心理カウンセリングで傷ついたココロのケアをし、東洋医学をベースにしたハンドヒーリングでカラダの不調を整え、心・身・魂を癒す『魂のヒーラー EHKO』です。
【本質を生きる】を實踐し、命を輝かせて、未來を"意図的に"創造する仲間を探しています。
【光明寺の青紅葉】
昨日はオフ日でしたので、
青もみじの時期ですから、
もみじ參道が有名な光明寺に行ってきました。
境内を散歩しながら青紅葉の写眞が撮れて、満足です。
見事な青紅葉でしたので、紅葉はさぞかし美しいでしょう。
その分、混雑もするでしょうけど。
青もみじの時期は、人が少なくてゆっくり觀れて良い場所です。
お目当てのもみじ參道にある薬医門の中央に椅子に座って動かない人がいて、
絵でも描いてるのかな?と思ったら三脚立てて写眞撮ってました!
この人のせいで、"撮影スポット"から撮れなかったのは殘念です
もみじ參道
表參道
西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。
1198(建久九)年、法然上人の弟子となられた熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)によって、京都府長岡京市西山のふもと粟生広谷の地に御堂を造立したのが始まりです。
また、師である法然上人を開山一世と仰ぎ、自らは二世となられ、法然上人より「念仏三昧院」の寺号も頂きました。
1227(安貞元)年、叡山の衆徒が法然上人の墳墓を暴く企てを、上人の遺弟たちがご遺骸の石棺を太秦に移すことで防ぎました。
翌1228(安貞2)年正月20日夜、上人の石棺より数条の光明が放たれ南西の念仏三昧院を照らすという奇瑞が現れました。
同月25日ご遺骸を念仏三昧院に運び、荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御本廟を建てました。
以来光明寺は宗祖法然上人の御遺廟の聖地として信仰を集めています。
また寺名は、この時の奇瑞にちなんで、四条天皇より勅額を「光明寺」と賜ったことによります
寺紋
西山浄土宗の宗紋は竜胆車(りんどうぐるま)です。
久我竜胆(こがりんどう)とも呼ばれ、流祖西山上人の出自からこの紋が使用されています。
西山浄土宗の宗紋は前記の竜胆車ですが、もう一つ重要な紋があります。
それは法然上人の生家、漆間家由来の杏葉(ぎょうよう)紋です。
杏(あんず)の葉と表記するので、植物の杏に由来した紋として受け取られがちですが、正しくは唐から伝来した馬の鞍(くら)の装飾馬具のことであり、器材を由来とした紋です。
平安時代より晴の儀式の行幸などで馬につけられる豪華な鞍、唐鞍(からくら)に用いられている革製や金属製の飾りの一つが杏葉です。
当初は鞍の付属品として用いられ、やがて牛車の装飾などを經て家紋に転用されたといいます。
手水舎
御影堂(みえどう)
本玄関と大書院(おおしょいん)
釈迦堂 勅使門(ちょくしもん)
實家が浄土宗なので、行けて良かったです。