まあ、親子だから似るのは似るのかもしれないけど
近くに居て育たたなくても似るものかとね
今の生き方は父親そっくり
父親とは接触は少ないけど
それでも凄く似てる
仕事ばかりで
いつも仕事がらみで友人を作り
働きっパで休まず
たまに休んだと思えば
ふざけてばかりで
笑わせてばかりで
自分の話をまずしないまま
人の相談ばかり乗っては
力を貸してヘトヘト
疲れたらコーヒー飲みながら
映画ばかり見て
休みが1人だと1日中映画見てる
子供と過ごせると思えば
自然ばかりを体験させる
工夫させて知育させて
いつだってアイデアを出すことを
教えられていた気がする
自分が死んだ後でも生きるように
自分が居なくても愛されるように
自分が居なくても信頼されるように
そんな生き方をする事を言われていた
ふと深夜に仕事終わって
早朝起きて
合間にちびと遊んで
たまに遠くの娘に連絡して
友達と言えば全部仕事がらみで
幼馴染は1人だけ
それも最近SNSで再会したけど
状況も父親と似てるしで
今更だけど
最後は会っておいた方が良いと思う
どこに居るかも
何をしてるかも知らないけど
死んだと聞いてから
今年、生きてると知り
腹が立って縁を全部切ったけども
会った方が良いなと思う深夜
きっと同じでは無いけど
最後は同じではないと思うけど
それは父親のおかげで結末が違う
彼の望み通りの環境だと思うからね
自分が苦労したから苦労の分別がわかる
それがあるから分別を覚えたし
分別を知ってるから道を選べたし
親が居なくても育ったと言える
それが間違いではないので
彼にも自信と誇りを取り戻して死んでほしい
今のままでは私が死んだと思って
無力で惨めで情けない親だろうし
生きていると知っても
自分が恨まれているから会いに来ないと
心底思うだろうし
母親がくそったれですけど
親がどうこう酷くても
教わったことが生かされているなら
それは感謝しないとダメよね
母親からは
「こんな女になるな」を教わった反面教師
父親からは
「こんな自分になるな」と社会を教わったし
子は親を選ぶわけですが
救えると思って選んで生まれてくる
そこで言うなら母親は神様が居ないと言った
私は有資格者となって少なからず
「見えてないけど確かに守護はいる」と言えるようになった
父親には自分がここまで来たことに
「あなたの感じた不安は本物で教えは間違えて居なかった」
って、生き方や考え方への肯定が出来る
これが2人が亡くなる時に
大きな癒しになると思っているのでね
最終的には成し遂げることが出来るかもと思ってる
親が嫌いな事には理由があるし
親が好きな事にも理由があるし
でもどちらにしても
癒す力が子供という役割にはあるんだよね
それは生きている中で
成し遂げるミッションの1つだと思う