた訳でも大恋愛をした訳でもなく

絶対にこの人でなければ!と言う強い想いも無かった。


知り合って直ぐから「結婚する」という流れが出来ていて

流れに乗ったらここまでたどり着いた感じ。


家族になる為に知り合ったような感じだ。


子供を持つことに好奇心がなければ

私はきっと流れに足を取られることもなく、

スタスタ歩いて通り過ぎただろう。


そして無事、私の子供、のっぽ君に出会えて嬉しかった。



その続きで今、ここにいる。


いろんなことがあるけれど、


思ったより楽しくのっぽ君を育てて、同じような毎日が過ぎていき


その後、この流れはどこにたどりつくんだろうか。




すごくすごく好きだった人、いたな。

でも今想えば一緒に生活できるような相性ではなかったな。


どうしても私が良いと言ってくれた人もいたけど

その流れに乗れない何かがあったんだな。


恋愛の渦中にいるとどうしてか解らなかったこと。


魔法が解けてしまった今、あっさりと想いだす。




いつかまた魔法にかかるのかな??


解けない魔法を私は知らないけど。



そうだったらちょっと困る。


何か今日は寒い。


床が冷えて寒くて寒くて手がジンジンするので

さっきちょっとだけ床暖房を入れてしまった。



昨日、買い物に歩いて行った。一番近いスーパー。


住宅街の中の道、

一番端を歩いて直角に曲がって1,2,3歩目の足の下の所に

大きなカマキリがガオーっとポーズしていた。


危うく踏みそうになってオットットと3歩目の足をずらした。


セーフ。


心の中で

「草むらに帰りなさい。」

と思いながら通り過ぎた。


・・・・・なのに今日。さっき買い物に行くのに通ったら

ぺったんこになった虫がいた。多分、あのカマキリ。


・・・・・・・ああ。

昨日、うまく避けてセーフだったのに。

悲しい気持ちで通り過ぎた。




最近ふと考えること。


生きるということ。



同じような人生でも


なだらかな人生をああ、疲れるこれで良いのか?と生きる人と

デコボコの迷路のような人生を足取り軽やかに、迷いなく生きる人。


その違いは何なのだろう。




きっと誰だって一度は


同じような問題を抱え、

似たような悩みで眠れぬ夜を過ごすはずだ。


性格の違いだと言ってしまえばそうなんだけどさ。


迷いなく進める意志ってなんて素敵なんだろう。


デコボコ人生を楽しめる、その感性って

生きていく上でとても大事なんだろうな。




私は大雑把だけれど

色々気にしてしまう性格なので


私はこうやってここで生きて行こう!と思っても

ふと周りを見渡して、一緒に歩いていた人数が減ってくると

不安な気持ちが芽生えて迷ったりする。




全然、関係ないようなことだけれど


出産で私は42時間かかった。

その病院で一番長い陣痛新記録だった。


私が望んで一人で出産した。


痛みで意識がもうろうとして

自分が何でここにいるか解らなくなって

本当にもうダメかと思った。


でも気絶しそうな長時間の痛みで


掴んだ点滴を引きちぎりながら


世界中の人がこうやって生まれたんだ。

もれなく全員こうやって誕生したんだ。


私だって大丈夫。大丈夫。


そう思い続けて歯を食いしばって乗り切った。


世界中で私一人があの痛みと戦って出産するのだったなら

私の意識は飛んでいたに違いない。


世界中の誰かの同じような苦しみに寄り添わなければ

私は乗り越えられなかったと思う。


そう、私はよく「強いね」とか言われるけれど

同じような思いの誰かを見つけなければ

辛い時を超えられない弱さを持っているなと日々思う。



遠くに誰かいるかもしれないが

見渡す限りは誰もいない、ちょっと複雑な人生の迷路を


いいさ、いいさ、一人でいいさ、

私はこっちが良いんだから!

