昔 NHKのクローズアップで現代で 戦争から帰ってきたの人たちの多くが精神病院に死ぬまで入れられる事実を取り上げていました。

 フランスではたしか2、3年 精神病院に入れて、その後  薬物治療、通院 に 切り替えていると言っていました。

元日本兵はどこの精神病院 いるのでしょうか。

彼らは100歳前後のはずです。

入院患者用のベッドが多い精神病院のランキングです。

1位 松沢病院


2位 初石病院(千葉) 


3位 道ノ尾病院(長崎)


4位 浅香山病院(大阪)


5位 紘仁病院(名古屋)

日露戦争におけるロシア人の捕虜を人体実験に使っていたと NHK で見ました。
毎日 手を 氷でにつけていたらみんな 指が取れてしまったと話していました。
ゾッとしました。
包帯か何かで止血をしたり膿まないようにしたのかわかりません。
ロシア兵の捕虜は7万 2418人と言われています。
満州で捕まりシベリア抑留された日本人は 70万人を超えると言われています。
日本人は金鉱などで強制労働させられています。
日本では日露戦争が終わった後、7万2000人以上のロシア人捕虜を29箇所に収容したそうです。
一箇所、平均で2500人ほど収容していた事になります。
 収容所の一つ、愛媛の松山にあった 収容所は26棟も宿舎を建て、のべ 6000人収容していたそうです。
多い時には 4000人収容されていたそうです。
1棟当たり154人を超える人が住んでいた事になります。
外出も自由な施設だったと言います。
今、その土地は大学や 赤十字病院や中学校になっています。
その2キロほど西には松山記念病院という精神病院があります。
入院患者数は693床あります。
姫路にも捕虜 収容所があったようです。
本徳寺、妙行寺、景福寺です。
1918年頃は主に ドイツ人や オーストリア ハンガリー 人の捕虜が住んでいたそうです。
ロシアの捕虜もいたそうです。
日露戦争のロシア兵捕虜と第一次世界大戦のドイツ兵捕虜を、入れ換えたのか分かりません。
境内に捕虜収容所が建てられています。
姫路城に行くなど、結構自由だった様な感じです。
静岡捕虜収容所は規模が小さく84人が受け入れられたそうです。
第一次世界大戦後、ドイツ人が多く収容され、サッカーを教えたり、パン屋さんで働く人などもいたそうです。
旅順で戦い、負傷したり、投降したロシア兵が連れて来られたそうです。
結構自由に外出もできたとか…。
浜寺 捕虜収容所の1キロほど北東には 浜寺病院があります。
入院患者のためのベッドは 642 種床ある 精神病院です。

内地の俘虜収容所は松山には初めて之を開き、丸亀、姫路、福知山、名古屋、静岡に設け、翌38年に至り、似島、浜寺、大里、福岡、豊橋、山口、大津、伏見、小倉、習志野、金沢、熊本、仙台、久留米、佐倉、高崎、鯖江、善通寺、敦賀、大阪、弘前、秋田、山形の各地に逐次之を開設した。↑そうです。
条約では 捕虜に強制労働させてはいけないというものがありました。
自由に外出も出来た様です。
第2次世界大戦の日本兵の中には日本に捕まり、病院に入れられたまま、外出が許されない人達がいます。
何人日本兵が精神病院に入れられたのか、ロシア兵が何人人体実験させられたのか、分かりませんでした。
79000人超ロシア兵捕虜がいたと言う説もあります。
約7000人は日本ではなく、日本の植民地の満州や韓国、樺太かどこかに捕虜の収容所があったのかもしれません。
第二次世界大戦で約70万人の日本人は捕虜になっています。