24時間テレビで得られた一生の宝物

「手紙✉️」

晋太朗が17歳で骨肉腫を宣告されてから

闘病してたあの数年は、

晋太朗は何かに憑依されてたかのように、

常に厳しく険しい顔で笑う事なく、

私に対する態度や言葉は荒くきついものでした。

何か成し遂げる為に、命かけて覚悟決め

必死に突き進んでいたから、心に余裕が

なかったのは分かっていました。


口も一切聞かず、私に唯一言う言葉は、

「帰れ!」「いらねー!」「うるせー!」

闘病始まって3ヶ月過ぎたくらいから

私は精神的な限界もすぐ目の前かも…

しんどい、私この先もつかな…と

正直感じてたこともありました。


それでも毎日私は病院へ向かう車の中で

「頑張れ私、頑張れ今日も笑顔」と気合いを

入れて毎日笑顔で、なーんにも気にしてない

ふりをしながら、毎日欠かさず病室へ

訪れ晋太朗の看病の日々をおくっていました…

私は笑顔絶やさなかったし

どんなどん底にいようと、楽しい事は

探せば必ずある!とポジティブに心を

切り替えてた毎日でした。


晋太朗は壮絶な治療を続け10代にして

青春時代を全うできるサッカー人生を

奪われて、それを思えば私なんて比に

ならない。当時の私は自己嫌悪に陥ってた事も

ありました。


晋太朗の悔しい気持ちやイラつく

どうにもならない感情を吐き出す場所は

私が受け止めればいい!私自身にそう

言い聞かせて、晋太朗の毎日の荒い態度や

言葉を全面で、ただただ受け止めていました。

母親なんて無力であり、何もしてやれてない

そんなふうに思ってたけど…

命無くなればそんな経験も出来なくなる。

命ある限りそれが出来ることを

「最高の幸せ」と思おうと…


そんな過酷な闘病中に晋太朗を笑顔に

してくれてたのが、お見舞いにきてくれた

仲間や晋太朗に関わる方々全ての人達

でした。私には救世主でした。

1ヶ月でトータル100人はお見舞いに

来てくれた月もありました。


今回24時間テレビで晋太朗からサプライズで

手紙を貰い、私のあの頃が報われた、

私はいつもどんな時も明るく笑顔でいた事

あれは正解だったんだ。

感無量でした…




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