と足取り軽やかに進める人に私はなりたい。


自分の意思の力を頼りに

すべて乗り越えられる強さが欲しい。


そして迷路の途中で誰かに出会ったら


今来た道はこんななのと

笑顔で語れる友達になりたい。


今日は美容院に行ってきた。


ロングヘアにゆるゆるパーマ。

パーマ液の匂いがむんむんする。


私にとっては懐かしい匂い。


そして想うのは、


初めての挫折の苦しみを味わった10代最後の年。

平気な顔して友達と笑い合う裏で

どこにもぶつけられない怒りと悲しみでいっぱいだった。

本当に立ち直ったのはいつだっただろう。



私は美容師になりたかった。

いつの間にかどうしてもなりたくなってた。


近所のパーマ屋さんではなく

都会の美容師になりたかった。


有名大学に行くのが当たり前な家庭に育って

美容師になりたいと言い出した私に親戚一同驚愕した。


祖父は

「髪結いなんて水商売だ。」

とまで言い放って反対した。


そりゃそうだ、親戚一同ホテルや料亭で会食し

写真館で毎年写真をとるような家庭だったのだから。


有名大学を出て有名企業に就職し、同じような境遇の相手と結婚する。

誰もはっきりとは言わないが、それしか許されない環境。


学校の担任でさえ「せめて付属の短大へ」と渋い顔をした。


でも私の父は違った。


進路希望に「美容専門学校」と私が書いた保護者欄に

一晩待てと言って翌日、黙って判をおしてくれた。


「職業に貴賤はない。どんな仕事でも本人次第だ。」


とだけ言って他には何も言われなかった。


当時、美容専門学校は1年間だった。

卒業して学科の試験を受ける。合格しなければ何度でも。

そして1年間インターン(見習い)としてお店で働いたという実績と合わせて

実技の試験を受けて合格し、2つ合わせて晴れて免許となるという制度。


専門学校は楽しかった。

同じ目標を持つ友達。


そして卒業して都内に住み始め仕事を初めてすぐだった。


夜、苦しくて眠れなくなった。

咳ばかりして涙がでて苦しくて苦しくて不安になった。


病院に行った。


喘鳴はないのに喘息の症状だと言われた。

今すぐ仕事をやめるようにと言われた。


でも治ると思って辞めなかった。酷くなっていった。


また病院に行ったら今なら引き返せるからと

医者に説得されてしまった。


悔しくて悔しくて待合室でずっと泣いていた。


お店をやめた日、246沿いの電話ボックスから

専門学校の先生に電話した。

明るく話すつもりが大泣きしていつまでも話せなかった。


その次の火曜日。


収入が少ないので友達と同居していた私のアパートに

突然、たくさんの仲間がたくさんのケーキを持ってきてくれた。

皆がそれぞれ思いついて買って来てくれたので

物凄い数でケーキ屋のようだねと皆で笑った。


先生から聞いたよと明るく誰かが言ったきり、

誰も仕事については聞かなかった。


学科の資格試験の前日、

「しょうも受けようぜ。」

と電話がたくさん来た。

私もみんなと受けて合格した。


高校時代の同級生だった同居の友人には

泣いた所は見せたことがなかった。

何故か彼女には本音や弱音を半分も言えず、

そして私の暗い気持ちに気づく人ではなかった。


涙があふれそうな時は

一人で羽根木公園に行って泣いた。


それから沢山アルバイトをした。

倉庫で日雇いもやって劇場でスタッフもやった。

何とか美容関係の仕事をと思ったけど

エステでは水蒸気の勢いで咳が止まらなくなってやめた。

同居人は実家に帰った。


気持ちの区切りがついた頃、

