友が妊娠した。
「彼氏的な人ができた」と聞いてから、妊娠の報告を受けるまでに1~2カ月しか経っていなかったので、カフェでひとり、おぉ、と思わず声を漏らした。
2週間ほど前に誕生日を祝ったばかりだった
彼氏はどんな人?と聞いたら、友は、「やさしい人」と言った。
やさしい人は、けれど、結婚できない人だった。
産むべきか、産まざるべきか。
その決断と、友は向き合うことになる。
「どうしたいの?」と聞くと、「産みたい」と言う。わたしはその気持ちを尊重したい、と思った。
ただ、未婚で出産し、子育てをするための土壌は、いまの日本にはまだ育っていない。
一番のハードルになるのは、やはりお金だろう。
最初は東京を離れたくない、と言っていた彼女に対し、子育てに親の協力は必須だよ、少なくとも出産から数年は田舎に帰ったほうがいい、と説得した。
田舎で子育てをするためには、親の同意が必要になる。
「親に話したくない……」と気が重そうに言う彼女に、「気持ちは分かるよ」と言いながら、「とりあえず、お母さんには話そうよ」と説得する。
「こわい。絶対怒られる。一緒にいて」と友。
新宿のファミリーレストランで、わたしたちは映画“ハナコイ”の麦と絹みたいに、イヤホンをそれぞれ片耳に突っ込んで、田舎の母親に電話をかけた。
―なんでそんな人と子どもを作るの!
―なんでそんな人と付き合うの!
―東京なんか行くからろくなことにならない!
友の母は予想通りの反応を示したあと、ポツリと、「産むならこっちで育てるしかないよね…」と言った。
孫ができること、娘が田舎に帰ってくることを、少し喜んでいるようにも私には感じられた。
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認知をするかしないか、養育費は月いくらもらえるのか。
相手男性との話し合いは難航し、友は日に日に疲弊していった。
そんななかでも、お腹の命は育っていく。
婦人科でもらった豆つぶみたいな赤ちゃんの写真をうれしそうに見せる友は、母親になることに迷いはないようだった。
状況が変わったのは、妊娠15週を迎えた頃。
法的に中絶が可能な21週まであと少しというタイミングで、それまでなんとなく娘の妊娠を受け入れつつあった親が、「結婚できない男との出産を認めるわけにはいかない」と言い出した。
いよいよ現実味を帯びていくなかで、親も娘の幸せを思ってのことだろう。
友は一度帰省し、親と話し合いを続けると同時に、相手に改めて結婚できないかと打診したが、やさしい男とはつまり、決断できない男なのだった。
「もう、頑張れないかもしれない」
そんな弱気なLINEが友から届いた。
わたしは、中絶でも出産でも、どちらの決断も尊重したいと思っていた。
ただ、自分で納得のいく決断をしてほしかった。
「親の反対を押し切ってまで、頑張れる自信がない。弱い自分が情けない」と友は泣く。
親が反対する理由は、
祝福されない子どもはかわいそう
父親のいない子どもは不幸になる
親戚に合わせる顔がない
ある意味、それは真理であり、また一方で、根拠のない感情論でもある。
友は確かに迂闊だったし、もう少し慎重であるべきだったのだろう。
しかし、悔やんだところで、できてしまった命はなかったことにはできない。
友は、「産みたい」「自分の人生を懸けて育てたい」と思っているのに、諦めてしまって本当にいいのだろうか。一生、自分の弱さのせいで命を守れなかったことを背負いながら生きていってほしくないと思った。
友の性格を考えても、いまここで踏ん張れなかったら、この先の人生、どんな場面でも頑張れないのではないかと思った。
人生には、あとから振り返って、「あのとき逃げなかったから今がある」と思える瞬間がある。
親との闘いに敗れ、ボロボロになって東京に帰ってきた友と、LINEでやりとりする。
おそらく、彼が結婚してくれることも、親の価値観が変わることもない。
そのうえで産みたいのであれば、時間がかかっても親を説得するしかないのではないか。
やさしいだけで何の責任もとれない男との結婚が、本当にあなたの幸せなのか?
