心理カウンセリングで傷ついたココロのケアをし、東洋医学をベースにしたハンドヒーリングでカラダの不調を整え、心・身・魂を癒す『魂のヒーラー EHKO』です。


【本質を生きる】を實踐し、命を輝かせて、未來を"意図的に"創造する仲間を探しています。

2023年のハイライトのひとつは、
イイジマンの復活劇!!

イイジマンは、【奇跡の村ch】のYouTubeプロダクションオーナーでもあります。

音叉の施術(奇經八脈)と、音叉セルフケアを取り入れることで、奇跡の復活を成し得たイイジマンのお話は、皆さまの勇氣と希望になることでしょう。

以下、ご本人のFacebook記事より抜粋

下半身麻痺。
寝たきり生活4日目。

救急車で緊急搬送された原因はこいつ(椎間板ヘルニアで神経が切れかかっている)。
症状(めちゃくちゃ重症らしい)もさることながら、こうなるまで耐えて生活してきたという事実の方が担当医や周りの患者さんたちから驚かれて英雄視されてしまった。
病棟でヒーローになっても仕方ないんだけど『自分はこれよりマシ』って思うことで氣分が軽くなってもらえるなら何より。

オペは明後日(27日)の午後から。
4〜5時間かかるそうだけど全身麻酔ですと。

2023.10.25



音叉(おんさ)施術の樣子

後悔したくないので、取り入れられることの中で良さげなやつは全部やってもらうことにした。
ほんとはコロナの影響で家族以外はNGという面会規制があるのだけど、病院側には理由を話して目を瞑ってもらった。

2023.11.06







下半身麻痺で、ただぶら下がっているだけで、まったく動かなかった足が、音叉施術の翌日、右足の親指がピクッと動いたと報告があり、嬉しかった。

神経が完全に切れていたら音叉しても無理でしたが、かろうじて繋がっていてくれたので、歩けるようになるまで囘復させる兆しが見えた。

ニビルの周波數で奇經八脈ヒーリングしたのが鍵。

この日、25Hz、50Hz、100Hz、200Hzのボーンバランサー4本セットで、音叉のセルフケアを勧めたところ、購入を即決。



11月25日
音叉が届いた頃を見計らってリハビリ棟に面会に行き、使い方のレクチャーをした。
効果的なツボの位置とHzの使い分けを伝授。

さすがは、イイジマン!
音叉のセルフケアを毎日1時間続けている樣子。









本日で手術から丸1ヶ月が経ちました。

術後に言われたのが
『オペは成功はしましたが一生歩けないかもしれません』
『たとえ歩けたとしても1年後に歩行器を使って何とか歩けるかな?というレベルでしょう』

障害度も極めてレベル5に近い4
何故4だったかと言うと、麻痺の重さは5だけど奇跡的に排泄の自己制御が可能だったところ。

何かの間違いだろう?と思いたくても、術後に転院したリハビリ病棟は『回復棟』ではなく『障害棟』でした(これは精神的ダメージが半端なかったです)

下半身が全く反応しない。
叩いてもつねっても痛みを感じない。

脚ではなく、まるで2本のロープがぶらりと腰から垂れ下がっているような感覚といえばイメージしやすいかもしれません。

そんな僕の頭に浮かんだ言葉は

『筋肉でも神経でも動かせないというのなら、俺は魂で身体を動かしてやる』

『自分自身が成功サンプルになって、絶望してる人たちに希望を与えてやる』

『爺ちゃんがどう生きたのか?の姿を晒して、その記録を子孫たちに遺してやる』

でした。

リハビリメニューだけでは足りないと考え、自主トレや音叉(おんさ)のセルフ施術で日々を過ごすうちに

『運転はおろか一生歩くことさえできないかも』
と言われていた僕の下半身が

術後
12日目:足の指が動き始める
13日目:膝を立てることができ
14日目:車椅子から掴まり立ち
24日目:掴まりながら歩ける

までに覚醒し始めたのです。

院内でも『いったい何が起こってるんだ?』と、どよめきが起こったそうで(医師は滅多に訪れない)リハビリエリアなのに担当医さんが何度も僕を見學にしに來られました。

『ええぇーーー!』
『飯島さん2週間後には病棟内を歩いてるわよ』

さらにはポーカーフェイスでサイコパスな担当リハビリスタッフさんからは
『普段はこんなこと絶対言わないんですがハッキリ言います』
『飯島さんを初めて見た時は正直、元の生活に戻るのは難しいと思ってました』
『しかしこの回復ペースは尋常じゃありません』
『1ヶ月後は70〜80%の確率で杖なし歩行ができるようになってると思います』

