エル・カンターレが明かされた秘密 : よい念いも悪い念いも実現する――With Savior(救世主と共に)――
人間はどこから来て、どこへ去っていく存在なのだろうか?
その疑問にお答えするためには、今まで隠されていた真実を知ってほしいのです。
あなたの悩みは、仏法真理を知ることで、すべて解消することでしょう。
神とは、人間とは、そしてその人生とは何かを知れば、未来に向けての生き方、人生にチャレンジする勇気が湧いてきます。
あたなにも、幸福になってほしい。そして、世界の人々にも幸福になってほしいと願っています。
真実を知ることであなたも幸せになれる――With Savior(救世主と共に)――
あなたに『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を贈ります。
Happylife-Happyhealth、今日のブログは、Happy Science『幸福の法』より "よい念いも悪い念いも実現する" をご紹介いたします。
【人間を幸福にする4つの原理】 ついては、『幸福の法』 に詳しく書かれています。
要点を数回に分けてご紹介してゆきますので、楽しみに読みすすめてください。
よい念いも悪い念いも実現してくる
【目次】
1.人間というものは、霊的な存在、霊の世界というものは、念いの世界、念いが実現する世界である。
念いが人間の本質であり、肉体というものは、それを実現するための乗り物、手段にしか過ぎない
2.霊界においては、「一念三千」といいますが、天上界から地獄界まで、念えば一瞬で行けるのです
怖いほど、時間・空間に隔たりがない世界なのです
3.よい念いも悪い念いも実現してくる
悪なる念いを持ったら、悪なるものを引き寄せ、善なるものを念えば、善なるものを引き寄せる
4.「愛」「知」「反省」は「発展」のための方法
自分の心をよく見て、「愛」や「知」や「反省」のことをよく念い描いたならば、そういうものの結果が、この発展の原理のところに来ます
5.念いというものは、一定の時間内では成功しないこともあるけれども、長い時間の流れにおいては、ほぼ確実に実現する
イエス・キリストのように、この世においては、「救世主になるつもりでいたけれど、十字架にかかって死んだ」という人もいます。ただ、その救世主としての願望は、長い時間において、見事に達成されている
6.自分の幸福が「全人類の幸福」につながる生き方を
7.「愛」「知」「反省」「発展」、4つの原理を修行課題に
■人間というものは、霊的な存在であり、霊の世界というものは、念いの世界、念いが実現する世界である。
4番目に、「念いは実現する」という話をします。これは、「発展の原理」という教えです。
この発展の原理も、それぞれの人の立っているステージ(段階)によって話が違います。それぞれの人の立場に合った話があるので、難しいのです。
ただ、基本的には、人間というものは、やはり霊的な存在であり、霊の世界というものは、念いの世界、念いが実現する世界であると言えます。
地獄的な念いを持っている人は、あの世で、大勢が集って、ほんとうに地獄界を展開しています。地獄界において、悩みや苦しみのなかで、“サドマゾ”をやり、お互いに苦しめ合って生きているのです。
一方、天上界は、お互いに支え合って生きている世界です。あの世では、念いの世界が展開していて、そちらが、ほんとうの世界なのです。
したがって、念いが人間の本質であり、肉体というものは、それを実現するための乗り物、手段にしか過ぎないのです。
まず、このように考える必要があります。
この世は物質の世界であるため、この世においては、念いが実現するまでに、多少、時間がかかります。
この世では、「ある所から別の所へ行くために、車に乗って移動しなくてはいけない」というようなことがありますが、それと同じで、念いを実現するためには、この世的に、いろいろな物質や物体を使わなくてはならないのです。
◆霊界においては、「一念三千」といいますが、天上界から地獄界まで、念えば一瞬で行けるのです
霊界においては、たとえば「東京から名古屋に行きたい」と念えば、念った瞬間に移動できます。ほんとうに一瞬です。「一念三千」といいますが、天上界から地獄界まで、念えば一瞬で行けるのです。
ほんとうに、怖いほど、時間・空間に隔たりがない世界なのです。
私は、死んだ人の写真を見ると、その人と1秒で同通します。天国から地獄まで、どこでも1秒で通じます。
そのため、なるべく、高級霊界に還っている霊に関心を持っていたほうがよいわけです。そういう霊が来てくれた場合には、霊示を受けることができます。
