戦争と平和とはロシアの作家トルストイが書いた世界的に有名な小説です。
この小説はナポレオンとロシアとの戦いが描かれており、かなりの長編小説なので読んでもよくわからないという人も多かったでしよう。
当時ロシアはフランスに対して憧れのような感情を持っている人も多く、そのろフランスの英雄ナポレオンがロシアに攻めてきたことで多くのドラマが生まれました。
そして現在ロシアはかつての盟友ウクライナを侵攻中で、戦争と平和の全く逆の立場で現在戦争は進んでいます。
ナポレオンが皇帝についていた1800年代はまだ世界が混沌としていた時代で、現在のように世界が戦争を全く受け入れていない時代とは違い、当たり前のように戦争がそこかしこで起こっていた時代です。
そのような時代の平和と現在の平和では違ったものだといえるでしょう。
戦争が当たり前の時代の平和とは戦争がなくなることよりも、戦争の状況下でも自分の中の平和を求めることの方が大切というか、現実的だったのではないでしょうか。
でも、現在は世界中で戦争が当たり前のように起こっている時代ではありません。
確かにウクライナとイスラエルでは戦争が起きていますが、これは非常時ともいえるイレギュラーな出来事だと私は認識しています。
現代でもイラン戦争や戦争までいかなくても各地で紛争は起こっていますが、世界中が戦争状態に突入しているわけではありません。
今回のウクライナへのロシア侵攻も世界大戦になるのを世界は何よりも恐れています。
それほど世界の主要国は戦争を回避することを第1に考えています。
1800年代と違い現代は世界中の人が明るく健康的に生きられることを本当の平和だという認識を多くの人が持っていることは事実です。
それは事実ですが、反面その事実に反することが起こっているのが現代ということではないでしょうか。
まだ、世界中では貧富の差もあり、各国各国での事情もありますから、世界中が日本のように戦争を忘れてしまった状態になるのは難しいことかもしれません。
ですが、現代の平和とはトルストイの思い描く平和とは異なり、世界中のだれもが明るく、健康的に生きていけることではないでしょうか。
そのような考えは現在ではまだ難しいとは思いますが、現在の平和とはそのようなものを目指すことは大事だと思います。
そしてこのような本当の意味の平和を実現するには各国、そして各国の人民が利己を捨て、利他の精神を少しでも持つことが必要でしょう。
もしそのようになったら地球という大きな集合体を世界が認識することもありうるのではないでしょうか。
つまり日本人、中国人という上位の概念で地球人ということを世界中で認識できるということです。
現在世界をまとめるには国連という組織がありますが、これにも課題だらけで会議に出席している各国の代表も自国の利益を少しでも伸ばすことが主な目的になっています。
特に覇権を狙っているように国はその傾向が強いです。
国連自体、戦勝国で作った組織なので世界大戦の様相が依然大きな存在を示しています。
拒否権なんてものの存在は民主的な会議とは言えないでしょう。
国連に対して新たな組織を作るべきだとの論調も耳にしますが、いずれにしても大国の思惑で組織が作られていくのは容易に想像できます。
平和という概念の問題は宗教とも大きく係わっていますので、その意味でもまだまだすぐには地球人の概念ができるのは先のことだとは思います。
まずは世界中の人が生きていくうえで必要なものを自由に手に入れられることが近道なのかもしれません。
平和という言葉はとても耳障りが良い言葉ですが、それを得るには茨の道も覚悟しておく必要がありそうです。