その先が見えない

その先をどうするか決まっていない

 

これじゃあ

お金が巡ってこないということが良くわかったこの1カ月

 

いろいろやっている生琉ですが、その先に何があるの?

自己満足で終わってない?

 

って問われる事態にさらされていました。

 

なので、動き方を模索していました。

次につながるか?人と繋がるか?世界につながるか?

 

お金はその先がある人のところに行きたがるようなのです。

その先にあるであろう幸せが大きくて広く広がっているほど

集まって流れていきたがる。

 

そういうものなのだそう。

 

 

 

でもまだまだ五里霧中

 

道の先に何か見えますか?

 

 

ブラタモリで熊野がなぜ熊野になったのか、よくわかったんです。

 

パワースポットは地質が作る。景勝地も地質が作る。

ひとびとは自然に畏敬の念を抱き、それが信仰につながる。

 

八百万の神々はそのまま日本にある火山や地殻変動の数を表現しているとすら思えます。

 

もともと熊野はカルデラだった。

火山のあるところ、神がおわします。

 

熊野カルデラ。。。熊野三社のベースの地殻変動 1400万年前→かなり古い

阿蘇カルデラ。。。高千穂を生み出した 12万年前

 

また、日本造成活動はフィリピン海プレートの動きが影響してます。

 

フィリピン海プレートってすごくて、富士山もこのプレートが作ってきたし、

イザナギとイザナミが最初に作った島とされる淡路島を含めて紀伊半島から鳥取の下でこのプレートがばっこし折れているという説が2010年に発表されるほど、パワフルに日本列島に影響を与えているのです。

高天原にしても、天の岩戸にしても、日本列島を作り上げてきたプレートのぶつかり合い、せめぎ合いが数多発生したことを教えていると思うわけです。

 

生琉は若かりし頃地学にはまったので、プレートテクトニクス、火山の仕組み、海嶺やら海溝やらが好きです。地震も学問として学ぶなら大変興味深いものがあります。

大地を動かす仕組みがプレートテクトニクスだとわかってもなんで地球がそんなことしてまで内部のものを吐き出すのか、わからないし、そもそもドロドロした液体の上にホットミルクのような皮膜が張ってあるようなもんのプレート上でひとびとが生きてこられた理由だって奇跡が積み重なんないと達成できません。

 

地球とひとびとが生きてこられた理由の間に信仰が存在し、スピリチュアルが介在しているのかなと感じたのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分の今現在の浮ついた感を非常に腹立たしく思っているのであります。

 

神社仏閣巡りをしても、

スピ系本を読んで、引き寄せだの金運upだの読んでも実践しても

 

なんか同化されてこなかった感覚があって、

 

神さんも仏さんも龍さんも好きなのに、なんかみんな向こう側にいる感じで

現実的でないんです。って、もともと現実的に見えるもんじゃぁありませんですね。

 

成長実感がない!

 

これを宗教的にいうと信仰のスランプ となると聞いたことがあります。

 

根無しなんです。

 

なら、根を生やしゃいいんです。

そこでやっぱり考えるはスピ系根張り。グラウンディングって言葉が思い浮かんできました。

生琉の住まいはほぼ自然には囲まれていません。簡単に裸足で土の上を、とか、森林浴や登山を、といってもすぐに行けるわけでもない。

 

そこで調べたら、料理やお風呂がグラウンディングになるっていうじゃあありませんか!

 

知らなかった。。。

 

確かにちゃんと料理した後ってなんか清々しいんですよね。決して料理が好きで得意なわけではないのですが、養生の必要な家族がいるので、薬膳、ハーブなどは必死に勉強しました。

 

好きでもないことが気持ちを清々しくしてくれる。なんともエラいはなしです。

 

数年かけて貯めたポイントでレミパンもらいました。

金欠の月を乗り切った時の充実感。

脳内は成功報酬であふれているに違いありません。

 

その達成感は一瞬のもので、金欠月の翌月も大抵は金欠で、またスリルあるゲームのスタート地点に立っていることが多いものです。

 

同じような感覚がもう一つあることに気が付きました。

 

待ち合わせ時間に間に合った!

 

というアレです。

 

恥ずかしながら生琉は時間ギリギリのことがとても多く、ちびっと遅刻もずいぶんしてきました。

 

「いつもギリギリだよね」

 

とはっきり指摘されたこともあるのに、なかなか治せません。挙句、5分前に到着できた時にゃ、

 

「今日はやったぞ!」

 

って脳内は成功報酬であふれているのです。よくかんがえなくても、5分前に到着してるって当たり前なんですよ。なのに「やったっ!」とかなる。

 

これって生琉の体内ではお金無い月を乗り切った成功感覚に似た達成感があることに気がつきました。

 

当たり前なことにおかしな達成感がある。これって貧乏との同居だわ。

 

それに気がついた時はやっぱり事態が進行していまして、生琉は正直貧乏街道を貧乏同行で走っています。気がついてもなかなかルートから抜けられないのが現実です。

生琉、ルート変えられるのか!

 

ホロスコープで、私は2ハウスに土星殿が鎮座しておいでです。

11ハウスの水星サンとスクエアです。ハードでシビアです。

でも、多分貧乏神の配置ではない、と感じています。

 

乗り切り方はまだ見出せていません。

 

まずは考察から始めたわけです。

生琉のホロスコープは太陽と冥王星がオポジション。それもオーブ0.06というほぼ真正面です。

 

白黒はっきり

強力な破壊力

刺激的な生き方

 

と極端な言葉をずいぶん言われた記憶があります。

 

「お金ない」

けど、欲しいもんは欲しい!んです。買いますよ、いろんな策がありますもの。

 

で、

自転車操業で毎月支払いをギリギリで乗り切ったりして、乗り切れないで定期預金を崩すときの敗北感は筆舌に尽くしがたいのに、乗り切れちゃった月に

 

今月はやった!

ってことに充実感を感じるようなことがあるんじゃないか?脳に成功報酬を与えちゃってないか?

 

と自分の悪癖に思い至ったわけです。

自分でそんな意識は全くなく、無意識のうちに自分をスリル満点のゲームの土俵に上げているのです。

自分では土俵に乗っているつもりはない中で事態が展開している感じ。

 

恐ろしいことにこれに気がついてゲームをやめた気でいても知らないうちにまたゲームを再開させている可能性が高いという事。

 

これじゃあお金持ちにはなれませんよ。

ゲームしちゃってんだもん。

 

で、今は土俵から降りたつもりです。

そのつもりになって、どうなるのか自分を観察してみます。