エル・カンターレが明かされた秘密:幸福になる方法-「与える愛」とは、与えきりの「慈悲」の教え【愛の原理】――With Savior(救世主と共に)――
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。
あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。
神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。
あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『幸福の法』より 幸福になる方法-「与える愛」とは、与えきりの「慈悲」の教え【愛の原理】 をご紹介いたします。
【幸福の原理】 ついては、『幸福の法』 に詳しく書かれています。
要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。
■幸福になる方法【愛の原理】
◆「奪う愛」ではなく「与える愛」の実践を
幸福の原理の第一原理として、私は「愛の原理」を挙げました。
組み立て方はいろいろあろうかと思いますが、最初の原理は、法門として、要するに、教えの入り口の幅として、広いほうがよいと考えたのです。
「第一の原理としては、どんな人も参加できるような広い教えがよいだろう。広い教えとしては、やはり愛の原理がよいだろう」ということです。
頭のよい人に対しては、悟りに至るための難しい議論もよいのですが、勉強をした人ばかりがいるわけではありません。
また、現実に苦しんでいる人、悩みのなかにある人は、それほど理性的に悩んでいるわけではありません。みな感情で苦しんでいます。たいていは、感性的な苦しみ、感情の苦しみが中心でしょう。
したがって、「世界共通の大きな法門としての原理を取り出すならば、愛の教えがよいだろう」ということです。
これがいちばん広く、すぐに入れます。しかし、低級というわけではありません。誰でもはいれるけれども、誰も卒業することのできない法門、それが愛の原理です。
愛の原理のなかには、説くべきことはたくさんありますが、まず、悟りへの一転語として、「みなさんが愛だと思っていることは、実は『奪う愛』ではありませんか。
人から貰うこと、人から取ることを愛だと思っていませんか。そうではないのです。貰うことを考えているから、苦しんでいるのではあいませんか」ということを説いたのです。
そういう愛は、昔、原始仏教が「愛」と呼んだ、執着としての愛です。原始仏教では、執着のことを「愛」と呼び、私が教えている「与える愛」のほうは「慈悲」と呼んでいました。
当会の愛の教えは執着のほうではなく慈悲の教えなのです。慈悲とは与えきりのものです。見返えりを求めない、与えきりの心が慈悲です。
「与える愛」という言い方をしていますが、これは、この世的に分かりやすくするために言った言葉です。
「慈悲」と言ってもよかったのですが、言葉としては古いので、現代人にとっては理解しにくい場合もあるだろうと考え、現代的に翻訳して、「与える愛」と言っているのです。
「慈悲」と言うと、ちょっと分からないかもしれませんが、「与える愛」という言葉であれば、小学生や中学生でも分るでしょう。
みなさんは、「愛」と言うと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。
そして、充分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。
◆愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけない
みんな、愛が欲しい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。
それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。
愛不測の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベッドで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっと良い薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。
みんながそのように言っているので困ります。もっと医者や看護師を増やさなくてはいけませんし、薬ももっと出さなくてはいけません。
したがって、自分のできることから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。
自分が幸福になりたいと言う前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。
みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。
仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみの教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです。
いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人もでてきません。
まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。
与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。
人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へいくのです。
人の幸福を見て、羨み、妬むような人はだめです。「自分だけが幸福になればよい。人は幸福にならないほうがよい。人は不幸になったほうがよい」というのは地獄の心です。
人の幸福を見て喜ぶ心になったら、天国へ入る条件が揃うのです。第一関門の愛の原理をマスターしただけでも、天国の門は充分に開きます。
したがって、簡単なようで、非常に奥が深いのです。
Happy Science『幸福の法』より
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
【今日のまとめ】
・「みなさんが愛だと思っていることは、実は『奪う愛』ではありませんか。人から貰うこと、人から取ることを愛だと思っていませんか。そうではないのです。貰うことを考えているから、苦しんでいるのではあいませんか」
・「与える愛」とは慈悲、慈悲とは与えきりのものです。見返えりを求めない、与えきりの心が慈悲です。
・いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人もでてきません。まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。
・人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へいくのです
Happy Science『幸福の法』より
真実を知ることであなたも幸せになれる---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。今日のブログは、Happy Scienceの 『幸福の法』 よりお伝えしています。