保険会社に就職した。

親族のコネクションを拒否したのが最後のプライドだったけど


「ああ、結局ここに戻ってしまった。」


と言う思いが消えるまで時間がかかった。


やけくそで咳をしながらタバコを吸い始めた。

どうにでもなれとずっと思ってた。

電話に出られないくらい呼吸ができない時もあった。


だんだん美容学校の先輩や友達から

ショーのモデルを頼まれる機会が増えてきて

モデルのメイクをしては深夜まで撮影し、

ショーではウオーキングもした。

その頃、人前に出る仕事の話も沢山貰ったけど、私は向いていないと思った。


本物のモデルを使うと発生するギャラを抑えて

大切な仲間の夢を手助けしようと思って引き受けていたけれど

いつしか自分がマネキンのように思えてやめた。


事務の仕事に慣れたころ、

これはこれで頑張ってみようと思った。


夜は事務系の学校に通って勉強した。

ああ、私は事務の仕事に向いているなと思ったら

なんだか初めて心がスッキリした。


それからだな。


私がちゃんと前を向いて毎日を楽しめるようになったのは。

美容院の前を通っても何とも思わなくなった。

ああ、ダメだったなとホンの少しの痛みを感じるくらいになった。



今はもう何とも思わない。

美容師さんに最新の技術を教わって

へえ、進化してるなあ~なんて思う余裕もある。


辛い時期、ずっとライブハウスに通い詰めていた。


プロとはほど遠い技術のバンドの人たちもいたけど

ミュージシャン達のパワーが私を少しづつ救ってくれた。


何だか解らないけど


みんなそうなんだ。


みたいな気持ち。


あの頃、聴いた音楽にどれだけ助けられたことか。




私は今、元気でたくましいオバサンだ。


息子にはこれから自分で作る未来がある。


それがとても嬉しい。


土曜日はのっぽ君が卒園した幼稚園の運動会だった。




この幼稚園、地域でも有名な一風変わった幼稚園。




何も知らずに入園してくると

行事がある度にビックリどころの騒ぎではない。



まず最初の親子遠足。

イチゴ狩り遠足なのだけれど、その後。



くねくね細い山道を散策し下り坂に来たら突然、


「はい!並んで~^^」


で、園児はちょっとした坂の上から

順番にポーンと園長に投げられる。


坂の下には腕っ節のいいお父さん方やお母さん方が

待ち構えていて受け止める。


泣こうが喚こうが全員投げられる。


投げられる子供は当然、爆泣き多し。


受け止める方だって絶対に落としてはならないから必死だ。


子供が終わるとお母さん、お父さんが坂道を転がされる。

・・・と言うか突き飛ばされて転がり落ちる。


雨のあとなんてドロドロで最悪。


でも何か楽しい。恥もプライドもオシャレも何もない。

皆で泥だらけでゲラゲラ笑いあう。


ひ弱なのっぽ君なんて泣きすぎて疲れてボロボロだったけど。




保育参観もすごい。




まあ、普通に保育参観をする。


でも園長から


「保育参観ではなく保育参加ですよ^^」


と言われる。??と思っていると

園児の部屋から保護者だけお遊戯室に移動する。


何故か、跳び箱が三段から九段までセットされている。


いきなり大音量で「サーフィンU.S.A.」が流れてきたと思ったら


「さー飛んで飛んで~^^」


それぞれ自分がイケると思う高さを順番に飛ぶ。

飛び終わったら待ち構えているカメラにポーズがお約束。


その様子は園児の部屋に中継されていて

モニター見ながら園児達は大興奮。。。。


私は八段跳べた。後でのっぽ君に褒められて嬉しかった。



