浅草寺参拝、祖母から、そしてインドのサラスバティ・弁財天様からのプレゼント。 | ハッピースピリチュアル!桂子のオフィシャルブログ

ハッピースピリチュアル!桂子のオフィシャルブログ

あなたの運命が変わるときに出会う☆スピリチュアリストのブログ

サロンで時間のある時は、キャンドルを使い、ムナイ・キでいうパワーアニマルの存在、へび、ジャガー、ハチドリ、コンドルの存在を感じながら、過ごしています。



特に、この数日間、参拝をして祈ってからのその願いに対する「これしたらいいよ」のお題がかなり早急にきています。エゴや感情はうわぁ~と反応する出来事だったりもするので、ドキドキしていますが・・

そんな中、父に頼まれた用事で浅草に。浅草寺に行きたかったので、夕暮れ時に来ました。昼間は第33回浅草サンバカーニバル。33という数字が気になりました^^


ちょっとぶれているけれど。。私。

五重塔を眺めて、そのあとは予定を急ぎましたが、淡島堂、薬師堂が気になりました。本尊が阿弥陀如来様です。


この日、父と浅草に行く予定になったのは、このひょうたんが私のもとに来るためだったのかなと、渡されたときにわかりました。


祖母の形見だというこのひょうたんを私に父が手渡したのですが、琵琶湖の竹生島の宝巌寺の弁財天様のお守りでした。

インド名はサラスバティ。弁財天様からのプレゼントでもあります。


母が私に手渡すようにいったのだそうです。のぞいた先には弁財天様。なんだかわけもなく涙が溢れてきました。祖母から私に、その先祖を思う心、祈る気持ち。様々なものが受け継がれたように感じました。

バトンタッチされたように感じたのです。祖母が集めていた御朱印帳は、今でも手元にあります。遺品の中から、それだけは私が引き取ったもの。

その軌跡をみると、私が好きで通う神社、秩父、三峰やまだこれからいく多くの神社やお寺が含まれています。

生前、仕事では教員をしていた祖母は、短歌の活動や書道の活動を主に、本当に日本中をよく旅した方でした。慈愛の人だったと思います。

若い私たちよりもパワフルに晩年も家にいることは少なく、だんだんとその行動範囲は狭くなっていったものの、遠くの場所が好き?で移動距離をたくさんとるような生活をしていました。

よく考えると、少し違うけれど、私も同じような生活をしてきていると思います。一つ違うのは、夢見がちなところ。それは時代背景もあるのかもしれないですが、あとは、気質も考え方も似ているなといつも思うものです。

その祖母は、紫の洋服、ラベンダーの小物が好きでいつも身に着けていました。カラーセラピーを学ぶようになると、このあたりのことが、その生き方も含め理解できるようになり、それは私の生き方を決めていく指針になります。

家族でも、それぞれ生き方も違うし考え方も違うもの。その中でも、祖母とはそれが分かり合えるような、昔から、幼いころから不思議なものを感じていたものです。

20代のころ、仕事で行き詰まった時に、平家のお話をよくしてくれたものです。私たちのご先祖様は、女性でも戦いぬいた武将、そんな力強い応援があるのだから大丈夫だと。

「え~、私は結婚してお嫁さんでのんびりしたいのに、なぜ戦いぬく女性の血が流れると伝えられるのだろう・・」

そんな風に思ったものですが、確かに、家庭を持つにしてもなんにしても、私には外とのつながりを持ちながら生きるのがあっている、それは本能的にわかっているところがあります。



今、この時に祖母から手渡されたプレゼント。そして、宝巌寺に行ったときに、また深くその感動に触れられるに違いありません。

お盆も過ぎて、すっかりいつものペースに戻りつつある世の中ですが、まだこちらでは、先祖・ルーツをたどる時間が流れているようです。

インドのサラスバティ、弁財天はちょっとわがままで嫉妬深かったと神話でいわれていますが、(それに比べて吉祥天はすべて弁財天に地位も男性も譲ったという優しさの持ち主。どちらの気質も私の中に息づくなぁと思うのですが。)今はこの弁財天様の気質が私に必要なようです。

華やかに、力強く羽ばたく。そんな弁財天様の力を私の中に感じながら過ごしたいと思います。

長くなりました、ちょっとお風呂に行ってきます。よい時をお過ごしくださいませ