秘書アシスタント 岡田知子です。

今日の午後、
「陣痛始まったかも~。でもまだ病院来なくていいって言われたから、いまうどん屋さん笑」
というLINEが友達から届きました。

予定日は週末だったはずだけど、2人目だから少し早いのかな。
そういやそんな話をしてたっけ…と思いつつ、

「おう!がんばれー!!」

と返信しました。


そしてさっき、仕事終わりにiPhone見たら。
彼女の旦那さんから、

「産まれたーー!!」

の文字。


まじか!
早い!!

 
そして、「産まれた」の文字と一緒に送られてきた写真には、
産まれて本当に直ぐの小さな赤子と、疲れ切った顔の友人と、笑顔の旦那さんと、キョトンとした上の子が写ってた。

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(プライバシー保護のため写真は載せられず)

赤ちゃん、すんごい小さくてね。
なんかね、家族ってこうやって出来ていくんだな、
幸せってこういう形なんだな、
産まれるってこういうことなんだな、とかね。

あまりにも、その存在が圧倒的で思わず涙。
名古屋の路上で、信号待ちしながら。
(大丈夫、誰も居なかったから)
 

でも何ていうか、そこに「嫉妬」という感情はなくて、
「よかったね」「おめでとう」「お疲れ様」
そういう温かい気持ちで満ち満ちていて、そのことに驚きました。

前はそういうメールを見るたびに、
「産まれたんだ。はぁ、いいなぁ。私には何も無いのに」って心をざわつかせながら、

「おめでとうー!きゃー!めっちゃかわいいね!!今度会いに行くね♡」

というメールを送ってた。

真顔で(怖い) 

 
結婚とか出産とか、死ぬほど欲しいのに手に入らなかったから、持ってる人を羨んで嫉妬して自分を守ってた。
そして心から喜んであげられない、そんな自分が大嫌いだった。


それがここ最近、
幸せな満ち足りた人を見ても、前ほど心がざわつかなくなったことに気付いたのです。

多分、「金持ちになりたけりゃ、金持ちを見ても嫉妬するな」みたいなことを聞いてから、
ベンツとかレクサスとか乗ってる「明らかに金持ち」が嫌いだった自分と向き合って、

「本当はすごくお金持ちになりたいんだね、わたしったら」

という気付きに出会い、
成金だろうが、生まれ付いての資産家だろうが、
「お金持ち」という人への特別視をしなくなった(最初はしないように努力した)ことがきっかけかもしれない。
あとは、素敵なお金持ちの人達に沢山出会ったのも大きいのかもしれない。
(そのあたりのことは、また追々)


これは、本当は自分がなりたいのに、なれないと思ってるから嫉妬してる。
という気付きだったわけなんですが。

それも飛び越えて、

人がどうであろうと、関係なくない?ってことなんですよね。

人が幸せだからって、私が不幸になるわけでもないし、
人が不幸だからって、私が幸せになるわけでもない。


お金持ちに、「いいよね、あなたはお金で苦労した事ないでしょ」という憎しみを持ったところで、
その感情はどこにも行きつけないし、
「ええまあ、お金で苦労はしてません。それが何か?」という答えになっちゃうわけだし、


人がどうこう気にしてる暇があったら、
自分が幸せでいることにもっと頭も心も使おうぜ。


ということ。
で、合ってるかな。


友人の出産によせて。
書きたいことつらつら書いてみました。

おめでとう、我が友。
そして、小さな赤子よ。
この素晴らしい世界へようこそ。


あんな風に苦労して産んでもらった命。
誕生の瞬間に、沢山の人を笑顔にしたであろう命。

くさくさしている暇はない。
歩き出せ。