その後もすごい。



曲が「ジョニー・B・グッド」に変わったら


「さー踊って踊って~^^」


保護者にタンバリンやカウベルや鈴なんかを適当に配りつつ、

お立ち台までセット。


私なんてスティックを渡されて


「テキトーに宜しくね~^^」


とドラムセットの前に座らされてしまったし。

やったことないがまあ、いいやと本当にテキトーに叩いたら楽しかった。


終わってやれやれと思ったらまた曲が始まって

今度はお立ち台に乗せられ、何故か木魚を叩きながら踊るハメに。


そして保護者皆で一列に並んで楽器でリズムを取って踊りながら

保育室全部を回るのだ。


後日購入したDVDを見たら

ブツブツ嫌がってた大人も最後は大笑いで踊ってた。



そんな幼稚園の運動会。


運動会と言うよりも・・・・エンターテイメントの世界だ。



ドラムセットが本部にセットしてある。


園児の演技はまあ、よくある可愛い親子ダンスとか普通なんだけど。



園児の演技が終わると突然、またまた「ジョニーBグッド」が。


担任の先生方が何故かチャイナ服にロックな長髪のカツラにサングラスで

輪の中に飛び込みノリノリツイストを披露。


「私よ~^^わかって~!!」


何て言いながら園児に向かってモンキーダンス。

呆然とした園児は先生の誘導で退場。


何も知らない残された保護者はなだれ込んできた集団をみて唖然。


第二子で事情を熟知した保護者や卒園生(大人)が

この日の為に仕込んだ着ぐるみやコスプレの集団。


エルビスプレスリーや全身着ぐるみスカイツリー、

志村けんばりのおばあさんや園長(男)のちびまるこちゃん。

好き勝手なモノになりきっている大集団。


このままお笑い系のテレビに出られるほど完璧な扮装。


そしてこれまた保護者で結成されたバンドのホーンセクションが乱入。



もちろん園児達の可愛い競技や演技も普通にあるけれど、

突然、大騒ぎで踊ったり笑ったりの時間がこの運動会には度々ある。



そんな運動会なので、もう三十年前に卒園した会社員が

参加したくて北海道からこの為に駆けつけたりするのだ。


卒園生は中学、高校に行っても友達同士で自転車に乗ってやってくる。


そういう幼稚園なので保護者もフットワークが軽い人が多い。

恥もプライドも捨てて楽しんだ子育て仲間だ。



園長先生が言うには


これから小学校に行き、社会に出て、子供達は嫌でも自立させられる。

一年生だって学校でいろんな思いにたった一人で立ち向かう。


卒園したら、もう我々大人は手を貸せない。


幼児期に楽しかった幸せだった思い出をたくさん持っている子は強い。

何があっても自分で立ち上がれる仲間と思い出をあげたい。


頑張れる子になって貰うために。


帰れる場所、辛くて辛くてもうダメだと思った時、

ああ幼稚園に行こう、あの場所に行ってみようと思ってほしい。


実際、受験期にこっそりやって来て

幼稚園のシンボルのポプラの木を見上げて佇んでいる卒園生も見かけた。



幼児期は経験がすべてだとの考えの園長。


年長になると毎月、朝8時集合18時半解散の遠足がある。


房総半島の真ん中付近から一クラスずつ園バスで都内に出かける。


安全に連れて行くのは大変だ。

なので子供の人数より引率の大人の方が多いくらいの時もあるし。

卒園生や保護者の有志が、勝手に引き受けて付いていく。


九十九里に海水浴だって行く。

都会の水族館や博物館で幼稚園児が

ちゃんと子供だけでグループ行動もする。

浅草寺、上野動物園、

上野の蛇屋では太い蛇を肩にかけられる!