ビジネスにも通じることですが
◯希望を見失わないことの大切さ
をあらためて感じることができたのはもちろんのこと

時と場合によっては
◯現実の受け入れ(絶望)を頑なに拒み続ける
ということも重要なんだなぁと、遅まきながら感じ始めております。

幼い頃から“諦めの悪い性分”でしたので、そういう意味では一向に成長していないのかもしれませんが、ここまで來たら年内に退院することを目標にリハビリを頑張りたいと存じます。

2023.11.27



パチンコで例えるなら確率変動
ドラゴンボールなら精神と時の部屋
宇宙戦艦ヤマトなら1日で10日分の時が流れる時間断層
とにかくこの覚醒中に『回復率を常人の10倍速に高めるぞ週間』

11月23日→自力起立
11月25日→1歩(手離し歩行)
11月26日→4歩
11月29日→片足立ち成功
11月30日(本日)→自立歩行10歩を1往復&ウォーキング(装具未装着)成功

【新目標】
①年内に退院する
その際
②杖なしで普通に歩く
③自分でクルマを運転して帰る

***

【自慢話と吉報】

一生歩けないと評価された患者が手術後40日目でここまで回復するのは前代未聞らしく
最近になって理学療法士と作業療法士(いわゆるリハビリ師)の皆さんからは『神』と呼ばれているのだそうです。

そして今朝、担当医の先生が僕のところにやってきて『12月22日の退院が有望』と知らせてくれました。
奇しくも救急車で運ばれた日からジャスト2ヶ月となります。

勝手に無断で自主トレする問題児だから早く追い出したいだけかもしれないけど、例えそれが理由だとしてもむちゃくちゃ嬉しい。

2023.12.05

***

走ったぞ。

手術後50日を迎えたところで各部のパフォーマンスチェックを済ませたあと『少し走ってみますか?』の提案。

7週間前に【一生歩けない宣告】をされた身としては『専門家から見てもそこまで回復したんだなぁ』と込み上げる嬉しさに加えて『転倒したらどうしよう』『上手く受け身が取れるかなぁ」といった恐怖が脳裏を掠める。
まさに“選ばれし者の恍惚と不安と二つ我にあり”状態だったけど『こんなプレッシャーを感じられること自体が幸せじゃないか』と思い返して、足の裏で床を噛み締めるように駆け出してみた。

当たり前のことは当たり前じゃない。
またひとつ、金では買えないものを手に入れた(というか取り戻した)ぞ。

2023.12.15

***

【12月21日の謎】

僕の場合、特に狙ったわけでもないのに人生の岐路となる出來事(引越し、転勤、転職、ヘッドハンティング受諾の返事など)は12月21日に実施されるケースが圧倒的に多いのだけど
一昨日、今回の退院が12月22日だと知らされた時に『これでまた1日早まったらもう笑うしかないぞ』なんて思ってたら、今朝になって『よかったら21日に退院してもらうことは可能ですか?』ってお願いされてしもた。

もちろん断る理由なんてないけど(ほんと)12月21日とはとことんご縁があるよなぁ、他の人にもそんな日があったりするんかなぁ、という話。

ともあれ、退院日は12月21日に変更。

***

そして、退院翌日、12月22日冬至に、
飯島さん宅にうかがい、出張ヒーリングしてきました。
このタイミングで音叉の施術をしておく必要を感じたからです。

①足首は動くようになってきたが、めちゃ固くて可動域が狭い(特に右の足首)

②歩行中に膝がカックン(膝崩れ)を起こして冷やっとすることがある

③下半身の筋肉(腱?)の付け根も固い

④手術時に脊髄を触るので下半身の痺れが残っている

⑤お尻の筋肉の一部の麻痺が残っている

⑥真っ直ぐの姿勢で歩けるようになってきたが、5分以上経つと左右バランスを保つのが大変

と、退院したとはいえ、まだまだ改善点が残っているようでした。

バーも鳴らしながら音叉ヒーリングさせてもらうと、

歩くのがもったいない。
余韻に浸りたい(洗車した車にすぐ乗りたくない心境)
しゃがめなかったのが、膝が自然に曲がるようになった。
膝カックンがなく歩ける。
柵を普通にまたげた!

などの感想。

また、わたしたちプロの施術を1時間以上受け、自分の音叉との違いを痛感し、
「セルフヒーリングする自信なくした」
とおっしゃってました。笑

イイジマンが外出ができるようになったら、【奇跡の村ch】でYouTube撮影もしますので、お樂しみに♪

しかし、歩けるようになるとは思っていたけど、こんなに早いスピードで成し遂げるとは、思ってもいませんでした。

リハビリと自主リハビリと音叉セルフケアを、コツコツ続けた結果だと思います。

継続は力なり!すごいなあ。

リハビリの樣子はコチラの動画をご覧ください。