エル・カンターレが明かされた秘密:高次元霊界へ同通できるかは、あなたの心の平和を維持する能力しだい――With Savior(救世主と共に)――
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。
あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。
神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。
あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『大悟の法』より 高次元霊界へ同通できるかは、あなたの心の平和を維持する能力しだい をご紹介いたします。
【真実の世界観、心の法則】 ついては、『大悟の法』 に詳しく書かれています。
要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。
【目 次】
1. 現代人が求めている「心の静寂」、それは、澄んだ湖面のように、波一つ立たず、鏡のようになっている。
そういう心の状態に対して幸福を感じる
2. 次元構造の壁、あるいは次元の大地をつくっているものこそが、実は心の平和の部分。
どれだけ平和な心を持っているかによって、次元が分かれている
3. 心の安らぎを取り戻す方法とは、独り静かに仏法真理の書籍をひもといてみる、あるいは、座禅、瞑想などの経験を経て、自分自身と対面してみる。
あるいは、反省によって、心の染み抜き作業を、丹念に行っていくこと。
4. 生きながら「涅槃」の境地に入るとは、まず、心が安らいできて、次に、温かい光が体のなかに入ってくる。
さらに、その光の存在と自己が一体になってくる。瞑想のなかで、光と一体になる感覚が現れてくるのです。
そういう心の状態を創れば、高次元世界と同通できる。
心の平和
■現代人が求める「心の静寂」
仏教のもう一つの大きな特徴として、平和を非常に強く求める面があります。
ここで言う平和とは、心の平和です。
仏教は、心の安らぎというものに対して、この上のない価値を認めているのです。
3次元的に言えば、あるいは現代的に言えば、「これをやって、これだけの成果があった」「これをして、○○を手に入れた」ということが、
勝利感、達成感であり、幸福感であることが多いと思いますが、幸福はそういうものだけではありません。
仏教的幸福のなかには非常にクワイエット(静寂)な面があります。
それは、「非常に静かな、穏やかな境地に幸福を感じる」というものです。
ちょうど、山のなかの澄んだ湖面のような静寂です。
「澄んだ湖面のように、波一つ立たず、鏡のようになっている。そういう心の状態に対して幸福を感じる」という所が、非常に大事なポイントなのです。
これは、忙しい現代人にとって、まったく正反対の価値観のようにも見えますが、本能的には、だれしも、それを求めているのです。
「非常に忙しく仕事をしているなかにあって、オアシスのような一時を求めている。しかし、手に入らずにいる」という人が大部分でしょう。
そのため、心のオアシスを求めて、ある人は宗教の世界に入り、ある人は学問の世界に生き、ある人は自然に親しむことを趣味としているわけです。
現代人は、心の静寂や穏やかさといった平和な境地を楽しむことの大切さを、本能的に知ってはいるのですが、
それが実際にどれほどの価値を持っているかは、なかなか、つかみきれていないのです。
■霊界の次元の大地をつくっているものとは
心の平和というものは、非常に深い価値を持っています。
霊界には、4次元、5次元、6次元、7次元、8次元、9次元と、何重にも次元構造があり、各次元のなかに、さらに精妙に分かれた段階があります(「太陽の法」第一章)。
この次元構造の壁、あるいは次元の大地をつくっているものこそが、実は心の平和の部分なのです。
その世界に住んでいる人が、どれだけ平和な心を持っているかによって、次元が分かれているわけです。
平和な心とは、別な言葉で言えば、揺れない心、不動の心です。
そこに住んでいる人たちの心の波動、心の波長が一定しているところに、その霊界の階層ができてくるのです。
したがって、たとえ7次元の住人であっても、心が非常に揺れ、喜怒哀楽が大きくぶれて、まるで地獄の鬼さながらの心境になったような場合には、