筑波山も徒歩で登る。


皆、本当に陽気で逞しく成長する。



泣き虫なのっぽ君に園長が言ってたこと。


「頑張れよ。今は大丈夫だ。ママと一緒だ。

 学校行ったら頑張って勉強するんだ。

 頑張った先に良い友達がいるんだ。

 頑張らないヤツには行けない場所があるんだ。

 男だろ、いつかはママを守るんだぞ。」


そしてレーサーになりたいと言い続けていたのっぽ君を連れて

バスの運転席に座らせてニコニコしていた。



この園長、もう70近い。

奥様である副園長はもっと上だ。


でも誰かに幼稚園を継がせるという考えはないそうだ。


「これは私の夢だから。これは私一代の仕事なんです。」


園長らしい考えだと皆言っている。



まだ在園していた頃のある日、


園庭のラベンダーに水やりをしていた園長が話しかけてきた。


「このラベンダーね、卒園生が北海道から送ってくれたプレゼントなんですよ。」


「カードが付いててね、一言だけ

『園長、枯らしたら殺す。』 怖いですねえ^^」



すごく嬉しそうだった。



そんなキャラもOKな幼稚園。。。。

アイツは中学校の同級生だった。



校内暴力や暴走族が全盛期、ベストセラーは積木くずし。



私の通っていた中学校はかなり荒れていた。

ワルのグループを追いかけて先生方は授業が出来なかった。


それでもブツブツ言いながら校則を守り、

遅刻をしないで通う子がほとんどだった。



私のクラスでただ一人のワルがアイツだった。



男子には嫌がられ恐れられ、

アイツのせいで休みがちになった子もいた。



私はアイツと言葉を交わした記憶がない。




そんなアイツが10年経って

いきなり電話を掛けてきた。


「久しぶり。俺俺、覚えてる?」


と、やけに親しげに馴れ馴れしく話す口調に

私はちょっと身構えた。


連絡先を教えたのは誰だと少しイラッとした。



妊娠している妹の旦那が逮捕されて

妹は義理の親に虐待されている。


どうすればいいのか解らない、相談に乗ってくれと

いきなり昔のままのヤンキー口調で話した。


「俺、頭イイまともな友達いないからさ。」


と小さな声でつぶやいていた。



何だかんだと話すうち、

アイツの信頼している少年課の刑事に相談することになった。


「ありがとう。相談して良かった!」


と明るく言ったので


「110番じゃないよ。外線の番号にかけるのよ。」


と私が言ったら、よくわかんねーから直接訪ねると言っていた。




それからちょくちょく電話がかかるようになった。



10年経っても中学校時代を昨日のことのように

ヤンキー口調で話すアイツに

私はウンザリしていた。



アイツが話す身の回りの事件は

会社勤めをする私にとっては恐ろしい以外の何物でもなかった。



その頃からアイツは



私の小学校からの幼馴染で

中学校でも同級生だったオースケにも

私に話すのと同じような意味の無い電話を掛け始めた。



中学校時代に女子にモテモテだったオースケを

いじめて追いつめていたくせに。



オースケも何だ?あいつ?と言っていた。


成長してなくてこえーよとも言っていた。




