変わらない事が1つある

それは苦労を背負っても人を思う人を助ける事

 

正直言って、親が居て生活費もあって

環境もあって、それで悩む事って言うのは「不自由さ」

意志の選択の不自由さよね

 

これは「NO」って言う事と

その理由をちゃんと理解してもらう事や

周囲を理解した上で言葉を探せば簡単に状況は変わる

なので自分次第でどうにでもなる悩みです

 

しかし、親がいない

震災孤児であっても孤児という子たちは資金で不自由です

選択する前に準備や時間も必要だし、機会を得る事も難しい

費やす時間や、得れない楽しみも多くあるし経験も選ばなくてはならないし

同じ不自由でもあっても、自分だけではどうにもならない事が多いのです

 

私自身もそうだったので、その苦痛は凄くわかる

悔しさや惨めさなどをかみしめて作る笑顔の意味も理解できる

 

なので、1人で力を借りる事が出来ず

努力して頑張って会社作ったとかね

1人で頑張って必要とされる価値を生み出したなどの

そんな人の努力を無駄にしたくないなって思うんだよね

そんな人の下で多くの人が場所を得ているんだから

 

その価値をわからない人にはそこには居なくていいと思ってる

むしろ排除した方が優しさくらいに思うよね

経験しないとわからないから「人の価値」ってね

 

残されて負けたくないと頑張ってきた60代以上

置き去りにされても生きようと努力してきた50代

与えられながらもその価値を教わらなかった40代

価値がわからないまま経験を積んでいる30代

情報が選べない20代

生き方が見えない10代

そんな人たちが今の世界をなんとかしようとしている

どこもかしこも会話不足理解不足で世代ごとに不快感で線引きしてる

 

天から見たらさぞ愚かで残す価値を見出すには難しい構図

言ったんリセットして壊して組み直したいだろうなと思う

 

でもね、生きている以上、私は応援したい人が居るのよ

それは1人で頑張ってきた人って、コミュニケーションが命綱だから

それをどの世代でも持って生きている人はいると思っている

60代でも50代でも40代でも30代でも

20代でも10代でも、本当の孤独を知って、関わることで生きる事を知ってる

そんな人はいると思っているのですよ

 

そんな人は「助けたい」と思うよね

だって希望そのものだから

その人が生きて生きてただそれだけで関わる人が増えるほど

思いやりや愛やらいい事が広がって行くし

尊敬されたりすればするほどマネする人が増えてくる

そんな人は助けたいよね

 

その人たちの為に今の自分の時間があると思っているから

私が死ぬときはもう大丈夫な時か、もう終わりかくらいだと

昔から思ってるわけです

 

だって、何のためにこの超能力があるのよって事よね

 

「神様に聞いて見たい」

 

それを叶える事が不確かではなく、確かに出来るチャンスがあるし

曖昧ではなく、曖昧って言うのは自称ね

他称で居る時が世紀末なんだって気づかない方が危ないよね

 

私がデニースに出会い、デニースが姫に頼まれて作ったという道筋と

そこに関わったそうそうたるメンツと、色々考えると

今が一二三の話で言うなら「人嫌いの1人」が堂々と歩きまわってる状況であって

その子は神の事すら従わないというなら、それ私じゃんとか普通に思う

 

本当に助ける価値のある人を助けたい

その為に今の生き方を選んでいるのは変わらないこと

誰にだって信念があるけど、私は本当の努力を無駄にして欲しくないと

いつも思っているんです

1人では届かないけど諦めない人を助けたいよね

そこには奇跡が必要だからさ

どうすれば奇跡が起きるかをどれが奇跡かを教える事も仕事だよね

 

言っときますけど、そうそう長生きできるとは思ってませんよ私って

常に時間が無いと思っています