【"わたし"らしく生きる】を実践中の
魂のヒーラー EIKO です。





『ヒーラーEIKOの 一度は受けてみたい 魂のレッスン』
と題して、

シリーズで、目には見えない世界のことを
分かりやすく説明していきたいと思います。

わたしが今までに見聞きしてきた知識を参考に、
「こうなんじゃないか」と思うことを述べていきます。

なにぶん"目には見えない世界のこと"なので、
本当のところはどうなのか分かりませんが、

わたしなりの解釈をお伝えすることにより、
スピリチュアル初心者の方でも理解が深まり、
今後生きていく上で、
その知識が"生きやすさ"につながったら良いなという思いで始めました。

ぜひ、一緒に学んでいきましょうウインク


記念すべき第一弾は、

『魂って何?』

魂は、一般的には「霊魂」と呼ばれています。

霊魂とは?
・霊魂は、肉体とは別に存在する(霊魂、肉体、精神)
・肉体から離れたり(幽体離脱)、死後も存続することが可能と考えられている
・体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在
(アメリカ合衆国マサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガルの実験では、人間の魂の重さは4分の3オンス=21グラム

)

・人間が生きている間は体内にある
・個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在
(つまり、霊魂にも個性があるということですね)
・五感的感覚による認識を超えた永遠の存在


「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わさっています。

」(れい、たま)の意味は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど。

そこに何かいると五感を超越した感覚(第六感)で感じられるが、物質的な実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。

(こん、たましい)」の方は、精神を司る精気を指し、肉体を司る「魄」と対比される。

人の死に際しては、「魂」は上昇して天に帰し、「魄」は屍が地下に埋葬されるのにともなって地に帰すると考えられている。

「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄(こんぱく)」両方を含む概念を指す。

そして人間だけでなく、動物や植物、鉱物にまで拡大して用いられることもある。


魂魄は、中国の道教の考えで、魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられています。

民間では、三魂七魄の数があり、三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなります。


各国の宗教における霊魂の捉え方

多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいは霊魂となって残ると説いています。

霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいわれています。

霊魂の存在は、しばしば道徳・倫理などと結びつけて語られ、キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られる説があったり、

ヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。

仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。


古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。

オシリスが死と再生を司る神として尊崇された。 

自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた。

定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって願望を神に伝えたり、動植物の霊と交流したり、病人から苦痛の原因である悪霊を追い出すことや、死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司(魔術師)などがいた。

人の魂は五つの部分から成っているとされた(アルファベット表記なら、Ren、Ba、Ka、Sheut、Ibの五つ)。

死者のBa(バー)のよりどころとして死者の体をミイラにして保存した。

死者のバーが無事冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた。

『死者の書』(死者の霊が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。

ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、アク(霊)として永遠の命を生きる、とされた。


古代ギリシアの哲学

ギリシア語では魂は「プシュケー」といい、語源は気息の音に由来する。

またプシュケーには「蝶」という意味もあり、死後の魂のイメージを蝶として表現することもある。


欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体(CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。

また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。

霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。

ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。


古代インド

『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。

同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。

後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。

そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。

霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。


日本の仏教

ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定したともされる。

近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い。

仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。 

死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。

出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。 

その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。

各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%。


日本の古神道(民間信仰)、神道

古神道では、神羅万象にマナが宿るとする、南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。

 折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。

優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。 

日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。

また神(霊魂)には荒御魂や和御魂という魂の様相があるとし、それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」とされる。

神霊
  • 尊(みこと)日本神話にある人格神(人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神)
  • 霊(チ)霊魂の基本となる言葉。血や乳(チ)に通ずるという。
  • 魂(タマシヒ)強い付着性、遊離性を持つマナ。荒御魂(アラミタマ)柳田國男『先祖の話』によれば、新たな御霊(ミタマ)つまり最近死んだものの魂
  • 霊(ヒ)全ての活力の元であり、優れて威力のあるもの。白川静『字訓』によれば、中国で生命の原動力が雨に求められたのに対し(なので雨の字がつく)、日本では太陽光から来ると考えられたので、日と同じヒと呼ばれる。


一霊四魂という霊魂感

一霊四魂説のもっとも一般的な解釈は、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま、さちみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。

和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる。


健康に定義された霊魂(スピリット)

世界保健(WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、健康が含むスピリチュアルな側面について言及した。

さらに、1999年の総会においては、健康の定義文に以下の語も加えることを提案した。

健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。


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どうですか?

魂について、理解が深まりましたか?

あなたのご意見お待ちしてます。


次回は、『輪廻転生って何?』です。
お楽しみに♪