時々掛けてくる、アイツの電話の声が

だんだん酔っ払いそのものに変化してきた。



私はうんざりしてずっと留守電にしていた。



アイツはそれでも留守電に向かって

毎回、延々話し続けて

私はラジオのように呂律の回らない声をきいていた。



実家に住んでいたオースケはずっと受話器を取っていた。




ある日、意味不明なことを留守電に話すアイツの声を

きいた瞬間にひらめいた。



受話器をとって



「ドーピングしてるでしょ。」



と一言言ったら

アイツは何かを言ったけどよく解らなかった。




オースケに電話をしたアイツは

呂律の回らない声で久しぶりに会おうぜと言ったらしい。



駅で待ち合わせだというオースケに

私は危ないから行かない方が・・・と言った気がする。



でも車で行くから大丈夫、遠くで見て様子がおかしいなら

車から降りないからと言っていた。



「アイツがおかしかったら通報してやっていいよな。」



そういっていた。



30分経って電話しなかったら

しょうが通報してくれとも言ってでかけた。



でもアイツは来なかった。


オースケは駅周辺を捜したらしいけどいなかった。




それからアイツは私にもオースケにも電話をして来なくなった。





30歳の時、クラス会があった。



私もオースケも参加していた。



アイツが繰り返し言っていた。



「俺、高校卒業したんだぜ。一回やめたけど頑張ったんだぜ。

 みんなさ、俺が馬鹿だと思ってるけど高卒になったんだ。

 俺はクラス会、呼ばれないから今度会ったらみんなに言ってくれ。」


「自衛隊でさ、新人は横須賀がきついんだ。逃げたヤツいっぱいいたのに、

俺は逃げなかった。雪の中でも頑張ったんだ。みんなに言ってくれ。」



アイツが話題になったら話そうと思ってた。



でもその前にチーコが眉を顰めて言った。



「アイツ、死んだんだよ。薬だってさ。」



地元で地域で交流のある連中はそうそうと言っていた。

でも誰もアイツがいつ何処で死んだのか知らなかった。



「知りたくもねーし。」



と昔、ひどく苛められていた男子が言った。



私とオースケがアイツが高校を出て自衛隊で頑張ってたらしいと

話しても誰も何も言わなかった。



あれ以来、クラス会には出ていない。




15歳の春から会っていないアイツ。



なんで私に電話をしたかと聞いたら


「ちょっと可愛いと思ってたのに、ちょっかいだすと

こえー目で見て無視してたから。

この女、中身は男よりスゲーつえーと思った。

頼るならあの女だと思った。」

とか何とか言って私が男みたいだと

イライラさせるヤンキー口調で熱弁をふるっていた。



モテモテだったオースケが河童ハゲになったらしい

きっと独身なのはそれだと嬉しそうに話していた。




ごめん。





思ったより頼りなかったね。


語りあえる友達が欲しかったんだよね。


俺、話しを聞いてくれる友達がいないっていってたけど


オースケはホントに心配していたんだよ。


通報してくれって出かけた時、男の友情をみたよ。


ちゃんと友達はいたんだよ。


なんであの時来なかったんだ?


