私の仕事は観光土産ビジネスであるとお伝えしました。


今日はこの観光土産について、少し裏の事情等を含めお話ししたいと思います。



そもそも観光土産って何だと思われますか。


観光は物見遊山のことであるのでここでは土産の意味ですが、ネットでは屯倉(宮家、とも書く、天皇領のこと)つまり都会で買った品物、という意味があったり、私の古い記憶では宮(都会)の餉(食べ物)から来たとも記憶しています。



漢字で書くと土産ですが、これはわかりやすい思います。


その土地で生まれたもの、という意味ですが、この土産は物流があまり発達していない時代の名残であり、例えば私の住んでいる山口県は下関のフグが有名ですが、これは昔では冷凍、チルドなどの保存技術がなかったので、下関に来なければ食べられなかったのですが、現在はどこでも冷凍便を使ったら食べられてしまいます。




このように歴史的にはその土地での特産品を、その土地のお土産として買う、ということが土産の根底的な意味だと思っています。





私達、観光土産品業界が発展したのは昭和30年代後半からの大観光時代という一大観光ブームの時代です。


そのころは、修学旅行や職域旅行、また、寝具販売店などのお客様サービスとして、バス何十台を連ねての団体旅行が隆盛でした。



先日ガイアの夜明けでも放送された熱海温泉のホテル・ニューアカオもこの大観光時代のシンボル的に建築されたものです。


この大観光時代には観光土産もとてもよく売れました。


それも団体旅行ですので、同じものが1団体だけで数百個売れていた時代です。


この時の土産は単純で、地名さえ入っていればよかった時代です。


熱海温泉饅頭とか、その名前がなくても熱海土産、というシールがあるだけで売れていました。


こういうどこでも売っている商品(特に食品・お菓子)のことを我々業界ではレール物と呼んでいましたが、現在ではこのレール物はお菓子ではほとんど売れません。


食品でレール物で売れるとしたらいま瞬間的にはやっているものか、テレビで話題になったものです。


ココナツオイルとか、ペンギン食堂から始まった、たべるラー油だとか、そういったものはよく売れました。


ただし、こういった商品はマスコミの力で売れた側面が強いので、時間がたつとあまり売れなくなる傾向にはあります。




こういった、レール物、名前入りの商品の次に土産業界で主流となったのがご存じ、地産地消商品の開発です。


出来れば地元の有名な農水産物を材料の一部に使った、お菓子や総菜の類です。


山口ならフグせんべいだとか、岡山の桃のお菓子など、全国でやってはいないところがないほど広がりました。



出来れば、と書いたのはこの地産地消の原材料はあまり全国的に有名なものとは限りません。


山口県で私が最初にやったのは夏ミカンを使ったオムレットケーキです。



山口県で夏ミカンが採れているなんてほとんどの人は知らないでしょう。


実は山口県の県木は夏ミカンでガードレールの色も夏ミカンのオレンジ色であるほど山口県にとっては一般的に知られています。


ですので、我々開発側が小売店にプレゼンはやりやすいので、一気に売店までは置けるのです。


売店にあれば観光客の方はなぜかここには夏ミカンの商品が多いので、自然と買って行ってしまうというわけです。




こういった原料ですので、あまり流通量が少ないというのも事実です。


ですので、この原材料は、確保とそれの1次処理に難点があります。


ごぼうも我々の商品として出しているのですが、美東町のごぼうは生産量が年間なんと数十トンという少ない量で、年々生産者も減ってきています。


さらに最近の厚労省、消費者庁の方針はこの原材料のエビデンスを正確に求めてきて、その品質基準も年々厳しくなってきています。



もともと、観光土産の地域問屋は小規模、零細企業のところが多く、こういった対応が出来なくなることも考えられます。


1次処理についても例えば果物なら原料に使えるようにピューレや粉末に加工するということです。


その加工後の半製品の保存期間も問題です。


というのもそれぞれの原材料には旬というものがあり、1年で全く手に入らなくなる期間もあるので、その期間まで1次加工製品を保存しておく必要があるからです。




それで、こういった地産地消の商品を手軽に作ることも徐々に厳しい環境になっています。




今日は少し長くなってきたのでこの続きはまた明日以降続けたいと思います。