エル・カンターレが明かされた秘密:原因・結果の法則を使えば、あなたも幸福に生きることができる!! ――With Savior(救世主と共に)――

 

 

どう生きたらいいのだろう?

人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?

 

その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。

あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。

神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。

 

 

真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――

あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。

 

 

Happylife-Happyhealth、今日のブログはHappy Science『大悟の法』より 原因・結果の法則を使えば、あなたも幸福に生きることができる!!  をご紹介いたします。

 

 

【真実の世界観、心の法則】 ついては、『大悟の法』 に詳しく書かれています。

要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。

 

 

【目 次】

1. 仏陀は、「このようにすれば、悟りを得ることができる。あなたがたも、修行をすれば、仏神と一体の状態になれるのだ。その状態を目指しなさい」と、みずからが得た智慧のあり方を教えました

 

2. 原因・結果の「縁起の理法」は必ず完結するとは、実は、過去世からの転生輪廻の結果が、ずっとつながってきており、この世で完結せず、来世まで行って初めて完結することを意味する。一代では完結せず、無限の過去から無限の未来まで流れている

 

3. 人は支え合って生きているとは、この世の空間におけるお互いの関係論のなかを生きるということ。「空間縁起」とは、「重々無尽の人生である」ということなのです

 

4. 「常に仏陀と共に歩む」という姿勢は、常に己の心を見つめ、心を磨き、心の法則に気をつけながら生きていくということでもあるのです

 

 

 

                                                                                

智慧とは、自由と平和を含めた悟りのこと

 

これまで述べてきたように、仏教には自由と平和という2つの特徴があり、悟りのなかには、その両方が入っています。この自由と平和を含めた悟りのことを、智慧といいます。

 

この智慧は個人のものではありません。真実の智慧には普遍性があり、それは人類の共通財であって、公共のものなのです。

 

仏陀は、自分の悟りを自分一人のものとはせず、悟りの果実としての智慧を、他の人にも分け与えようとしました。

 

「このようにすれば、悟りを得ることができる。あなたがたも、修行をすれば、仏神と一体の状態になれるのだ。その状態を目指しなさい」と、みずからが得た智慧のあり方を教えました。

 

この智慧を押し広げていくことを伝道と呼んだのです。

 

そして、智慧を押し広げることは、同時に慈悲であり、多くの人々の苦しみや悲しみを取り除く行為です。

 

それは、また愛の実践でもあります。慈悲にして愛、愛にして行動の原理が伝道です。これが大事なのです。

 

仏陀は、智慧を個人のものとせず、人類の共通財産、共通の宝として、他の人と共有しようとしました。これが伝道への熱意になったのです。

 

真理というものは、より多くの人に理解してもらう必要があります。なぜなら、真理は多くの人を幸福にするからです。

 

自分は幸福になる方法を知っているのに、それを他の人に教えないということは、やはり情けないことだと思います。

 

真理を知らない人は、ちょうど、「自分の家の庭を掘れば、そこから温泉が湧いてくるのに、それを知らずに、洗面器を持ち、

 

何百メートルもの長い距離を歩いて、風呂屋に通っている」という人にも似ています。多くの人々が、現にそのような状態にあるのです。

 

そのため、「庭の下には温泉があるのですよ。その掘り方を教えてあげましょう」と言っているわけです。

 

これが智慧と慈悲の関係です。

 

伝道、教化、布教といわれるものは、智慧の部分を押し広げていくことです。それが仏弟子の仕事であると言ってよいのです。

 

 

縁起の理法

 

■原因・結果の縁起は必ず完結する

 

仏教の悟りのなかには、これに加えて、「縁起の理法」というものがあります。縁起の理法は、自由と平和の内、自由の部分と深い関係があると言えます。

 

縁起の理法には、まず、時間的な縦の系列である「時間縁起」というものがあります。原因・結果の流れ、過去・現在・未来の因縁の連鎖のなかで、人は生き、社会は流れ、歴史は流れているのです。

 

みなさんが、今日何をするかによって、みなさんの人生は変わり、みなさんのまわりの人の人生もかわります。そして、それによって、世界が部分的に変わっていきます。

 

さらには、みなさんが重要な立場に立てば、みなさんの下した判断によって、会社、あるいは社会や国家、世界の方向が変わることさえあります。

 

このように、未来の言うものは選択の積み重ねの結果なのです。この重要性を深く認識する必要があります。

 

仏は、心の自由性と、原因・結果の「縁起の理法」を人間に与えました。心の自由性には、その反面として、必ず責任が伴います。

 

したがって、人間は、自分がなした原因行為による結果については、甘んじて受けなくてはいけません。それは覚悟すべきです。

 

原因に対する結果は、この世においても来ますし、また、この世で縁起が完結しない場合には、この世を越えた世界において、それは必ず完結します。

 

この世においては、「努力しても報われなかった」ということもあるでしょう。その一方で、「努力しなかったのに非常に成功した」という人もいるかもしれません。

 

それだけを見ると、非常に不公平であり、原因・結果の時間縁起が必ずしも働いていないようにも思えます。

 

しかし、この世において縁起が完結しないからこそ、実は、この世を越えた実在の世界において縁起が完結しているという論理が、そこにあるわけです。

 

この世において、善人が不幸な死に方をすることもあります。しかし、それは、ほんとうの意味での不幸ではありません。

 

そういう人は天上界において必ず報いられることになっているのです。

 

この世において、悪人が栄えるように見えることもあります。しかし、その繁栄は永遠のものではありません。それは必ず、大きな執着となって、来世の苦しみを生むことになるのです。

 

そのように、この世においては、必ずしも「善因善果、悪因悪果」になっておらず、その正反対に見えるようなことがあります。

 

