エル・カンターレが明かされた秘密:瞑想のなかで、自分と仏もつながっていて、仏と他の人もつながっている」という世界が見えてくる――With Savior(救世主と共に)――
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。
あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。
神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。
あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『大悟の法』より 瞑想のなかで、自分と仏もつながっていて、仏と他の人もつながっている」という世界が見えてくる をご紹介いたします。
【真実の世界観、心の法則】 ついては、『大悟の法』 に詳しく書かれています。
要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。
【目 次】
1. 心に仏を思い浮かべ、心のなかから、この世的な波動、3次元的な波動をどんどん落していき、自分と仏との一体感を味わうのです(本来の念仏)
2. 瞑想のなかで、自分の内にある純金の部分を発見した人は、「純金性という点において、自分と仏もつながっていて、仏と他の人もつながっている」という世界が見えてくる
3. 深い瞑想に入ることによって、自分の内のほうへ深く入っていくと、無限の宇宙へと伸びている道があることがわかる
4. 創られたものとしての痕跡とは、その生き物を有らしめようとする力が宿っているということ
5. すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きているということが、創られたものとしての痕跡
瞑想のなかで見えてくるもの
■仏との一体感
宗教では、精神統一というものを重視します。
仏教だけでなく、キリスト教やイスラム教、その他の宗教も、何かのかたちで、瞑想に当たるものを持っています。
瞑想とは、外界からの刺激をできるだけ遮断して、「自己の内なるものを見つめる。
内なる自己を見つめる」という時間を取ることです。
そして、瞑想をさらに進めていくと、仏や神と対話をし、自己が溶け出して仏や神と一体化する状態、「仏自己であり、自己は仏である」という状態になってきます。
仏教では、各地の寺院で仏像を祀っています。
ユダヤ教やイスラム教から見れば、それは偶像崇拝として否定されるかもしれませんが、仏像には、やはり意味があるのです
仏像を本尊として安置し、それに向かって精神統一をしていると、本尊が自分のなかに入り、自分が本尊のなかに入って、本尊と自分が一体になってきます。
これを「入我我入」といいます。自分のなかに本尊が入り、本尊のなかに自分が入って、本尊と自分が渾然一体となる境地があるのです。
本来は、仏像なくして、そういう状態に入れるのが本筋ですが、その前段階の方便として、まず、心に仏の姿を描くことができるように、
仏をかたどった像の前で、合掌するなど、さまざまなポーズを取って、精神統一の訓練をするわけです。
心に仏を思い浮かべ、心のなかから、この世的な波動、3次元的な波動をどんどん落していき、自分と仏との一体感を味わうのです(本来の念仏)。
■人間の心のなかにある純金の部分
そして、仏との一体感を味わうなかで、「自分」と思っていた個性の部分に、実は2種類のものがあることが分かってきます。
それはちょうど、川で砂金と石ころを選り分けるような感じです。
自分というもの、あるいは、今世の数十年でつくった、自分の個性と思っているもののなかに、砂金の部分、金色に光っている部分と、そうでない石ころの部分とがあるのです。
石ころの部分の自分とは何かというと、たいていの場合、肉体的感覚に基づき、肉体を自分だと認識して生きることによって、つくってきた殻のことです。
あるいは、肉体としての自分が生きやすいような選び方をする傾向性です。
そういうものが、船の底のカキ殻のように、たくさん付着しているのです。
これを瞑想のなかで選り分けていかなければなりません。
真実の砂金の部分とそうでない部分を分けていくのです。
その選り分けていく作業をしていくと、「仏と我、我と仏」という関係だけではなく、我なるものと、我以外の、この世に生きとし生けるものとの関係が、次第しだいに分かってきます。
すなわち、地上には、数億、数十億の人々が、さまざまな好き嫌いを持ち、それぞれに個性的に生きていますが、
そういう他の人間のなかに宿っている砂金の部分、金色に光っている部分が見えてくるのです。
自分の内にある砂金の部分、金色の部分を発見できない人は、他の人のなかにある砂金の部分を発見することは難しいのです。
瞑想のなかで、自分の内にある純金の部分を発見した人は、その同じ目によって、他の人の心のなか、個性のなかにある、金の部分、金色に光っている部分が見えてくるのです。
そして、「純金性という点において、自分と仏もつながっていて、仏と他の人もつながっている」という世界が見えてきます。
したがって、「何もかもを、この世的に同じに扱う」という意味での平等性や、結果平等等における民主主義的な考え方とは違った意味での、平等性が見えてくるのです。
それぞれの人のなかに宿っている純金の部分、他の人のなかにある金色の部分が見えてきて、
「金としての性質を持っている」という点における同質性、平等性が見え、「平等性智」が目覚めてくるわけです。
■創られたものとしての痕跡
さらに、心のなかの内なる目を凝らして、じっと見ていくと、実は動植物のなかにも金色の部分があることが見えてきます。
動物にも心があり、植物にも心があることが、非常によく見えてくるのです。
鎌倉時代の僧侶に、名僧と言われた、華厳宗の明恵という人がいますが、この人は霊能者だったようです。
彼に関する文献を読むと、次のようなことが書いてあります。
ある時、夜も更けて、炉端で眠っているような姿勢で座っていた明恵が、弟子に、「ああ、かわいそうに、もう喰いついたかもしれぬ、
いま、大湯屋の軒の巣のスズメが蛇にのまれそうになっているから、灯をつけて急いで行き、追い払え」と言うので、
弟子が「ほんとうかな」と思って裏に行ってみると、まさしく、蛇がスズメをのみ込もうと狙っているところであったというのです。
明恵は、暗闇で遠方のことまでが見えたということです。
これは霊能体質であれば、そのとおりなのです。ほんとうによく分かるのです。そういうたぐいのことはたくさんあります。
ただ、霊能体質であっても、この世的に、あまりガサガサした状態だと分からないのですが、瞑想状態に入ると、そう言うことが非常によくわかるのです。
深い瞑想に入ることによって、さまざまな世界とつながっていき、いろいろのものが見えてきます。
動物の心の動きもわかるし、植物の考えや気持ちまで分かってきます。深い深い定に入っていくと、そこまで通じてくるのです。
そして、何十キロも何百キロも離れた所にいる人の考えていることや思っていることが、何らかの縁があれば、その縁を通じて分かってきます。
「この人は、いま、こういうことを考えているのだな」ということが、すっと入ってくるのです。
私の場合は、たとえば、ある国の大統領がいま何を考えているかを知ろうと思えば、天意の許す範囲でしることができます。
コンピュータにアクセスして情報を取るように、その人の考えていることが見事にわかるのです。
あまり関心を持ちすぎると、大変な情報が入ってきて困るほどです。
そのように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実はその中に、無限の宇宙へと伸びている道があるのです。
無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。
それは結局、人間以外のものを含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物、すなわち創られたものとしての痕跡があるのです。
創られたものとしての痕跡とは、その生き物を有らしめようとする力が宿っているということです。
犬であろうと猫であろうと人間であろうと、男であろうと女であろうと、存在にはすべて、それをそのように有らしめようとする力が宿っているのです。
その有らしめようとする力は、「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。
すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きているということが、創られたものとしての痕跡なのです。
Happy Science『大悟の法』 より
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『大悟の法』 よりお伝えしています。