ココロとからだ✽丸ごとの

べビマセラピスト

 伊藤 寿 (いとう ことほ) です
 

 

 

 

子どもの時の記憶 目 って

日常の何気ない一コマが多い気がします

 

例えば

自分はこんな柄の茶碗ラーメンを使ってたなとか

風邪をひいた時ママが看病してくれたクローバーとか

ペットと遊んだ猫犬とか

 

 

別にインパクトの強い順に記憶されるとかではないカンジてんびん座

 

 

うろ覚えなのですが

黒柳徹子さんの心に響いた話があります

黒柳さんが海外でサーカスピエロを観ていた時に

 

すごいショーが目の前で次々にやっているにも関わらず

隣りに座っていた男の子がサーカスの間中ずっと柵にとまっていた

ハトを見つめ続けていたのだそうです

 

 

 

 

 

せっかくサーカスに来ているのに

勿体無いなぁ

ハトなんていつでも見れるのに

ハトを見るのやめて

サーカス観ればいいのに!

 

 

 

…そう思ったのだけれど

気づいたのだそうです

 

すごいことをやってるのだからそれを見るのが当然と大人は思うけれど、それは大人が勝手に思っていること

 

この子にとって

今興味があるのは

あのハトなんだから

それで良いんだ

 

 

ユニークな個性で大らかな感性を持っている黒柳さん、素敵だなあと

胸の奥があたたかくなったような楽しい気持ちになりました

 

 

 

自分がしたいことが

一番したいこと 

 

それって当たり前のことですが

大人になるといろんなフィルターがかかって、それが当たり前になかなかなりませんよね

 

やらなきゃいけないフィルター

もったいないフィルター

人に嫌われたくないフィルター

好かれたいフィルター

など、など…

 

そこを通しているうちに

〇〇がしたい、だったが

△△をすべき、に変わってしまったりする

 

 

よくSNSで、他人の豪遊を投稿で見て

なにか寂しさを感じる人は多いと思います

 

何がすごい

何が良い

それは、たぶん自分がやりたいことではないけど

おそらく沢山の誰かが認めそうなことだと感じて

なんかすごい

これはきっと大きなことなんだろうな、みたいな

 

 

 

自分に必要なければ

それは別に

大きいことじゃないのですが

 

あと

ツマラナイ気持ちは

他人を妬んでいるからツマラナイとかではなくて

 

 

 

もっとずっと

シンプルな気持ち

が根源なのかも

 

 

 

 

それは

 

自分も一緒にやりたかった

 

 

SNSでやってたことそのものを、というより

その楽しい感じ、楽しく感じる自分もやりたかった

 

 

 

 

 

 

 

子どもは、よく全身から思いきり

こんなメッセージを発しています

 

 

ねぇ!

一緒に楽しもう!!ラブラブキラキラ音符

 

 

 

 

ルーツ爆笑がそこなら

 

それは他人の豪遊なんてSNSで見ても

ツマラナイはずですよね

だって、そこに「自分」は参加していないんですもの

当たり前だ

 

 

やりたいことは

SNSを眺めていることではないのだから

 

自分にとって楽しいことって

もしかしたら一人ですることなのかも知れないけれど

 

たとえばフレンチのフルコースよりも

今は、お茶漬け食べたいから食べる音符などなど

 

 

 

 

 

 

あらためて

自分が楽しいことを虹

 

 

 

 

 

ねぇ!

楽しもう!!ラブラブキラキラ音譜乙女のトキメキ

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

【アスタリフト】コラーゲンドリンク トライアル