恥はやっぱりかきたくないけど、、かいてもいいし、かいた方がいいのね♪ | Poyoのベリーダンス精進道&ベリーダンス長野Infinity∞

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ベリーダンスを楽しく学び続けよう♪そんな精進の日々を綴っています。ダンサー&オーガナイザー&ベリーダングループ主宰・カルチャー講師もしています♪『ベリーダンス長野Infinity∞』を宜しくお願い致します☆

徒然草 第一五〇段  兼好法師(吉田兼好)

[古文]

第150段:能をつかんとする人、『よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ』と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。

天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

[現代語訳]

芸能を習得しようとする人は、『上手くできないうちは、できるだけ人に知られないようにして、こっそり練習して上手くできるようになってから、人前に出ることが恥ずかしくない』といつも言うものだが、このように言う人は、一芸といえども習得することはできない。

まだ一向に技芸も知らないうちから、上手な先達の中に交じって、怒られようが笑われようが恥じる事もなく、平気で過ごして修練に励める者だけが芸を習得する。天性の才能・素質なんかなくても、芸能において停滞せず、自分勝手なやり方をせずに、修練の年月を過ごせば、器用で天性の才能に恵まれている人よりも、遂に技芸が上手な域に達して、人徳も高まり人から認められるようになり、並びなき名声を得ることにもなる。

天下の芸能の名人でも、最初は無能と言われたり、酷く恥ずかしい思いもしているものだ。しかし、名人はその道の教えを守って、これを尊重し無茶をしなかったので、その道の名人となり万人の師匠にもなれたのである。これは、どの道においても変わらないことである。

注)上記全て引用転載しております。


うーん。今年の私の肝に銘じておきたい大切なテーマのひとつだな~得意げ

恥をかこうぜ、いえい♪いえい♪(笑)


上記に書いてあること、今までは出来てたことなんだよな。上手な人たちに教えを乞い、上手な人たちと共に学ぶことがすごく好きだった。自分がどんなに出来ていないのかよくわかって、そりゃ恥ずかしいし、情けないし、凹むし、もう大変です(苦笑)でも、嫌じゃなかった。そのほうが目標が明確になってがんばれるから好きだった。


立場や知名度がどんどん変わる中、よく見られたい、下手なのばれたくない(爆)、いろんな想いが出てくるんですわ叫び隠すこと、見栄をはること、ごまかすこと、そういうことに気持ちや思考が

行きやすくなり、チャレンジや大切な機会を棒にふることのないようにしたいなって思った。