わたしがパパと呼んでいた人が

危篤というのを 昨夜聞いた

 

20数年前、肌の色も違い初めて会ったわたしを

助てくれ、家族のように接してくれた人だ

 

娘が産まれ

娘との関係、夫との関係

わたし自身が生きるのを諦めようと思う日が続き

連絡をあまりとってなかった 長い間

 

昨日、共通の友達が夫のFacebookから教えてくれた

わたしが知っている頃の面影はなく、やせ細り小さくなっているらしい

前立腺がんとのこと

 

今すぐにでも会いに行きたい

感謝してもしきれないことを

なかなか連絡できなかったことを詫びたい

 

でもとても遠い

オーストラリアに住んでいるので

娘を残していくか

一緒に連れて行くか

どちらもとても 困難で

 

でもこのまま会えなかったら絶対に

後悔する

 

わたしにはどうできるだろう

 

 

 

相変わらずだ

 

変わらない

一年前と変わらない

 

娘が癇癪を起す → 夫が怒る 怒鳴る → 娘が怯える → 娘が夫を怖がる

→ 娘は余計に泣き暴れる → 夫は、我儘だ 甘えてると 娘をなじる

 

確かに娘は、我儘です

言うことなんて聞きません

 

でもそれは、発達障害の特性から来ているものかもしれないです

 

それを、

ああいった恫喝するような態度で接していると、

余計、恐怖と恐れとで、パニックになります

 

何度も

何度も

何度も「」

 

 

 

 

47何度も

7お願いしてきました

 

 

夫は、何も変わりません

変れあせんでした

 

悔しい

悔しい

自分の娘になのに、自分の娘を軽蔑して、憎んで

 

私たちには親として責任があります

責任があるんです

 

そんなに娘を苦しめるのなら

 

もう、いっそ家族みんなで

死んでしまえばいい

仕方ない?

仕方ないのかな

本当に仕方ないのかな

 

どうしたらいいんだろう

 

 

わたしの娘は、きっと普通じゃない

普通ってなんだってなると、よく分からないけど

 

みんな誰しも、わが子を在り来たりな普通な何の変哲もない子とは

思っていないだろう

 

わが子は特別  って思っているのではないだろうか

 

わが子は特別 かわいい

          運動神経がいい

          賢い

          歌が上手い

          笑顔がいい

        

などなど

 

わたしの娘は

 

とても育てにくいです

何を考えているか分からず、今でも癇癪を起すこと度々

偏食なのか、発達障害特有の味覚過敏からなのか、

殆どの食べ物が食べれません

ああ言えば、こう言います

思ってたことと違う事実に直面すると、パニックになります

熱しやすくて冷めやすいです

負けず嫌いです

片付けが出来ません

 

 

自分より小さい子や弱い子に、とてもやさしくすることができます

身体的、知的、精神的障害があるような人に対しても、公平です

分け隔てがありません

率先して先生のお手伝いをします

困っている人がいたら、手を貸します

好奇心旺盛です

自分の欲望に正直です

 

わたしの娘は

わたしの娘です

 

わたしには、もう

子供がかわいいとか、愛しているとか、そういうことが分かりません。

でも、わたしは、この子が、幸せになれるように、生きて成人できるように、

その任務を全うしなければと、思うのです。

 

このような親子の感情は、おかしいのかもしれないし、正しくないかもしれない。

ただ、それが私の使命のような気がしているのです。

この子を生かして、未来に届けねばと思うのです。

その未来は、美しいと願うのです。

 

 

 

 

 

Amazonプライムを時々見る

 

ただ だし

 

 

無料で見れるのに、いい気分になれる映像に出会うこともしばしば

 

小林聡美さんのテレビドラマ

「パンとスープとネコ日和」というのを観た。

それと、

「さいはてにて やさしい香りと待ちながら」

「しあわせのかおり」

「しあわせのパン」

 

食と、人とのつながり

そして、恩着せがましくない、控えめな優しさを持った主人公

 

私は料理は苦手だけど、

あんな人達になりたいな、と思った

 

凛としてる?

シュッとしてる?

自分を持っている?

甘くはないけれど、人を包み込む強さ みたいな

 

 

食べるということは、生きること

平野レミが言っていたような気がします

 

森のイスキアを主催していた佐藤初女さんの

おにぎり、食べてみたかったな

 

 

 

あぁ、こういうのだなぁ

私は、きっとこういう感じで生きていきたいんだろうなぁと思った。

人生に疲れた人がちょっと立ち寄れる居場所を作りたいんだなと。

でも、私自身が疲れているから、今は無理だけど、

いつか、そんなおばあちゃんになれたらいいなと思った。

 

 

 

 

私は、

いろいろいろいろと、心配しすぎだけれど

 

最終的にいきつくところは、

ほんの数分後に、人間どうなるかわからない と

 

先を心配し過ぎて、

今を楽しめていない

 

娘を楽しまさせていない

 

娘の障害のこと、

地震などの天変地異のこと

放射能こと

事故のこと

北朝鮮からくるかもしれない ミサイル 核のこと

 

そんなことに、毎日毎日

ドキドキして神経すり減らしているから

しんどい

 

+ 夫とのこととか

 

先日、娘の小学校のお友達の家にお邪魔した

 

お庭で派手に水遊びなどして、

もう服はびっちゃびちゃで

 

