YuRicca Leccoですニコニコ



生きていると

好きな人も嫌な人もいるわけで

たくさんの人と出会って

必要なご縁を紡いでいくものです。



先日の不動寺で妙泉住職が

おっしゃったこと、

もーらさんから聞いたこと、

以前本で読んだことが

スーッと重なったので

今日はそのお話を。



不動寺で仙人が

過去の話をした時のこと。



仙人はずいぶん昔に

今で言うスピリチュアルについて

(厳密には違うらしいけど)

学んでいたらしく、


その頃当時の師匠に

「真理を学ぶものは

  その過程で苦しみを感じるのは

  ある程度仕方のないことだ。」

と、言われたそうです。



仙人はその頃人間関係について

辛い時期を過ごしていたそうで、


傍若無人に振る舞う人たちが

楽しそうにしていて

正しいことを学んでいる自分が

こんなに苦しむなんて

世の中間違ってる


と、思ったらしく

学ぶのをやめてしまったのだとか。



そして自分がやった、と

思い込んでいる呪いについても、

正しいことをしているのだから

人を呪わば穴二つなんてことが

起こりうるはずがない

と、思っていたそうです。



正しいも間違ってるも

如来の世界にはないのです。


良いことも悪いことも

曼荼羅の中には全てある。


嫌なことをする人は

その役割をしてくれているだけ。



仙人に言った妙泉住職のこの言葉、

以前にスピリチュアルの本を

読み漁ったときに

自分に嫌なことをする人は

生まれる前に決めてきた人生で

悪役を買って出てくれた人が

いるんだよ、と書いてあったのを

思い出しました。



その人が間違っているとか正しいとか、

それこそ昨日も書いた

それ誰基準?て話ですよね。



他の人にとっては間違ってても

その人にとっては正しいから

それをそう思ってしているだけ。



それを自分がジャッジする必要は

ないということ。



99人の人が悪だと言っても

たった1人はその人を

愛する人が絶対にいる。



妙泉住職は

そうおっしゃっていました。



数年前に

今谷鉄柱さんという漫画家さんの

「キラーストーリー」

というセミナーを聞きに行きました。




どんな映画にも「型」があって
例えば大体何分のところで
主人公がトラブルに巻き込まれ
一度は失敗したり負けたりして
助けてくれる人や打開策に出会い
共に困難に立ち向かい
ハッピーエンド、みたいな
流れがあるのだと。



人の人生もそれぞれ

そーゆー流れがあって

最後はハッピーエンドで終わるために

生まれる前に色々設定を

して来ているのだと思うのです。





悪役もどんな脇役もトラブルでさえも

強くなったり何かを得るためには

全て欠かせない大切な設定。



元夫だって

私にとっては【自分物語】の

悪役を買って出てくれた

感謝すべき人なのかもしれない。




あ、ごめん。

感謝はまだ無理。

( ̄◇ ̄;)



まぁでも彼がいなければ

私の愛する子どもたちは

今1人もいないわけで、

やっぱり感謝なのかもね。



かもね笑い泣き泣



私も【自分物語】の

ハッピーエンドに向かって

たくさんのキャストや設定に感謝して

日々過ごしていこうと思う。




ではまた。ヽ(*・ω・*)ッ