ところが、地獄界に行っている霊に、あまり関心を持ち、同通すると、居座られて非常に不愉快な思いをします。その場合には、いかに関心を持たないようにするかということが大事です。
そういう世界が厳然としてあります。
■よい念いも悪い念いも実現してくる
この世においても、結局は、人は自分の念いを実現します。それが善なる念いであっても、悪なる念いであっても、実現するのです。
それは、天国・地獄が展開していると同じ理由によります。天国的な念いも実現し、地獄的な念いも実現し、どういう念いであっても実現するのです。
たとえば、「人を殺したい」と念っている人がいたら、いずれ人を殺してしまうかもしれないし、殺せなくとも、そういう犯罪に遭遇して、自分自身が逆に殺されることになったりもします。
そのように、悪い念いを持っていたら、必ず悪い結果を招き寄せるようになるのです。
みんなが「人を幸福にしたい」という念いで生きていると、事実上、そこに天国ができてきます。そういう人の数が増えてくれば、天国が現れてくるのです。
ところが、みんなが人の不幸を願い、「人を不幸にしたい」と念っていたら、それが地獄なのです。そういう世界です。
念いというものは、よい念いであろうが、悪い念いであろうが、やはり実現してきます。これは霊界の真実です。
この世においては、3次元的な妨げにより、それが、多少、鈍る面はあります。他人が介在してきたりするため、なかなかストレートにはいかないことがあるのです。
しかし、長期的な意味において、10年、20年、30年と時がたてば、人の念いは必ず実現してきます。
それは流れていく溶岩のようなものであり、だんだんに固まっていきます。程度の差や、多少の色合いの違いはあっても、やはり、人は自分の念った方向で物事を実現します。よいものも悪いものも実現します。
また、人は、自分が興味関心をいだいた方向に、毎日、進んでいきます。これも間違いないことです。それが現実です。
したがって、発展の原理においては、まずは、それを知らなければいけません。「念いの法則というものがあり、善なる念いも悪なる念いも実現する。
あるいは、悪なる念いを持ったら、悪なるものを引き寄せ、善なるものを念えば、善なるものを引き寄せる」ということです。これは、霊界の法則により、必ずそうなるのです。
まず、その善悪をしり、「自分の念いは、そのように、実現する力を持っているものである」ということを知らなくてはいけません。
■「愛」「知」「反省」は「発展」のための方法
まず、自分の心をよく見て、前述した愛や知や反省のことをよく念い描いたならば、そういうものの結果が、この発展の原理のところに来ます。
愛の原理、知の原理、反省の原理によって、自分をよく改めた結果、発展の原理のほうに向かってくるのです。
愛の原理において、念いが「奪う愛」のほうに向いているときに、一生懸命、念を出すと、結局、他人も自分も不幸にする方向に行きます。
知の原理においても、念いが間違った方向を向いていたら、幸福にはなれません。
反省の原理においても、反省というものを知っていれば、念いは正しい方向に向きますが、無反省な人間の場合には、実際は、念いも間違ったほうに向いていきます。
したがって、「愛」「知」「反省」が上手にクリアできると、やはり、発展の原理のほうも正当な方向に流れていきます。
人を愛する方向で、発展はなされていきます。知の原理における、さまざまな学びも、発展に寄与していくことになります。
反省において、「人生の失敗、あるいは、自分の間違い、悩みなどを、1個1個、解決していく。そういう問題を研究し、分析し、そして答えを出していく」ということによって、また発展への道に入ります。
「愛」「知」「反省」は、どれも、「発展」の流れに入るために方法でもあるのです。そういうことを通過して発展の原理に入ると、まずは大きな間違いはないと思います。
■念いというものは、一定の時間内では成功しないこともあるけれども、長い時間の流れにおいては、ほぼ確実に実現する
まず、「念いは必ず実現していくのだ」ということを信じることです。
10年、20年、30年と時がたてば、念いは必ず実現します。たとえ、この世において完結しなくとも、霊界まで通して見れば、実現するのです。
たとえば、イエス・キリストのように、この世においては、「救世主になるつもりでいたけれど、十字架にかかって死んだ」という人もいます。
この世だけで切って見れば、念いは実現していないように見えます。伝道に失敗したように見えます。12人の弟子も、結局、最後は裏切って逃げました。