オースケは恐がりながら

あなたの為に通報するって震えてたんだよ。



人とのかかわり合いが苦手だったのは

あなたの育った家庭のせいだってみんな知ってたよ。




中学の担任も言ってた。


アイツの家は保護者がいないってね。



お袋は男作って、親父は女作って

俺と妹をおいて毎晩どっかに行っちまうって。


俺は結婚したら子供を守る。


絶対に家族を命がけで守るって言ってたね。



次に生まれるなら


お前んちみたいな家にお坊ちゃんで生まれてやるって

言ってたけど、


私はあなたが言うほど頭も良くないし、

お嬢さんでもなかったんだけどな。




ごめん。




留守電にしちゃってて。


だって、ヤンキー口調で馴れ馴れしいのが

怖くてうっとおしく感じちゃったの。



あの頃、私、恋愛も仕事もごちゃごちゃしててさ、

10年会ってない人に真剣に向き合う余裕はなかった。



命日も知らないし、お墓もあるのかわからない。



もうどっかに生まれ変わる準備してるかな。



ウチの息子の子供にはなるなよ。


あなたのヤンチャぶりは私の手には負えないわ。



大丈夫、私は息子を命がけで守るわ。



子供を生んで親になって

やっとあなたの言ってた家庭の理想が解ったよ。




ごめん。




本当にごめんね。




ブログに書いてどうにもなる訳でもないけど




誰にも言えないし許してね。

彼はのっぽ君と同じクラスのお友達。


時々我が家に遊びに来るメンバーの1人。


昨日ものっぽ君のお友達が4人、遊びに来た。

その中に彼もいた。



のっぽ君がウキウキ顔で帰宅して

「今日は4人来るよ~♪」

と鼻歌歌いながら宿題を始めたら、3人のママからメールや電話がきた。

「子供が約束してきたけれど今日はお邪魔させて良いですか?宜しくお願いします。」

みたいな内容だった。


メールの返信を打っているとピンポンがなった。出て行くと

コンビニのハンバーガーとチョコスナックの袋をむき出しで抱えた彼が立っていた。


彼はテーブルで宿題しているのっぽ君の隣に座りハンバーガーを机に置いた。

せっかくなのでちょっとチンして温めてあげたら喜んでパックリ食べ始めた。

あ!と言って私のところにチョコスナックを持ってきてくれた。


麦茶を嬉しそうに飲んでパクパク食べている。


食べながら宿題中ののっぽ君に色々話しかけている。


「俺、宿題もうやってきた。」


「のっぽは母ちゃんに叱られる?」

「うん、超叱られる。すっげーこえーよ。」

「俺、叱られない。全然叱られない。」


そしてキッチンで夕食の準備をしている私のところにきて


「母ちゃんと父ちゃんがすっげー喧嘩するの。いつもしてるの。

俺が寝てても喧嘩しててうるさくて眠れないの。いつもすげーの。」

「俺、全然叱られない。のっぽは叱られるの?俺は何にも叱られない。」

と言う。


その後、みんながママに連れられてやって来て楽しくゲームをしたり

みんなが持ってきてくれたおやつを食べたりして過ごした。


帰宅時間の5時になった。


学区が広くて心配事が多い地域なので三人の母さんがそれぞれ迎えにきた。


お母さん達が来たと同時に全員、公園向かって駆け出して遊び出してしまった。


大人は口々に

「もう5時のチャイム(自治体が流す音楽)なったよ!」

「ウチに帰ってご飯だよ!」

と叫んでいた。


彼はお母さん達のところに来て

「俺まだ大丈夫。まだ帰って来ないし。」


その後、1人で自転車に乗って帰っていった。



違う日にはのっぽ君が彼と我が家からすぐのコンビニで待ち合わせだと言った。


1年生だし、まだお金を持たせていない。

お店で待ち合わせはダメ、ママも一緒に行くからと言う私と

大丈夫だと言うのっぽ君で話し合いをしている最中にピンポンが鳴った。


コンビニの袋にコーラ一本とうまい棒2本入れたものを提げていた。

リビングのソファーに座ってうまい棒を一本のっぽ君にくれた。


「俺んちにはポテトチップとかポッキーがあるの。」

と言う。


一日授業参観の時、のっぽ君の後ろの席で国語や算数はグタッとしていたけれど

図工の粘土の時は張り切って生き生きして楽しそうだった。


「国語と算数のプリントはのっぽ君に見せて貰うので

のっぽ君がダメな体育で走り方を教えてあげたんだよ。」

と可愛く笑っていた。


他の友達のお母さんの話だと


約束してない日の5時近くにピンポンして彼がやってきたそうだ。


「ごめんね、おばちゃん家、今日はダメなのよ。

もう5時だからお家の人が心配するよ。」

と言うと

「お家には居たくないんだよね。」

と言ってお家とは逆方向に自転車で行ってしまったらしい。


「俺は○○幼稚園だったんだ。」

と言うけれど、○○幼稚園出身ではないのは皆知っている。


「俺もこれ持っているよ。」

と言うけれど持っていないのは皆知っている。


彼は元気でとても素直で一途で優しい子。


時々喧嘩もするけれど仲裁した大人に

自分の都合の良いように報告する年頃の子供達の中で

事実をありのまま話し、一番に謝って仲直り。


彼の放課後がクラスの男の子の母親達の間で話題になっている。


大人の、

親の責任は大きい。


大人が親が自分のことで手一杯の時も

子供は親の背中をちゃんと見てる。

子供は親を見ているしかできないんだ。


こうだったらいいな。

あんなだったらいいな。


自分に理想があることも幼い子供は気づかないでいる。

本当は寂しい気持ちがあることさえ、本人は解らない。


自由にお菓子やジュースを買えるお金を持っているのに

「俺の家には母ちゃんが買ってきたポテトチップとポッキーがあるんだ。」

とわざわざお友達に話す彼の心情を思うと切ない。


お母ちゃんが買っておいてくれたポテトチップと

自分で買ったうまい棒、彼にとっては全然違うものなんだ。


お母ちゃんは気づいているのだろうか?