たちまち、足元の大地がパカッと開いて、その人は下の次元まで落ちてしまします。
まるで、エレベーターで降下するように、あっというまに転落してしまい、元の次元には住めなくなるのです。
そのように、心の平和を維持する能力が次元の壁をつくっているのです。
そのため、一定のレベル以上、心の平和を維持する力がないと、その世界にとどまることができません。
下の次元にいくほど、想念は荒れ、心の波長は非常に荒れています。
4次元世界は3次元世界に近いところにあり、非常にこの世に近い波動を持っています。
4次元に住んでいる人たちには、肉体がないのに、この世とほとんど同じような生活をしている人が多いのです。
また、地獄にいる人たちは、ほとんど、この世的な価値観に惹かれている人ばかりです。
彼らはこの世の地面への執着が取れず、そこから逃れられないでいます。
彼らは常に“重力”がかかっていないと生きていけないのです。
そして、地上の人間に取り憑き、地上の人間と同じような趣味嗜好を持って生きている人がたくさんいます。
憑依霊になって、5年も10年も20年も一緒に住んでいられるということは、憑依している相手と価値観がまったく同じなのだと思います。
そういう生き方をしている人もいます。
彼らは、精妙な波動、安定した平和な波動とは、まったく正反対の生き方をしています。
地獄には、条件反射的で非常に破壊的な、ガサガサした想念のなかに生きている人がたくさんいるのです。
■心の安らぎを取り戻す方法
現代社会は非常に忙しい世の中になっていますが、そのなかで、心の安らぎを取り戻すことがとても大切です。
その方法としては、たとえば、独り静かに仏法真理の書籍をひもといてみることです。
あるいは、座禅、瞑想などの経験を経て、自分自身と対面してみることです。
あるいは、反省によって、自分の心に刺さったとげを一つひとつ抜いていき、インクつぼをひっくり返したように真っ黒になってしまった心の染み抜き作業を、丹念に行っていくことです。
また、どうしても自力によって心の平和を保つことができず、反省も瞑想も、とてもできないような状態であるならば、もはや祈りに頼るしかありません。
特に、強力な悪霊である「悪霊」に取り憑かれたり、悪魔に惑わされたりしているようなときは、なかなか心の平和を取り戻すことができないのです。
それは、「心が揺れて、考え事がまとまらない。いつも同じところに考えが行ってしまい、心を柔らかくしようとしてもできない。執着から離れようとしても離れられない。
さらに、本来の自分とは正反対の思想が、どんどん頭のなかに入り込んできて、考え方が逆になっていく」という状態です。
このような、強力な悪魔などに憑かれているときは、残念ながら、反省や瞑想に入れる状態ではありません。
その場合には、強い祈りに頼るしかないので、幸福の科学の支援霊団に対して祈ってみてください。
祈れば必ず助けがやってきます。それは確実です。
幸福の科学の信者の場合は、「主への祈り」や「エル・カンターレへの祈り」などで、私に対して祈れば、幸福の科学霊系団のだれかが必ず助けに来て、光を入れてくれます。
そういう祈りにたよらなければいけないときもあるのです。
■忙しくても湖面のような澄んだ心を
反省・瞑想・祈りによって、心を穏やかに、安らかにすることが大切です。
心の穏やかな状態が続けば続くほど、あの世に還ったのち、より高次元の世界に生きられることになります。
高次元世界に住んでいる人たちは何も仕事をしていないかといえば、そのようなことはなく、非常に忙しく仕事をしています。
仏像のなかには、顔が十一もある十一面観音や、手が千本もあるとされる千手観音などがありますが、これは、高次元の霊人が、さまざまな仕事を非常に忙しく行っていることを表しているのです。
彼らは、あちこちで、たくさんの人を救済しているので、非常に忙しいわけです。
ただ、どんなに忙しくても、それで心が千々に乱れて不安定になってはいけないのです。
高度な仕事をし、幅広い活躍をしつつも、常に平和な心を維持し、澄んだ心でいなければなりません。
これは、高次元の霊人に課せられた責務ともいうべきものなのです。
成功にも、成金的な成功とさわやかな成功があるように、忙しく働く人のなかにも、地獄的に働いている人と、千手観音のように天国的に働いている人がいます。