イエスをお金で売ったユダは言うまでもないことですが、そのほかの。まともな弟子でも、やはり、迫害を恐れて、「私はイエスを知らない」と言って逃げたのです。
そのため、イエスの念いは、この世の肉体人生の終末においては、一種の挫折、失敗に終わったということが言えると思います。
ただ、その救世主としての願望は、長い時間において、見事に達成されているのです。
そのように、「念いというものは、一定の時間内では成功しないこともあるけれども、長い時間の流れにおいては、ほぼ確実に実現するものだ」ということを知らなくてはいけません。
そして、キリスト教においては、そういう救世主としての願望の実現もありますが、キリストの持っている、その悲劇性のようなもの、2000年間、影響しているように思われます。
正しい宗教であっても、それぞれに特色があり、キリスト教においては、悲劇性、終末性のようなものが非常に強いため、やはり、その後の流れのなかでも、そういうものが数多く出てきたように思われるのです。
■自分の幸福が全人類の幸福につながる生き方を
幸福の科学においても、「念いをいかに出すか。どういう方法に出すか」ということが非常に大事です。
念いは必ず実現してくるのですが、「それは、どういう念いであるのか。どういう実現であるのか。その後、どうなっていくのか」ということを、常に考えておく必要があります。
「こういう念いで行動していって、大きな流れができてきたら、その後、どうなっていくのか」ということを考えなくてはいけないのです。
最終的には、やはり、「全人類の幸福」というところに念いを集める必要があります。「全人類の幸福。そして、その幸福を実現するための自分の幸福」ということです。
「自分の幸福は、それが達成された暁に、全人類の幸福につながる幸福なのだ。自分の幸福が全人類の幸福につながる生き方を、自分はしたい」という念いであれば、その念いが実現しても、間違いはないのです。
そのように、「自分の真なる幸福が、全人類の幸福と一体化する方向で実現しますように」という念いで、やっていくことです。
その部分なしに自己実現だけをやっていて、悪いことをしてしまう人間も跡を絶ちません。この世的に成功のように見えても、そこに正しき心が入っていなければ、悪いことを実現することもあります。
「お金がほしい」ということだけであれば、銀行強盗だってできるし、詐欺だってできることになるわけです。
自分の幸福と全人類の幸福を一致させる方向に志を立て、10年、20年の歳月、努力していくと、だんだんに、そちらの方向で流れが始まり、実現していきます。
ここで、いつもチェックすべきことは、「自分の幸福と全人類の幸福がつながるかどうか。自分の念いは、間違っていないかどうか。正しい方向に向いているかどうか」ということです。そうであるならば、その念いは、長く続けていったときに、必ず実現します。
その熱意と、努力と、時間の長さ、それが実現度を決めます。念いの熱意。それから、その熱意に基づいいて、どれだけ努力したか。
現実になされた努力は、どの程度のものか。そして、どれだけの時間、やりつづけたか。熱意、努力、時間、そういうものの総計において、念いは必ず実現していきます。
発展の法則として、そのようなことが言えると思います。
■4つの原理を修行課題に
本章で述べた4つの原理は、すべて、私も現実に体験してきたことであり、みなさんも必ず実体験することであると思います。
幸福の原理は、実際には、これ以外にも数多くの深い教えを持っており、それは私のさまざまな著書に説かれていますが、ここでは、「人間を幸福にする4つの原理」と題して、非常に分かりやすい切り口で述べてみました。
これを伝道の切り口にしてもよいし、公案として、自分自身の反省や瞑想に使ってもよいでしょう。研修などのなかで、座禅しながら、「『奪う愛』の苦しみからの脱却」という公案について考えたり、「頭の悪さを嘆く暇があれば勉強を」という公案について考えたり、「反省すると悪霊が抜ける」という公案について考えてみたり、「念いは実現する」という公案について考えてみたりするのです。
こういうことによって、修行も一段と進むのではないかと思うのです。
【人間を幸福にする4つの原理】 Happy Science『幸福の法』より
真実を知ることであなたも幸せになれる---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください。
今日のブログは、Happy Scienceの 『幸福の法』 よりお伝えしています。