とてもとても楽しそうだった

 

やっぱり

一軒家に引っ越す

ことに、

どういう形態かは分からないけど

しようかな

と、

 

出来るだけ一緒に楽しもうと

 

心配や不安や恐怖が

訪れるけど

それに打ち勝ちたい

私が本当に宇宙人ならば、

もう、本当に故郷に帰りたい

娘を連れて

 

彼の国が、ざわざわと危ない感じだ

 

私だけではない

世の中の 子どもを持っている親ならば、

きっとみんな 惨事になってほしくないに決まっている

 

もちろん、独身の人であろうと、

子供がいない人だろうと、どんな人だって惨事にはなってほしくないだろう

守りたい人、大切な人 がいるってそういうことなんだろう

 

私は、私一人だったら、

痛くないといいなあとか、一瞬だったらいいのにな、位の気持ちかもしれない

でも、基本怖がりだから、その一瞬には、逃げ惑うだろうが

 

航空機やヘリが

ここのところ、やけに飛んでいる

8月下旬から激しくなった気もする

私の心もざわつく

 

娘にも、説明した

逃げる時のことや、その後の生活のこと

 

娘と一緒に死のうと思っていた母親が、

生き残る術を教えているなんて、滑稽な話だけれど、

そんなものなんだろう

 

もし、私の次の誕生日まで生き延びることが出来たなら、

もっと、もっと毎日をしんけんに生きよう、娘と

 

 

 

 

表現が正しいかはわからないけれど、

娘は、ハイテンションの時と、落ち込んでいる時の落差が激しい

 

何がスイッチになるかは分からない

落ち込んでいるというか、自信喪失・自暴自棄 自傷というような感じが

 

そんな娘は、

何事もなく 普通に 帰宅した

 

朝のあれはなんだったんだろう

 

今、

ピアノを弾いている

夫が買ったピアノ

カウだけ買って、習いに行かせてないのだけど、

勝手にYoutubeを見て、ピアノの鍵盤が出てくる動画で弾けるようになった

そんな大した才能なんてあるって思ってはないけど、

習わせてあげたかったな

 

ジブリが好きなんだって

 

今は、

いつでもいつまでも?

を弾いている

 

一番好きなのは、

あのちーへーせーん という曲だ

なんとも 不協和音な感じのイントロをよく弾いている

 

はぁ、洗剤買わないと・・・

200円

明日洗濯できないわ

 

 

 

 

今朝

渋った

 

理由は本人もわからないらしい

 

わたしは、もういかなくてもいいと、言った

本当にそう思っている

 

働きに出ないといけない、と思っていた

新学期始まって様子見してて、大丈夫かなと思ったけど

 

今は不登校というらしい

でも、登校拒否の方が、しっくりくる

 

昨日の夜まで普通だったのに

私が仕事しないと、明日食べるの買えないとか、

洗剤なしのせんたくをしないと、とか考えているから

その焦りが伝わったのかな

 

ごめん

不甲斐ない

甲斐性無しだ

 

わたしは、お金のやり繰りの事で精一杯なのかもしれない

だから、働かないと、と焦るけど、

娘を預けるところがないとか、

どうしようどうしようどうしよう、という不穏な気持ちが伝わったのかも

 

母親失格の私は、

今頭の中で考えているのは、

今学校で娘はどう頑張っているのかという心配ではなく、

今月あと、1万円でどうやって暮して行こうという

そんな心配だ

 

もう

親として

わたしは、死んでいるんだと思った

 

私の娘は私ではない誰かに育ててもらったら、

その方が、きっと幸せだ

あまり知らない

もしかしたら、家族から愛されていたのかもしれないけど、

あまり心地よく過ごすことが出来なった

 

今から思えば、

母は、きっと幸せじゃなかったんじゃないのかな

母は、幸せな事なんかあったのかな

 

幸せ、安心 というワードが私の育った家庭では、

頭に浮かぶことはなかったと思います

 

そんな私は、

幸せな家族や家族の愛 なんてこの世に存在するわけないんだ

存在したとしても、

私には、縁のないことだと思っていました

 

しかしその反面、

家族の愛 安心できる場所 ということに

憧れがあったんだろうな

 

そう、憧れたんだと思います

 

私の育った家は、機能不全家族だったと思います

そして、宇宙人になりました

いえ、もともと宇宙人として生まれてきたんです

 

宇宙人は、

地球の暖かい家庭に憧れました

テレビや映画で見るような

そう、寒い日に温かいシチューを家族団らんの中、

笑顔で話し合いながら食べるみたいな

 

夢を見ました

そういった夢をみたんです 

夢と憧れでした

 

でも、

上手くいかなかったかな

 

娘が今、あの時のわたしです

 

ひどい親ですが、

娘には、結婚してほしくないなぁって思います

ひどい親ですが、

娘は結婚して家族を作っても

きっと苦しいだけだと思うからです

 

私と娘は別の生き物だけど、

お手本になるようなモデルがなく、知っているのは

私だけだから、

私は、私の母を見て、母のようになったと同じように、

娘も私と同じように苦しむと思うからです

 

ごめんね

 

私はあの頃の私のように、

あなたを苦しめています

 

私の人生は失敗でした、ごめんね

 

 

 

 

 

 

 

 

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