がんばれ。と思う。

キミが大人になって偶然会ったら

幼い頃のキミはとっても頑張っていた、とてもイイ子だったと教えてあげたい。



のっぽ君の小学校に行った。授業参観だ。


一学期は国語だったけど、今回はのっぽ君の得意な算数。


授業開始と同時に教室に入った。


教室が空いていたので姿勢を低くしてペコペコしながら

教室の一番奥まで進んだら、窓際ののっぽ君が良く見える位置で良かった。


のっぽ君はキョロキョロして私を捜していたけれど

私があまりにもピッタリ真後ろに立っていたので

目が合ってニッコリまで時間がかかった。


のっぽ君の隣の席に我が家に遊びに来たことのある男の子が座っていて

振り返ってニコニコ手を振ってくれてすごく可愛かった。



授業開始、最初は「頭の体操」という事で

先生が簡単な計算問題が大きく書かれた画用紙を見せて答えさせる。


「わかりますか??」


と言ったらクラス全員が


「はーーーい!」


と、指されたくてウズウズした感じで挙手。


1学期の参観ではクラスでただ一人、手をまったく挙げなかったのっぽ君も

元気に手を挙げていてちょっと嬉しかった。


最近まで先生も


「のっぽ君は解っていても手をあげないんですよね~。」


と言っていたし。


珍しく?手を上げたのっぽ君を先生はちゃんと見つけてくれて

トップに選んで指してくれた。のっぽ君は立ち上がって


のっぽ 「7です。」

みんな 「いいで~す。」


私にとっては懐かしい小学校の授業らしい掛け合いが終わると

のっぽ君はちょっとこっちを見てニタッとした。


最初に見せ場を作ったのっぽ君は

自分の出番は終わったとばかりにその後は一度も手を挙げないで

ボケーっと授業をきいていた。


クラスの皆が何度も指されたくて


「はーい!!はーい!!」


と張り切っている中でのっぽ君の席だけ

マッタリノンビリとした空気に包まれていた。


最後にまとめの文章問題が何問か載っているプリントが配られて

みんな静かに取り掛かった。


算数大好きなのっぽ君は集中してカリカリ書いた後、またマッタリ。


先生が文章題の解き方を虫食い問題にした画用紙と油性マジックを何本か持って

プリントに取り組んでいる児童の間を見て回っている。


先生に選ばれた何名かはその画用紙に答えを書き、黒板に貼り、

棒で画用紙を指しながら読み上げるという大役を与えられる。


普段もそういう授業をしているようで

先生が何も言っていないのに手を挙げてやりたがっている子がたくさんいた。


たぶん、いつもは満遍なく適当にやらせるんだろうけど

授業参観なので間違えている子が恥をかかないよう配慮しているようだ。


先生が側まで行って、プリントの解答をさり気なくチェックしてから

何人かに画用紙とペンを渡していた。


のっぽ君は僕には関係ないという風情で

鉛筆を目の高さに両手で持ってカーズのイラストをしげしげと眺めていた。


先生がそばに来てもそのまんま鉛筆をクルクルしていた。


が、先生が笑顔で画用紙とペンを差し出したら


「無理無理。いいです。ダメです。」


と頭をブンブン振って手の平を先生に向けて必死に断っている。


先生に


「大丈夫よ、自信持って。合ってるよ。」


とまで言われたのに、

先生が画用紙を机に置けないように姿勢を低くして断っていた。


のっぽ君らしい授業風景で私はニヤニヤしそうになりながら最後まで見た。



授業の時間が終わり、帰りの会の準備が始まった。

皆、ランドセルを持って席に戻って帰る準備。


のっぽ君は隣の席の男の子がのっぽ君のランドセルまで席に持ってきてくれて

嬉しそうにお礼を言っている。


引き出しから荷物を出してランドセルに積み込むのをみて

普段、学校から色々なものを持ち帰るのを忘れる理由が判った。


引き出しの教科書ノートを両手で掴んで一気にランドセルに入れて蓋を閉めて終了。

私と目が合ったら慌てた様子で

お箸とナフキンとマスクが入った給食袋をランドセルに押し込んでいた。


でも下校時に筆箱を引き出しの中に忘れていた。


たまに学校生活の様子を垣間見ることがあるけど

今回の授業参観のようにマイペースなのっぽ君を見ると苦笑いと共に安心する。


無理してないなあ、ナチュラルに過ごしているなあと。


幼稚園~小学生の頃、転校が多かった私は「学校で気を使わずに在りのままで過ごす」

と言う事がなかなか出来ず、

友達と過ごす修学旅行や林間学校が本当に楽しみになったのは

転校を一度もしなくて済んだ中学生になってからだった。


先生に言われたことを守らなくては、皆の流れに乗らなくてはと

学校が変わる度に変わる常識、習慣、方言など精一杯の思いで過ごしていた。


たぶん私は転校が向いていないタイプだったのかなと今になって思う。


学校で頑張っていたので

成績もそこそこ、友達もちゃんといたし、かけっこも速かった。


両親はあまり心配していなかったと思う。小学生の私はイイ子だったと思う。


でも学校生活は窮屈で、自分は変に見えていないかいつも心配していて

自分の感情を開放して思い切り楽しむ事がほとんど無かった。


そしてそんな怯えた自分を誰かに打ち明ける事もできなかったので

誰にも解ってもらえなかった。

解って貰うと楽になるかもという事を思いつけないくらい幼かった。



のっぽ君にはナチュラルにタラランと過ごして欲しい。


頑張ったってかけっこは遅いかも。

考えても考えても解けない問題もあるかも。


でも


「あ゛ーーーダメだったあ!!」


と明るく元気に悔しがって欲しいと思う。


三学期の授業参観はどうだろう??楽しみ。