ほんとうの自分を知るためには

 

 

いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

 

人生の疑問、「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです

 

 

人生は一冊の問題集、あなたにとって、「魂の学校」としての今日の学びは何でしょうか。

 

今日があなたにとって、魂の飛躍となることをお祈り申し上げます。

 

 

 

どう生きたらいいのだろう?

人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?

 

その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。

 

あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。

 

神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。

 

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁  『マハリシの霊言』

 

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁霊言  『大戦争時代への警鐘-李克強首相のラストメッセージ』

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁 法話 『夢は叶えられる』

 

 

 

Happylife-Happyhealth

Happy Science『太陽の法』第5章 黄金の時代 より

” ほんとうの自分を知るためには ”  をご紹介いたします。

 

 

 

【目次】

 

1. にせものの自分

2. 他人から愛を奪い取る自分

3. 仏を信じない自分

4. 精進をしない自分

5. 執着だらけの自分

6. 天国にいる人は、だれ一人地上に執着はない

7. 執着を断つことは、永遠の人生において、幸福を保証する英断です

8. 人間は、心です。魂です。死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。

9. 執着の反対のものは、愛、愛とは、与えることだからです

 

 

 

 

■にせものの自分

 

 自らを知るためには、自らをすてるということです。ほんものの自分を知るためには、にせものの自分をすてなくてはなりません。

 

つまり、にせものの自分に気づくことが、にせものの自分をすてる第一歩となります。

 

そこで、まず、にせものの自分というものを列挙してみようと思います。

 

 

①   他人から愛を奪い取る自分

 

まず、にせものの自分の筆頭は、他人から愛をもぎ取ることばかりを考えている自分です。

 

根本仏は、宇宙を与えられたのです。人間の魂も、人間の肉体も、仏から、与えられたのです。

 

仏は、太陽も、空気も、水も、そして、大地も、海も、動物も、植物も、鉱物も、いっさいがっさいを与えきりました。

 

しかし、仏は、なんの報酬も求めてはいないのです。

 

 

このように、「与えきり」の世界のなかに生きておりながら、人間は、なにゆえに奪うことばかりを考えるのでしょうか。

 

仏に、これだけの愛を与えられておりながら、一体これ以上、どれほどの愛を与えられたら満足するというのでしょうか。

 

仏の愛を知らない人だけが、他人の愛を奪い取るのです。

 

しかし、奪い取りたい他人の愛とは、一体なんなのでしょうか。

 

それはこの世的過ぎる評価でしょう。この世的価値判断に一体何の意味があるのでしょうか。

 

3次元的、唯物論的な評価をしてもらったところで、一体それが、なんの役に立つというのでしょうか。

 

一体どれだけ、自分の向上に役立つというのですか。

 

そのような自己愛の心は、他人と自分とをへだてる壁となり、やがては、地球全体に、動物園のような金網の柵をはりめぐらすことになるのです。

 

そういうことが、なぜわからないのでしょうか。

 

すなわち、まちがった執着をもっていたのでは、ほんとうのしあわせというものを得ることはできないのです。

 

 

②   仏を信じない自分

 

もっともあわれむべきなのは、仏を信じていない人たちです。仏がつくられた世界を信じていない人たちです。

 

人間とは、偶然に男女の性的結合の結果生まれて、バラバラの個人として生きているのだと思っている人たちです。ここに、もっともあわれむべきにせものの自分があるのです。

 

「仏の救済などは信じられない,信じろというのならば、きちんと証拠を出してみろ」というような方は、すでに仏というものを裁いているのです。

 

仏を裁けるほど、自分が偉いと思いあがっているのです。

 

しかし、人間では、地球の誕生以前から人類を見守っている仏の存在を証明することなでできません。

 

その証拠がほしければ、死んであの世に還ったあと、証拠を見せられるでしょう。

 

ただし、その時は、すでにほとんどが手遅れなのです。そして、まっ暗な世界で、自分の存在すら証明できなくなるほどの困惑に陥ってしまうでしょう。

 

 

③   精進をしない自分

 

にせものの自分の3番目とは、精進をしない自分です。

 

精進をしない自分とは、

第1に、怠け心のある自分であり、

第2に、仏法真理を学ぼうとしない自分であり、

第3に、他人を公平に見ない自分であり、

第4に、素直でない自分です。

 

 

仏は,人間に、永遠の努力を期待しています。ですから、努力をしない人間は、仏の子とはいえません。

 

 

あなたは、日々、努力していますか。日々、仏法真理の勉強を深めていますか。

 

他人の実力、他人の真価を、しっかりと評価してあげていますか。そしてまた、素直に活きていますか。

 

素直でない人間には、向上などありません。素直でない人間は、真の魂の学習などできません。

 

素直であるということは、それ自体が美徳であり、それ自体が仏の御心にかなっているのです。

 

ですから、理屈ばかりをいって、他人のいう言葉に耳を傾けないのは、素直でない証拠です。

 

 

④   執着だらけの自分

 

いつわりの自分とは、すなわち、執着だらけの自分ということです。

 

真実の自分を知るとは、日々、仏の心を心として生きるということです。

 

そして、仏の心を心として生きるとは、この世が修行のための仮の世であり、すべてをすてて、やがてあの世へと還らなければならないことを知って、日々、生きるということです。