仏教では、これを「異熟」と言い、その結果ことを「異熟果」といいます。

 

それはいろいろな場面で見られると思いますが、そのような現象が起きるということ自体が、実は、縁起の理法がこの世で完結せず、

 

来世まで行って初めて完結するということを意味しているのです。

 

いま述べたことは、人生の終わりについての話ですが、人生の始まりについても同じことが言えます。

 

「人間はみな仏子であり、平等である」と言っても、生まれにおいて違いがあります。ある人は金持ちの子に生まれ、ある人は貧乏人の子に生まれます。

 

また、ある人は生まれつき体にハンディがあり、病気を持っていたり、体が不自由だったりします。

 

あるいは、知能や体力に差があります。人間には違いがあり、人間は必ずしも平等ではありません。

 

これも、現時点だけを見れば、「平等ではない。公平ではない」と思えるのですが、実は、過去世からの転生輪廻の結果が、ずっとつながってきているのです。

 

今世だけで考えると理解できず、説明がつかないものについては、その前の時代から原因行為が始まっていると考えるべきなのです。

 

そうであって初めて、生まれにおける違いの説明がつきます。もし、そうでないならば、人間はみな、生まれつき同じでなければいけないはずです。

 

しかし、実際には、同じ赤ん坊であるということ以外は、与えられた能力や才能、体質その他について、差があります。今世だけではないものが、そこにあるからです。

 

生まれてきた時点は、スタートであると同時に結果でもあります。各人の過去の人生における、さまざまな歩みの結果が、今世のスタート点になっている面もあるのです。

 

因果の理法は一代では完結でず、無限の過去から無限の未来まで流れているものなのです。

 

これが時間的な連鎖のなかでの縁起の理法です。

 

 

■人は支え合って生きている

 

縁起の理法には空間的な面もあります。

 

人はお互いに支え合って生きています。そういう空間のなかを生きているのです。

 

「人」という字は、二つの束ねた麦わらが支え合って立っている姿をかたどったものだとも言われていますが、この文字の形が示すとおり、人は相支えている存在です。

 

夫婦でも、親子でも、友人でも、あるいは職場においても、支え合って生きています。これを「相依性」といいます。

 

このように、「人はお互いに依存し合って生きている存在だ」ということを知らなくてはいけません。

 

それはちょうど、日本とアメリカの貿易が連鎖していることにも似ています。

 

日本がアメリカに物を安く売れば、日本人にとって利益になるだけではなく、アメリカ人にとって利益になります。

 

そのように、連鎖し、お互いに関連し合って、世界が発展し、繁栄しているのです。

 

こうした商業行為における縁起がありますが、人間関係においても同じことが言えます。

 

人がこの世に生きるということは、この世に空間におけるお互いの関係論のなかを生きるということ、すなわち、「空間縁起」のなかを生きるということにほかならないのです。

 

そして、人が支え合って生きているということは、この世のなかに愛の原理が働いているということを意味しています。

 

人は、原因・結果の縦の連鎖のなか、時間の流れのなかにおいて、責任を持って生きなければならない存在であると同時に、横の広がりである空間のなかにおいて、お互いを支え合って生きている存在でもあるのです。

 

これは、前述した、慈悲の行為としての伝道につながっていく面もあります。

 

「お互いに支え合って、この時代をつくり、社会をつくっている。だから、多くの人を救わなければいけないのだ」ということです。空間縁起から言っても、伝道は非常に大事な行為なのです。

 

それは、伝道する相手をよくするだけでなく、同時に、自分が住んでいる世界をよくすることでもあり、自分自身をよくすることでもあります。

 

そして、自分をよくすることは、ほかの人をもよくしていき、それはまた、自分が住んでいる世界をもよくしていきます。このように循環していくのです。さらに、それは未来をもよくしていきます。

 

要するに、空間縁起とは、「重々無尽の人生である」ということなのです。

 

魚を獲る網は、縦と横のロープが結び合ってできています。その十文字になっている結び目のところが、いわば各人の個性の部分です。それぞれの名前を持っている、この個性の部分が、結び目のところに当たるわけです。

 

結び目は、一つひとつ別のものではありますが、お互いに縦横の十文字をつくり、一つの網になって初めて、「魚を獲る」という使命を果たすことができます。

 

そのように、人間は共同生活をしながら大きな使命を果たしているのであり、自分一人だけ、結び目一つだけでは仕事ができないのです。

 

この縦横に全宇宙的に結びついているものを、「インドラの網」(帝釈天網)ともいいます。

 

各人は、大きな網の一部であって、独立した個人でありながら、同時にすべてのものと結びついているものです。

 

そして、その網をつくっているもの自体は、大宇宙の真理であり、大宇宙の仏の心なのです。

 

人は、全体のなかの一部であり、一部でありながら全部でもあります。一人でありながら一人ではなく、大勢でありながら、また個人でもあります。それが真実の人生なのです。

 

 

■心の法則を究めて生きる

 

心の法則を中心に、「自由と平和」「智慧と慈悲」「縁起の理法」などについて述べてきましたが、実は、これはすべて仏陀の悟りなのです。仏陀の悟りを現代的に説いたわけです。

 

したがって、心の法則を究めて生きようとすること、心の法則を学び、それを実践して生きることが、すなわち、「仏陀と共に歩む」ということなのです。

 

仏陀も、その道をかつて歩み、そして、いまも歩んでいます。心の法則を究めている限り、仏弟子として、仏陀と共に歩んでいることになります。

 

「常に仏陀と共に歩む」という姿勢は、常に己の心を見つめ、心を磨き、心の法則に気をつけながら生きていくということでもあるのです。

 

 

 

Happy Science『大悟の法』 より

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---

 

                                                 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『大悟の法』 よりお伝えしています。