羽生結弦選手 | 青龍のブログ

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おはようございます\(^^)/

羽生君て本当に
お口が可愛いです♥(//∇//)











~ニュース~





羽生結弦に感動 チェンが米誌に激白「ずっと1人で…どんなに大変なことだったか」
1/7(木) 16:33
配信 THE ANSWER

 フィギュアスケートの全日本選手権で優勝した羽生結弦(ANA)。計319.36点の高得点で5年ぶりの優勝を飾り、国内外で絶賛の嵐が巻き起こっていたが、世界選手権2連覇の王者ネイサン・チェン(米国)も羽生の演技を絶賛している。米専門誌のインタビューで答えている。

 圧巻の演技で国内外に感動を届けた羽生。世界選手権で連覇を飾り、全米選手権を控えるチェンも大きなインパクトを受けていたようだ。

 米フィギュア専門誌「IFSマガジン」はチェンのインタビューを掲載。全日本選手権の羽生について、こう語っている。

「(羽生の演技を見たか?)もちろんです。感動しました。彼はずっと1人でトレーニングしていましたし、それはどんなに大変なことだったでしょう。とても強かったと思います。彼の滑りを見たことはとても良い機会でした。そしてショウマも同様に良かったです。ライブのスケートを見ることができたのは凄い久しぶりでしたが、本当に良かったです」

 羽生の演技を「感動した」と絶賛。孤独なトレーニングを経て残した結果に敬意を示している。

 さらに「どの大会でも良いですが、近い将来お互いが競い合うことを楽しみにしています。いつも話していますが、ハニュウと戦うことは特別な感情と経験を生みます。本当に楽しみです」とも話しているようだ。

 競演が実現するならば、スウェーデンで開催される世界選手権(3月・ストックホルム)か。好敵手チェンも大きな刺激を受けているようだ。

THE ANSWER編集部
https://news.yahoo.co.jp/articles/466db854b66233a3214183d0d1cb71020a9ccd2e







羽生結弦「経験を使えている」小平奈緒「勇気をいただいた」 頂点に立った尊敬しあう2人の共通項とは

1/7(木) 17:01
配信 Number Web
羽生結弦と小平奈緒、世界の頂点に立った2人は高次元で共鳴する photograph by JMPA

 コロナ禍に揺れ、競技者たちにとってはあらためて自己を見つめる日々となった20年。年末に行なわれたフィギュアスケートとスピードスケートの全日本選手権で、トップアスリートならではの高次元の心模様が垣間見えるコメントがあった。

 長野市、ビッグハット。12月25日から27日まで行なわれた全日本フィギュアスケート選手権で、男子シングルを5年ぶりに制したのは羽生結弦だった。

 昨年の羽生は、2月の四大陸選手権優勝で史上初のスーパースラムを達成する幸先の良いスタートを切ったが、その直後に新型コロナウイルス感染症が世界を襲った。そのため、羽生は拠点のカナダを離れて日本国内で調整を続けることになった。

 練習は真夜中など他の使用者と被らない時間帯で、しかもたった1人。ブライアン・オーサー・コーチはおらず、練習メニューやプログラムの振り付けを自分で考えるなど、厳しい状況が続いた。「自分のやっていることがすごく無駄に思える時期があった」と語ったように精神的な苦しみも深く、秋ごろには「暗闇の底に落ちていくような感覚があった。どん底まで落ち切った」という。

小平さんのように、経験を使えている選手をすごいと
 だが、羽生はそこから自力で這い上がった。ショートプログラムではスピンに「0点」をつけられながらも首位に立ち、フリーでは羽生ならではの世界観を存分に見せつけた。

 数カ月に及ぶ孤独なトレーニングを強いられてなお、これほどの完成度に達することができるのかという圧巻のパフォーマンス。その結果、全日本選手権で通算5度目の優勝を飾った。

 今季はシニアデビューした10-11シーズンから数えて11年目。26歳になった羽生は、優勝後に2人のアスリートの名を出して、こう言った。

「競技人生を長く続けてきて、今まではテニスの(ロジャー・)フェデラー選手や、(スピード)スケートの小平(奈緒)さんのように、経験を使えている選手をすごいと思っていました」

 名を挙げた2選手の競技は、対人スポーツのテニスとタイム競技のスピードスケート。対して、自身は採点競技のフィギュアスケート選手である。そこに羽生は何らかの難しさを感じていたようだ。

「フィギュアスケートは(経験を)使いづらいと正直思っていました。でも、やっとそれを生かせるようになってきたのが今回の試合でした」

 その言い回しからわかるのは、羽生自身が一段高いところに上がったと感じていることだった。

世界記録を出したことのある1000mでは4位に
 北海道帯広市の明治北海道十勝オーバル。フィギュアスケート最終日の翌日である12月28日に開幕した全日本スピードスケート選手権で、小平奈緒は苦しみの中にいた。

 昨年11月中旬に同じ会場で開催された全日本選抜の女子500mで2位になり、国内の大会のこの種目で5年ぶりに優勝を逃していた。そこからどのように修正できているかが注目されていた。

 厚さわずか1ミリの刃(ブレード)に乗って時速約60キロでカーブに突入するスピードスケートは、精密で細やかな体の使い方が必須となる競技だ。その中でつねに最速を突き詰めてきたのが小平。ところが今季は、体のある部位に違和感を覚え、心地の悪さが膨らんでいたという。