 

たとえこの世にいくらしがみついていたところで、やがては、必ずあの世へと旅立ってゆかねばならないということなのです。

 

 

天国にいる人は、だれ一人地上に執着はない

 

人生は、無常なものであり、一日一生の思いで生きなければ、いつなんどき、死に見舞われるかもしれないのです。

 

天国にいる人で、地上に執着をもっている人などひとりもおりません。しかし、地獄にいる人はすべて、地上に執着をもっている。その事実をいっときも忘れないことです。

 

 

執着を断つことは、永遠の人生において、幸福を保証する英断です

 

執着を断つことは、人生における一大決意だといえます。つまり、永遠の人生において、幸福を保証する英断であります。

 

しかし、このことは、人生を消極的に生きよ、うしろ向きに生きよという意味では、決してありません。執着を断つからこそ、積極果敢な人生がひらけてくるのです。

 

 

世の人々をよく見てごらんなさい。執着のある人々の、なんと弱々しいことでしょう。

 

なぜ、自分の地位や名誉、あるいは、他人とくらべた年収などに執着をするのでしょうか。

 

なぜ、学校の名前や会社の名前に執着するのでしょうか。なぜ、見栄や虚栄に執着するのでしょうか。

 

そんなものに執着して、一体なにになるのでしょうか。この世の人々に評価されたところで、一体それがなにになるのでしょうか。

 

 

はるか彼方の、大宇宙のはてよりも、さらに偉大な根本仏の存在から見たならば、人間の執着など、いかにはかなく、いかにむなしく、いかにとるにたらないか。そのことがわかりますか。

 

すべてのこの世的な執着を断って、熱血火のごとく赤く、熱く燃えてこそ、真実の人生なのです。

 

それでこそ、仏の子としての人生なのです。それでこそ、仏に認められる人生だといえるのではないでしょうか。

 

 

人間がこの世で築いた地位も、名誉も、財産も、死んであの世にもって還ることはできないのです。この世の肩書きなど、あの世では、もちろんのこと通用しません。

 

日本の総理大臣といわれた方たちが、一体何人、あの世の地獄で苦しんでいるか、あなた方は知っていますか。

 

人もうらやむような大会社の社長が、何百人、何千人と、色情地獄、阿修羅地獄、あるいは、畜生道に堕ちているのです。そのことを、あなた方は知っていますか。

 

生きていたときに、金もうけばかりうまくて、何人もの女性との快楽をむさぼった人間が、快楽のうちに人生を終えた人間が、

 

そのわずか数十年の快楽のために、一体何百年、苦しみという名の代償を支払いつづけているか、あなた方は知っていますか。

 

地獄は、むかし話や方便ではなく、実際にあるのです。厳然としてあるのです。

 

仏法真理を体得した人の目から見れば、あの世で苦しんでいる人々の姿は、金魚鉢のなかの金魚を見るよりもたやすく見えてしまいます。

 

そして、そういう彼らに共通するのは、この世に執着の多い人ほど、苦しみもまた深いということです。

 

 

人間は、心です。魂です。死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。

 

人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。心がすべてなのです。

 

死んであの世にもって還れるものは「心」しかないのだと気づいてはじめて、人間はひらきなおることができるのです。

 

心しかもって還れないならば、せめて美しい心をもって還るしかないでしょう。

 

では、美しい心とはどういうものでしょうか。もちろん、仏がほめてくれるような心です。

 

仏がほめてくれ心とは、愛に満ちた心です。与える愛、生かす愛、許す愛、感謝する心です。

 

ですから、そういう心をもって還れるように、心を磨き、心を高めることにこそ、熱鉄のごとく赤く燃え上がるべきなのではないでしょうか。

 

 

■執着の反対のものは、愛、愛とは、与えることだからです

 

執着の反対は、何だと思いますか。それは、愛です。なぜならば、愛とは、与えることだからです。

 

他人を生かすために、与えつづける愛のなかに、一体なんの執着があるというのでしょうか。

 

ですから、執着を断つには、まず、愛を与えることからはじめることです。

 

あなたは、お世話になったご両親に、なにをしてあげましたか。兄弟に、なにをしてあげましたか。

 

また、お世話になった先生の期待に、こたえることができましたか。友人になにをしてあげましたか。

 

縁あって人生の途上で出会った人々に対して、一体なにをしてあげましたか。

 

隣人に、なにをしてあげましたか。恋人に、なにをしてあげましたか。妻や夫に、なにをしてあげましたか。

 

あるいは、子供を育てるときに、自分のご両親の苦労をどれだけ思い出しましたか。

 

心のなかで憎んでいた人を許してあげられましたか。怒っていた心をしずめてあげましたか。

 

仏の愛に、どれだけこたえながら、勇ましく人生を歩みましたか。

 

   

 『太陽の法』より

 

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---

 

                                                 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。

 

今日のブログは、Happy Science 『太陽の法』 よりご紹介しました。

 

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁 霊言 『ロシアの覚悟、プーチン大統領の守護霊』

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁 『メシアの宇宙会議リーディング

 

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁 霊言 『ウクライナ侵攻とプーチン大統領の本心』

 

 

・Happy Science 大川隆法総裁 法話 『呪いについて』