タマラエナジー【実感・感想編】を書く前に、

まず、私自身がどうしてタマラのアクティベーションを

受けようと思ったのか?をお話ししますね。

 

30代前半に夫の両親の家の隣に引っ越して

スープがアツアツな距離で暮らすようになりました。

当時、夫の両親は60代後半で、二人とも持病持ち。

特に夫の父親はもはや昭和ではなく大正生まれで、

嫁が自分たちの面倒をみるのがあたりまえと思っている世代です。

 

自分の子供は当時10歳。

育児と介護とパート勤めが始まりました。

夫は仕事人間&自分の両親に逆らうことができず、

私のストレスのはけ口がなく

(今のようにインターネットもスマホもない時代でした笑い泣き

抑鬱状態になりました。

ちなみに、この頃、やっと、心療内科という診療科が

できはじめたのですが、まだまだそういう病院に通うのは

敷居の高い時代でした。

 

夫の父親が腹部大動脈破裂の危険で人工血管に

取り換える手術を受けたのが息子が14歳の時。

同時期、夫の母親は持病のリウマチのために飲んでいた

ステロイドホルモンにより骨がスカスカになり、

背骨の圧迫骨折で入院していました。

 

父親の手術の1週間後、腹痛を訴え検査したところ、

すでに血管がボロボロだったため

目には視えない小さな瘤が飛び、小腸、大腸の

血管の末端で詰り、小腸、大腸が壊死し、

それぞれ除去し、小腸ストマーと大腸ストマーを装着。

その後も1週間ごとに問題が起き、計4回

お腹の手術をしました。

 

しばらくICUに入っていて経口で栄養が取れなかったため

舌が固まってしまって、言葉がうまく喋れないことと

嚥下ができなくなっていました。

また、腎機能もダメになってしまい、心臓に負担がかからない

透析を毎日やっていました。

 

そういう状況だったため、夫の母親も病院にいても

なんの治療法もないし、夫の父親の側についていたい

ということで、退院してきました。

 

夫の父親の病院へ毎日、夫の母親を車に乗せ

朝から夕方まで付き添い。

帰宅して自分の家の家事。

私は、もう、パニックです。

私のキャパをかなり超えていました。

 

何か自分でストレスを解消できる方法はないかと

思っていた時に出会ったのが、アロマセラピー。

2001年の頃はアロマも「怪しい」言われる時代でした。

 

夫の父親の病態は一進一退状態が10ヵ月続き、

最後は腎不全で亡くなりました。

 

人の死をこれほどまで身近で体験したことがなく、

当時、「生死」について、すごく考えていました。

なんかね、自分は何もできなかったという無力感と

後悔でいっぱいでした。

そして、抑鬱状態がさらにひどくなっていたのです。

 

ただ、その頃には携帯でメールができたり、

インターネットも随分と普及していたので、

私の状態が悪いことに気が付いた友人が

なぜか?科学者の方が書いた「生きがいの創造」

という本を読んでみたらいいよと薦めてくれました。

前世や転世のことが書かれていた本でした。

 

私は実の母親との関係もうまくいっていなかったので、

前世で母親となんかあったのかな???などと

考えている時に出会ったのがタマラの創始者が

書いていたメルマガでした。

 

そのメルマガは、前世や視えない世界のことを書いているのに、

なぜか、とても暖かい感じがするのです。

その時は相談するのに関東の某所まで行かなくてはならず・・・

私のおばは霊能者のようなことをやっていて

「他の能力者のところにいってはダメだ!

逆に変なものをつけられる。」と言われていたので、

悩みに悩みましたが、私は夫に友達と旅行に行くと言って

関東某所に相談に伺ったのです。

 

その時に一緒に行った友人がタマラ創始者の方に

手を当てられていたので、友人になにをされていたのか?

ホテルで聞きました。

 

「なにをやっていたのかはわからないけど、

とても暖かったよ。」と友人。

 

札幌に帰宅して、またタマラの創始者の方にメールをしました。

友人に手を当てていたのは、なんですか?と。

「ヒーリングですよ。」と言われました。

 

ヒーリング???????

 

その時、39歳。

39年生きてきて、ヒーリングなんて言葉、

一度も聞いたことがない!

 

でも、とても心が惹かれるドキドキ

聞くと、一回のアクティベーションで、遠隔ヒーリングも

できるとのこと。

 

当時、夫の母も実の母も体調が悪かったので、

遠隔でヒーリングができるのはいいなラブラブと思いました。

あ、自分で自己ヒーリングできることも

アクティベーションを受けようと思った決め手のひとつですハート

 

2002年1月、関東某所にタマラのアクティベーションを

受けるために飛びました飛行機

それから22年。

 

色々なことがありました。

でも、振り返ると、あっという間。

 

私が私であることをサポートしてくれるタマラ。

次のブログ記事は、実感・感想などを

書いていきますね!!

 

長文を読んでくださり、ありがとうございますハートのバルーン

 

現在、タマラの創始者の方は表舞台からは退き、

相談などは行っていません。