 そこで11月下旬にトレーナーのもとへ行き、体をチェックした。すると、トレーナーの指摘と自身が感じていたことが合致し、違和感の原因が判明した。シーズン途中という異例のタイミングではあったが、意を決して体のリセットに着手した。

 このため、全日本選手権は全身のセッティングを再構築している過程での出場となった。結果は平昌五輪で金メダルを獲得した女子500mで2位。世界記録を出したことのある同1000mでは4位と表彰台を逃した。

「羽生選手に名前を出してもらえるのが恐縮で」
「やるべきことにはしっかりと取り組めている。余計なプライドは持たないで、目の前にあることをしっかり自分のものにしていければと思っています」

 レース後、オンライン取材の画面の小平は毅然と前を見つめていたが、「こうやって記録や順位がつくと、目をつぶっても耳をふさいでもいろんな評価を感じ取ってしまう」とも吐露していた。

 ところが、取材陣とそんな風なやり取りがあった後のことだ。全日本フィギュアスケート選手権を取材した記者から、「羽生結弦選手が、経験を活かせている選手としてフェデラー選手と小平選手の名を挙げていた」というエピソードを聞かされ、感想を求められた。すると小平は、一瞬だけ頬を緩ませながらも、安易におもねることなくこう言った。

「羽生選手に名前を出してもらえるのが恐縮で、フェデラー選手と並べられるのも恐縮です。これは羽生選手の気遣いだと思います。(出身地である)長野での開催ですし、周りへの配慮として本当にさすがだと思います」


小平は、羽生からこれ以上ないエネルギーを受け取った
 羽生とはスケート連盟の表彰や14年ソチ五輪と18年平昌五輪の選手村などで、これまでに幾度となく顔を合わせている。また、羽生が12年からカナダに練習拠点を移したように、小平も14年春から2年間、オランダに単身で渡り、スケート王国で心技体を磨いた。いわば気心の知れたスケート仲間である。

 平昌五輪ではともに金メダルに輝いている。小平が出た女子500mのレースは、羽生が男子シングルで五輪連覇を達成した翌日。羽生は、平昌五輪前年の17年11月にあったNHK杯の公式練習中にジャンプで転倒して右足を痛め、その後の大会をすべて欠場したが、ぶっつけ本番で五輪の舞台に立ち、不死鳥のごとく五輪連覇を果たしていた。

 その演技を選手村でテレビ観戦していた小平は、羽生からこれ以上ないエネルギーを受け取って500mのレースに挑んだと言っていた。

「羽生選手は、リンクに立った時に、何も考えなくても技が決まりそうなたたずまいをしていた。自分もこんな風にできたらと思いました」

 その言葉通り、女子500mのスタートラインに立った小平の心は無の境地に至っているようだった。結果は五輪新記録となる36秒94。驚異的なタイムで金メダルを手にした。

「羽生選手が金メダルの道を突破してくれて、勇気をいただいた」

 レース後にはそんな風にも話していた。さらにはその数日後だ。

「金メダリスト、見ぃつけた」

 選手村で弾むような声を聞いて振り向くと、茶目っ気のある笑顔を浮かべた羽生がいた。そこには頂点に立った者同士でしか成立しない空気が流れていたはずだ。

「やっぱり羽生選手の感受性が良かったのかな」
 平昌五輪から約3年が経った。羽生も、小平も、コロナ禍中に競技者として生きることの意義を深く考え抜いて、氷の上に立った。そして、チャレンジを続けるからこそ困難に正面から向き合い、高みを目指し続けている。

 全日本フィギュアスケート選手権での羽生のコメントを受け、小平はこのように言葉を継いだ。

「経験を生かしていると彼の目に映ったのであれば、彼自身が吸収してくれているということなのだと受け止めています。私自身は自分の時間軸の中で示していくことしかできていません。ですから、やっぱり羽生選手の感受性が良かったのかなと今、話を聞いて感じています」

 どこまでも謙遜する小平だが、彼女とて、台風被害と戦う地元長野でのボランティア活動や、偉人の言葉や、ファンからの手紙など、あまたの方角に感受性の扉を開いては自身のエネルギーとしている。感受性とは、頂点を極めた者の共通項なのだ。

「自分だったら乗り越えられる自信はある」
 全日本選手権で悔しい思いを味わうことになった小平はこのように言った。

「競技をしている中で困難な状況は何度か乗り越えてきている。苦労はあっても、目を背けたら生きている感じもしない。自分だったら乗り越えられるだろうという自信はある。乗り越えてみたいと思っている」

 一方、さまざまな葛藤を抱えながら全日本選手権の舞台に立った羽生は、そこで湧き出た思いをこのように表現した。

「スケートじゃないと、自分は感情を出せない。全ての感情を出し切ることができない。そう思った」

 氷を介して共鳴する高次元スケーターは、それぞれが必要なときに互いに鏡となり、鑑となる。そうすることで、葛藤の先にある一段高いところに行くための答えを、自分自身で見つけている。そこにあるのは、おもねる必要のない芯の強さ。だからさらなる高みに到達できるのだろう。

(「オリンピックPRESS」矢内由美子 = 文)
https://news.yahoo.co.jp/articles/94c3ed871e96f9c52f53b2a5cf0fab48e2002018