したがって、仕事そのものは多忙で大変であっても、いつも山上の湖面のような澄んだ心、平和な心を持っていなければならないのです。
それは、この世においても同じです。したがって、まず、一人で心を静めることから始めるべきです。
ただ、心を静めた座禅の状態というのは、特別な環境においてのみ行われるものではありません。
常にそういう心境を維持できるようになれば、「歩いていても、仕事をしていても、電話をしていても座禅である。『業務則座禅』である」ということになります。
心の修行を続け、自分の心を静めながら、また、自と他の関係、世界の関係、宇宙を貫く関係をじっと見つめながら、仕事をしていくわけです。
座禅とは、座ることだけを言うのではありません。禅の心自体が、一日の生活そのものを律していくものなのです。
■生きながら「涅槃」の境地に入る
心の自由と同時に、心を平和の大切さを知る必要があります。
仏教は心の自由と平和の両方を追い求めているのです。
心の平和の境地のことを、仏教では「涅槃」と呼んでいます。
死後に還る高次元世界、安らいだ天国の世界も涅槃の世界(無余涅槃という)ですが、
そういう天国の世界、如来界や菩薩界などの安らぎの世界を、地上に生きていながら手に入れること、生きながらにしてその状態に入ることも涅槃なのです。
これを「生身解脱」といいます。
生前の解脱、すなわち、肉体を持って生きながら、涅槃という安らぎの境地、ニッバーナの世界に入ることです(有余涅槃という)。
ニッバーナ、あるいは、ニルヴァーナとは、炎を吹き消した状態のことをいいます。
この炎とは肉体煩悩のことであり、煩悩とは悪しき精神作用の総称です。
悪しき精神作用とは、要するに、乱れた音楽のようなものだと思えばよいでしょう。
波長の乱れたガシャガシャした音楽は、長く聴けません。
それと同じように、非常に乱れた心の状態のままではいられないのです。
煩悩の火を吹き消した、非常に静かな状態が涅槃の境地であり、そういう心を求めるものが瞑想なのです。
深い瞑想に入っていくと、この世的なさざ波の部分は消え、仏神と一体の状態になります。
現象としては、まず、心が安らいできて、次に、温かい光が体のなかに入ってくるのを感じます。
さらに、温かい光を感じるだけでなく、輝かく光そのものが見えてきます。
光のかたまりが見え、光の存在が現れて、それが自己と一体になってくるのです。
こういう感じがよく分かるようになります。
これが、金色の仏像などで表現されている状態です。
瞑想のなかで、光と一体になる感覚が現れてくるのです。
ここまで来ると、かなり確立された涅槃の状態だと言えます。
仏教の理論によると、この世において、そういう心の状態をつくれば、高次元世界と同通することができます。
生きながらにして、たとえば7次元の世界と同通する心をつくれたならば、その世界を行き来できるようになります。
その世界の人がこちらに来ることもできれば、こちらからその世界に行くこともできるようになるのです。そして、死後にその世界に還ることが確定します。
自分の現在の心の状態に応じた世界に、死後、還ることになるのです。これが仏教の理論なのです。
この理論が現実にそのとおりであることは、私の長年の経験で、すでに実証済みです。
自分の心の状態にあったものが必ず同通してきますし、その世界が、肉体を去って心だけになったときの自分が行くべき世界なのです。
ただ、高次元世界の波長を出そうとしても、普通はなかなか出せるものではありません。
たとえば、楽器の演奏でも、普通の人が「世界一のバイオリニストやピアニストのような演奏をしてみよ」と言われても、それは難しいでしょう。
演奏の上手な人が「下手に演奏せよ」と言われれば、できるかもしれませんが、下手な人が「上手に演奏せよ」と言われても、できないのです。
やはり、自分としての最高レベルというものがあり、そのレベルがどの程度であるかは各人の能力によります。
そして、練習を積むに従って、常に最高に近い状態が出せるようになってくるのです。
心の波長も、これとよく似ています。このようなものを求めることが、涅槃を求める心なのです。
Happy Science『大悟の法』 より
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『大悟の法』 よりお伝えしています。