彼に結婚してもらう方法よりも、どうすれば親に許してもらえるかを考えよう。
一通りLINEで話したあと、「直接話すとうまく伝えられないから、家族に手紙を書こうと思う」と友が言った。
その数時間後、こんな感じで書いてみたよ、と長文が届いた。
自分も親に愛情をこめてこれまで育ててもらったこと。
どうしても、生まれてくる子どもと、祖父母になる両親との幸せな家族の絵が思い浮かんでしまうということ。
一生懸命幸せな子にするように育てるから、産ませてほしいという決意と懇願。
彼女の思いがよく伝わる手紙だった。
手書きのほうが気持ちが伝わると思うよ、と言うと、友は便箋に一生懸命、手書きで書いた。
「字がへたすぎて落ち込む」
「うまくなくていいから、心を込めて書けばいいんだよ!」
翌朝、速達でその手紙は家族の元へと届けられた。
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友が手紙を出した翌日、私は友に一人の女性を会わせた。
私が以前話を聞いた、シングルマザーの女性だ。
その先輩女性は、同じように親の反対を押し切って出産し、未婚で子どもを育て上げていた。
女性は、会って早々、こんなことを口にした。
「孫が生まれたの!」
彼女が女手一人で育て上げた息子はもう20代半ばを過ぎ、半年前に孫が生まれたという。
「もう、かわいくてかわいくて」
と彼女は顔をほころばせる。
20代前半だった彼女が必死で守った命が、また一つ命をつないだのだと思った。
親の反対に負け、もしあきらめていたらこの子は生まれてきていない。
「生まれた瞬間、この子を見てすごいビックリして」
何を言い出すかと思ったら、
「息子も奥さんも和顔で目は一重なんだけど、この子、ぱっちり二重なんだよね。彼(息子の父親)にそっくりだと思って!」
そうやって笑う彼女を見ていたら、なんだか小さなことで悩むことが無意味に思えてくる。
そんな彼女が、話をするなかで、一度だけ涙を見せた。
「20歳の誕生日に、息子が言ってくれたんだよね。産んでくれてありがとう、って」
明るく自由奔放に見える彼女にとっても、やはり子育てに費やしてきた20年間が、決してラクなものではなかったことが垣間見えた瞬間だった。
彼女の話を聞いたあと、友がSNSにこんな投稿をしていた。
「子供に産んでくれてありがとうっていつか言われるように母ちゃん頑張る」
まだまだ不自由な時代かもしれないが、時代は確実に変化していると思う。
本当に、ゆっくりではあるけれど。
先輩のような女性たちが、切り開いてくれたのだと思った。
だとしたら、自分は後輩たちにどんな時代を残してあげられるだろうか。
25年後、同じように悩む年下の女の子に、子育てのアドバイスをする頼もしい友の姿が思い浮かんだ。
その頃には、いろんな環境で育って幸せになった大人がいっぱいいて、もっと、自由な生き方が許容される時代になっているといい。
その夜、友から連絡が入った。
「親が、許してくれたよ!!」
便箋6枚分の友の思いが、親に届いたのだと思うと、泣けてきた。
ギリギリになって親が反対したことにも、意味はあったと思う。
諸手を挙げて賛成できるわけではないのだ。
親も気持ちを吐き出すことで、現実を受け入れられるようになったのではないだろうか。
そして、この一連の騒動によって、友もきっと、子どもをしっかり育てようという覚悟が、より強まったに違いない。
「不幸になる」「祝福されない」と言われた子どもがどう育つかは、友のこれからに懸かっている。
わたしは、友を信じたいと思う。そして、もし、いい加減な子育てをしていたら、田舎に飛んでいって殴ってやる、と決めている。
次の日、病院の検診に行った友が、連絡をくれた。
「性別が分かったよ!」
真っ先に名付け親に名乗り出たのは、友の父親だった。
負けてはいられない、とばかりに私もいくつか案を送ってみる。
やっぱり、今どきはジェンダーレスな名前でしょ。
一文字、私の名前を潜り込ませられないかと画策しているところだ。